終わらない悪夢。
炎に包まれる校舎。
そこから逃げるように、ただひたすらに走る自分。
背後から恐怖が近づいてくる。
確信があった。
だが、悪夢の中の自分はふりかえる。
そうすることが定められた行為であるように。
変えられない結果をふたたびなぞるように。
両親の姿があった。
父が一刀のもとに斬り捨てられる。
(父さんっ!)
母が凶弾に倒れる。
(母さんっ!)
悲鳴は届かない。
恐怖の源がゆっくりと近づいてくる。
音のない世界。
終わらない悪夢。
蒼森工業高校の校庭に立ち並ぶ研究開発棟で、狂気の実験が行われていた。
その内のどこか。ではなく、その全てに於いてである。
科学を崇拝する者達が先を争うかのように次々と、自らの狂気を現出させていた。
第八十一研究開発棟。
実験室には熱い蒸気がたちこめていた。
厚い蒸気の壁の向こうに、寝台に横たわる人影がかすかに見える。
「ジェネレーター出力八パーセントで安定。生命維持システムのみ稼動中です」
「構造材表面温度十七度。余剰廃熱完了。生体部分に損傷なし」
「各システム待機状態に入りました」
実験室と強化ガラス一枚で隔てられたモニタールームに白衣の研究生たちがいた。コンソールに向かって着席している者達から報告の声があがる。
居並ぶ白衣姿の最年長である背中の曲がった老博士が、安っぽい作りのパイプ椅子から立ちあがった。
「今回の実験は終了じゃ!」
研究生たちの口から安堵のため息が漏れる。その場にいる誰もが、一仕事を終えたという実感で厳しい顔つきを緩ませた。
「出力系は問題がないようですな」
老博士の隣に座る長髪の青年が、プリントアウトされたデータにすばやく目を通す。
「慣らし運転はな。だが、どんな機械でも実際に運用してみるまでは、何が起こるかはわからんよ」
老博士が青年の問いかけに答える。しわがれているが年季を感じさせる力強い声だった。
「そのとおりですな」
二人は目を合わせずに会話を行っていた。自分の真意を隠し、相手の言葉の裏を探り合うための会話であった。
青年が怪訝そうな表情で開発スケジュールを見つめた。
「運用テストまで、あと2ステップ残っているのですか?」
「そうじゃ。内装兵器の稼動テストと思考制御装置の取り付けじゃよ」
博士がスケジュールに書かれている内容をそのままに返答する。青年は答に対して不満の意を示すかのように質問を重ねる。
「思考制御装置の取りつけなどという、重要な作業を最終段階で行うのはなぜですか?」
思考制御装置とはその名前の示すとおり、番長兵器の自律思考を制御する装置のことである。自律機能をもつ番長兵器―特に人間が素体となっているものには必要欠くべからざるものだった。
「そういった重要な機能は他の身体機能との齟齬がないように、最初に組み込むべきなのではないのですか。最も信頼性を要求される部分ですからね」
老博士が笑みを浮かべる。
「何をいってるのかね。重要な機能だからこそ、各部機能の不都合を解消してから最後に取り付けるのではないかね」
青年の表情が不信感で曇った。
「それに、なぁ」
老博士が下卑た笑いを浮かべる。
「泣き叫ぶ被検体の顔が、見たいんじゃよ」
老博士の歪んだ口元から黄色い歯が覗き見えた。
「悪趣味な…」
青年は嫌悪の表情もあらわにモニタールームを後にした。
長髪の青年―糊粉ナス夫は、あの老人を嫌悪していた。
椎名直属の者から、開発作業に便宜をはかるようにと言い渡されたのが最初の始まりだった。
『改造番長計画』
設計仕様書を見せられ、千駄ヶ谷と名乗る老人と引き合わせられた。
そこからがケチのつきはじめだった。
第八十一研究開発棟の管理部長である自分が、ことあるごとにこの老人に振り回された。
開発用の工具や資材が足りなければ、研究を中断させると文句を言い。調達してきた工具を気に入らないと放り出して、さんざん文句をたれた後に結局は工具を自作したり。兵装の開発といって保安部の番長戦車を次々と破壊し、使っていた実験室を吹き飛ばしたり。あげくに、ここのメシがまずいのはおまえのせいだと仮眠室に三日も閉じこもったりと、暴虐無尽の限りである。
千駄ヶ谷のお守には、いいかげんに嫌気がさしてきていた。
かといって、千駄ヶ谷がいなければ改造番長の試作体が完成しないのは確かな事実である。完成しなければ、上の人間の不況を買うのが自分であることは明白だ。
先程のような皮肉ぐらいでしか対抗できない自分の立場が屈辱だった。
(見ていろ、試作機さえ完成すれば貴様は用済みだ。この借りは、その時に思う存分返してやるからな)
糊粉はやり場のない怒りをふつふつとたぎらせた。
耳の奥でキーンと甲高い音が鳴り響く。
覚醒を促す不協和音。
意識は目覚めているのだが、体が泥のように重かった。
いや、泥どころではない。自分の体が、これほどまでに重く感じられたことがあっただろうか。
まとわりつくような重量感がある。だが、けだるさは感じられない。それどころか、自分の体にかつてないほどの活力がみなぎっているのが分かる
しかし、不可思議な重さを感じるのも事実だ。まるで、自分の体が鋼鉄の塊にでもなってしまったかのようだった。
ゆっくりと、少しづつ四肢に力を込める。
フゥィーン。
モーターの駆動音が聴覚に届く。その音をいぶかしげに思う間もなく、上半身が腰を支点に九十度前方へ傾いた。
「やれやれ、寝覚めの悪い坊主じゃ」
目の前にいた老人がぼやき声をあげる。
「ここは…。僕はいったい…」
突然、頭の中に記憶が湧きあがる。
炎に包まれる校舎。
両親の死。
そして、自分の体に起こった異変。
鋼鉄に包まれた腕。鋼の足。全身が金属の塊へと変わっていた。
「うわああああぁぁっっっ」
「騒ぐなっ!」
老人の一喝が飛ぶ。
(僕の体はどうなっているんだ?この手は、この足は、自分の体なのか?)
鋼野殻太の精神は、ゆっくりと自分を取り巻く状況を認識し始めた。
「僕は、僕の体は…。なにがあったんですか、これは」
老人が薄い笑いを浮かべた。殻太の様子が、面白くてしょうがないといった様子である。
殻太は、そんな老人の様子に苛立ちを感じた。
「なにか知っているなら教えてください。僕の体がどうってしまったのか。ここはどこなのか。なんでもいいんです!」
「わしの名は、千駄ヶ谷。千駄ヶ谷海造じゃ」
千駄ヶ谷は手近な椅子に腰掛ける。白衣のポケットから取り出したマッチで、両切りのゴールデンバットに火をつけた。
「さて、何から説明したもんだろうかのう」
口から紫煙を吐きながら、千駄ヶ谷が頭をひねる。
「この体の事を教えてください」
殻太はゆっくりと寝台から立ちあがった。ゆっくりと老人の方に向かって歩き出す。ぎこちない足取りだったが、なんとか歩くことができた。
「おまえさんの体のことなら、ワシはよく知っとるよ。なにしろ、おまえさんの体を改造したのはワシなんじゃからな」
殻太は千駄ヶ谷の前まで辿り着くと、襟首をつかんだ。そのまま、腕に力を込めて老人を引き上げる。
「どういう…ことなんですか?」
千駄ヶ谷の頭が、殻太の頭と同じ位置まで軽々と持ちあがった。
その状態に驚いたのは、殻太の方だった。老人の体にまるで重みを感じなかったからだ。
「話が聞きたいんじゃなかったのかね」
「あ、ああ…」
「おろしてくれんかな?」
殻太が右腕を下げると老人は床に降り立つことができた。
「さて、時間もないことだし手短に説明するぞ」
研究開発棟の学生寮に鳴り響く警報で、糊粉は目を覚ました。
上着を肩にかけて、廊下に飛び出す。
曲がり角の向こうから、誰かの走る足音が聞こえてくる。
「廊下を走るなっ!」
急ぎ足でかけつけてきた管理部の生徒を一喝する。
「もうしわけありません!」
管理部の生徒は、糊粉の前で立ち止まると勢い良く返答した。
「状況は」
糊粉が問いかけた。
「はいっ。第八十一研究棟から、開発中の番長兵器一機が逃走中です」
第八十一研究棟で開発中の番長兵器はたったひとつ。
改造番長だ。
糊粉の頭の中で思考がめまぐるしくひらめいた。
糊粉は自室に戻ると内線の受話器を手に取った。プッシュホンの四番を押すと、コール一回で返答が帰ってきた。
「はい、保安部発令所です」
「私だ。逃走した番長兵器の現在位置を知らせろ」
「AOB‐001Vは現在、第八十一研究棟四階を東階段に向かって逃走中です」
糊粉は口から安堵のため息を漏らす。
まだ、間に合う。早急に手を打たねばならない。
「階段でもエレベーターでもなんでもいい。昇降設備に通じる隔壁を全て閉鎖しろ。ヤツをそこから出すな。捕獲作業は行うな、私が行くまで手を出すんじゃあないぞ。それと、万が一に備えて、研究棟の近くにゴライアスWを実弾装備で待機させろ。これから私もそちらへ行く」
指示を終えると糊粉は電話を切った。
最悪の予想が頭に浮かぶ。改造番長の素体が逃亡したら、自分はどんな処罰を受けるのだろうか。考えるだに恐ろしい。思わず身震いしてしまう。
糊粉は気を取り直すと、発令所に向かうために着替えを始めた。
殻太は廊下を走りながら考えた。
自分の身に起こった事。両親が殺された後、自分が改造手術の素体として選ばれて、ここに運び込まれたこと。ここが蒼森工業高校の第八十一研究棟であること。
千駄ヶ谷と名乗る、あの老人が語ってくれたことを整理した。
ほとんどは手短に語られた。話してくれたのは、殻太の身に何が起こったのかということと、ここがどこであるかということだけでであった。
だが、最後に老人は殻太の体に改造手術を施したことを後悔していると語ってくれた。
「わしのせいで、おまえさんの体はこんなことになっちまった。許してくれとはいわんが、詫びのかわりにここから逃げ出す手伝いをさせてくれ」
逃げる。
どんな手を使ってでも生きのびて両親の敵を討つ。機械の体になってから、はじめての決意だった。
意識上のスクリーンに研究棟内部の地図が投影される。千駄ヶ谷が用意してくれたものだ。
(十メートル前方を左に曲がれば階段がある、そこを一気に下ることさえできれば…)
機械の体が十メートルを一気に駆け抜ける。
生身であった頃には、想像もつかなかったほどのパワーが全身に満ち溢れている。
(この体なら、番長生徒が相手でも勝てるかもしれない)
絶望的な状況だが、殻太の胸に希望が湧いた。
左に折れる曲がり角に視線を向ける。
だが、階段のあるべき位置には分厚い隔壁が下りていた。
殻太は隔壁に近づくと、表面のでっぱりに指先をひっかけた。全身の力を込めて、隔壁をひっぱりあげようとする。
「くっ…、駄目か」
周囲を見まわす。左の通路は、さきほど抜け出してきた開発区画へ続く道。正面に隔壁。背後は壁。右側には、突き当たりに小さな窓があるだけだった。
「どうする、このままでは…」
焦る殻太の様子を天井から吊り下げられた監視カメラが捉えていた。
糊粉は保安発令所に駆け込むと壁一面に配置されたモニターにざっと目を通した。
「AOB−001Vの現在位置はどこだ」
「現在、東階段隔壁前です。四階での足止めに成功しました」
糊粉は発令所の指揮官席に腰を下ろすと、保安部の生徒たちの配備状況を確認して手早く指示を下す。
「完全武装の保安部員を南側廊下の隔壁前に集めろ。二十人集まったところで隔壁を開いて突入をかける」
「了解しました」
返答したオペレーターが、待機中の保安部員に召集のアナウンスをかける。
「ゴライアスの配備状況はどうなっている」
「第八十一研究棟の正面玄関前に待機中です」
糊粉はしばしの間だけ思案した。番長戦車を用意するほどではなかったかと考えたが、相手のスペックを知っているだけに油断は生まれなかった。
「ゴライアスを東側壁面前に移動させろ。移動後は、その場で警戒態勢のまま待機させておけ!」
万が一の場合を考えての配備だ。糊粉は保安部員だけでカタがつくことを心の中で祈った。
殻太は隔壁に拳を叩き込んだ。二発、三発と続けざまにパンチを繰り出すが隔壁はびくともしなかった。
四発目を叩き込もうとしたときに、知覚センサーに《検知報告》と表示される。
殻太は検知内容を確認する。
《足音。人間:戦闘装備。対象数二十。分析結果精度九十七.六五%》
聴覚センサーの感度を上げると、どかどかと鳴り響く足音が耳に届いた。
(捕まったら実験室へ逆戻りだ。一体どうしたらいい!?)
階下へ向かう階段は隔壁に閉じられている。通路を戻ればこちらへ向かう連中と鉢合わせだ。
殻太は自分の右側、廊下のつきあたりに目をむけた。そこには小さな窓があった。小さいとはいっても、人間ひとりぐらいならくぐれそうな窓である。
殻太は窓の前に立った。
拳をふりあげて、窓ガラスにふりおろす。
(絶対に、あきらめたりはしないぞ)
窓ガラスが砕け、外界の冷たい空気が流れ込んできた。割れたガラスのむこうに、数多くの研究棟が不気味にたたずんでいる。
殻太は自分の体を見るために視線を落とした。
(僕と同じような犠牲者が他にもいるのか…)
足元が視界に入った。地面までは十五、六メートルほどの距離があった。
「…イチかバチかだ」
殻太は窓をくぐると、空中に身を躍らせた。
「セキュリティシステムより通報。四階東階段そばの窓が破られました」
「突入部隊より報告。捕獲目標は窓を破って逃走したとのことです」
オペレーターから次々と糊粉のもとに報告があがる。
「ゴライアスの現在地点を教えろ」
「現在研究棟東側外壁を移動中です。到着まで二十二秒かかります」
オペレーターたちの顔が、事ここに到ってからようやく緊張に包まれたものになった。
「ゴライアスを急がせろ。保安部員はAOB−001Vの落下予測地点に召集をかけろ」
何を今更と糊粉は思った。ここに配備されているのは所詮、実践経験のないエリート意識丸出しの連中ばかりである。叩き上げの糊粉からしてみれば、捕物ひとつできない無能な部下であった。
しかし、そんなことをぼやいてもどうにもならない。結局のところ責任を取らされるのは自分なのだ。
(貴重なVクリスタルの実験素体を逃したら、降格程度ではすまないだろうな)
逃がしてはならない。今は全力をつくすのみだ。
「やれやれ、やっと手薄になったか」
第八十一研究棟の地下倉庫に千駄ヶ谷の姿があった。大小いくつものコンテナが並べられた倉庫は、かなり雑然としている。
「どうやら、あの坊主はうまくやっているようじゃのう」
千駄ヶ谷は目当てのコンテナに近づくと、横の開閉スイッチに手を触れた。
千駄ヶ谷の背丈ほどの高さのコンテナの側面がゆっくりと外側に傾いていく。中に入っていたのは、鋭角的なデザインのトランクがひとつ。頑丈そうなトランクの側面には、赤い塗料でVの字が刻印されていた。
千駄ヶ谷はトランクに手を伸ばすと、取っ手の横にあるテンキーボードを叩いた。
トランクの蓋がゆっくりと開く。隙間から真紅の輝きが溢れ出す。
千駄ヶ谷の顔が不気味な笑顔に包まれる。
トランクの蓋が完全に開いた。十一個のVクリスタル。それがトランクの中身だった。
V字型のクリスタルは半透明の結晶体で出来ていた。結晶体に包まれた中心線に沿っている部分がひときわ赤く輝いていた。
高密度のエネルギー結晶体であるVクリスタル。これが千駄ヶ谷の狙いだった。
「さて、長居は無用じゃ。さっさと引き揚げるとするかのう」
「そこで何をしているっ!」
トランクを閉じた千駄ヶ谷の背後から声が響いてくる。
数人の警備兵が倉庫の入り口に立ち塞がっていた。
着地の瞬間、膝のサスペンションが衝撃を吸収する。
殻太は機械の体の性能に、素直に驚いた。
(四階から飛び降りても無事とは、すごい体になってしまったな…)
改造される前は番長能力を持たない一般人であった殻太は、素直に今の自分の能力に驚いた。
殻太は周囲を見回した。
前方にコンクリートで固められた排水路が見える。ここまでくれば脱出まであと一歩だった。
あとは目の前に見える排水路を伝って、ここから逃げ出すだけである。
殻太が走り出そうとした時、左側から轟音が響いてきた。
豪巌帝国の主力兵器。番長戦車だ。それも、とてつもない大きさの番長戦車だった。黒い巨体をそびえさせて突き進む番長戦車は、たとえようもない威圧感があった。
高さは研究棟の二階に届くぐらい、横幅は六メートル程もありそうだった。肥大した重量を支えるために脚部は六本足に増やされている。殻太が今までに見たことのある番長戦車よりも、ふたまわりは大きく見える。
六本足をばたつかせて突き進む様はどことなくこっけいではあったが、砲塔部のず太い砲身が放つ凶悪な光が緊張感を呼びさます。
ゴライアスW。第八十一研究棟に配備された、最強のガードシステム。それが、この番長戦車に与えられた名前であった。
「ゴライアスが目標と接触。交戦開始しました」
オペレーターが緊迫した声をあげる。
「手足の2、3本は破壊しても構わん。絶対にヤツを逃がすな」
糊粉が檄を飛ばす。ひと安心といった表情のオペレーターたちの顔が引き締まる。
モニターの中には、殻太に向かって容赦ない砲撃を加えるゴライアスの姿が映っている。しかし、どの攻撃も直撃には至らない。殻太は常人とは思えない動きで、次々と襲い掛かる弾丸をかわしている。
(俺がゴライアスに乗っていれば、瞬時にしとめることができたものを)
管理部長という立場では、前線に立つこともままならない。このような席に座っていては、自分の番長能力も役に立てることができなかった。苛立ちまぎれに糊粉は歯噛みした。
「戦闘支援システムとゴライアスをリンクさせろ。ありったけのデータを送ってやれ」
目の前の出来事に対して、できるだけのことをする。実践部隊あがりの糊粉ができる最善の判断だった。
ゴライアスは土煙をまきあげながら六本足でドリフトして、殻太と排水設備をさえぎった。
ターレットが殻太のいる方向を向く。警告ひとつ発せずに四十四mmの番長砲が火を吹いた。
ゴライアスから砲弾が発射された瞬間、殻太の脳内で分泌されたノルアドレナリンを検知した電子番長頭脳がブーストシステムを起動した。
起動したソフトウェアが機械の体のリミッターを瞬時に解放する。リミッターの解放は、同時に殻太の身体機能を数百倍に増幅した。
(見える…!?)
強化された知覚神経が、初速五百番長km/hを越える弾頭をコマ落としで捉える。
殻太は地を蹴って横へ跳ぶ。直後、背後で着弾を示す轟音が鳴り響く。
ゴライアスへと目を向ける。黒い砲塔がゆっくりと殻太の動きを追う。
砲撃の瞬間に殻太はダッシュを開始した。
再び背後で爆発音が轟く。
(行ける。このまま排水設備へ…)
殻太は一気に加速して、次々と飛来する砲弾をかわした。
ゴライアスの脇をすりぬけるため、一気に主砲の死角に詰め寄った。
ゴライアスの横を突っ切ろうとしたとき、視界いっぱいに黒いものが広がった。
それが何かを理解する前に、すさまじい衝撃が全身を襲った。
「ぐはぁっ!!」
番長戦車の放った蹴りが、殻太を勢い良くはじき飛ばした。直撃をくらった殻太は、研究棟の壁に叩きつけられる。砕けた壁の破片がばらばらと殻太に降り注いだ。
瓦礫に埋もれた殻太にむけて、ゴライアスが番長砲の照準をあわせた。
「千駄ヶ谷博士。こちらで何をしておられるのですか?」
保安部員の隊長らしき男が、一歩前に出て千駄ヶ谷に詰問する。
「なに、ここを引き上げることにしたのでな。手土産でももらってこうと思ってのぉ」
千駄ヶ谷は悪びれもせずに返答すると、出口に向かってトランク片手にすたすたと歩き出した。
「動くなっ」
保安部員達が、手にしているショットガンを千駄ヶ谷に向けた。装填されているのは弱装のスタンゴム弾ではあるが、ひ弱な老人相手には充分すぎる威力を持っていた。
千駄ヶ谷の足がぴたりと止まる。
保安部員の一人が拘束具を手に千駄ヶ谷に詰め寄った。
ゴンッ!!
突然、金属がぶつかり合う重い音が倉庫内に響き渡った。
千駄ヶ谷を除く全員の目が、音の発生源に向けられる。
倉庫内に並ぶコンテナのひとつから、腕が突き出していた。その腕は人間の腕を模した機械で形作られていた。
異様な光景に保安部員達の視線が釘付けになった。
鋼鉄の腕がするするとコンテナに引き込まれた。次の瞬間、コンテナの側面が内側から引き裂かれる。めりめりと音をたてて合板がはぜると、コンテナの隙間に詰められていた緩衝材があたりに飛び散った。
コンテナの中から人影が現れる。メタリックブルーの人影の胸にVの文字が赤く輝いていた。
保安部員達の思考がパニックに陥った。
(逃走中の番長兵器が、なぜコンテナの中にいるんだ!?)
人影が保安部員達の視界から消えた。消えた人影を捉えるよりも早く、千駄ヶ谷のそばにいた保安部員の一人が壁に向かって叩きつけられる。
「ぐべぇっ!」
哀れな保安部員は壁に血の後を引き摺ってぴくりとも動かなくなった。目にも止まらぬ速さで動いた人影の仕業である。
やっとのことで状況を理解した保安部員達が千駄ヶ谷に向けて発砲した。再び人影が素早く動くと、ショットガンの射線と千駄ヶ谷の間に立ち塞がる。
千駄ヶ谷に向けて放たれたゴム弾頭は、人影に命中するとあっさりと弾き返された。
ゴム弾頭ごときではバンチョニウムの装甲に傷ひとつつけることが出来ない。
「逃げろっ!てっ、撤退だ!」
恐怖にかられた保安部員達が逃走を開始する。
「一人も逃すな」
千駄ヶ谷が人影に向かって短く呟くと、殺戮が始まった。
「目標の戦闘能力を奪いました。ゴライアスの損傷は軽微であります。作戦行動に支障なし」
興奮ぎみに報告を上げるオペレーターに、糊粉は冷静に指示を下す。
「もう一発撃て」
「しかし、目標は…」
オペレーターが瓦礫に埋まった殻太に目を向ける。
「あれはそんなにヤワじゃない。手足の一、二本は破壊しても構わん」
「わ、わかりました…」
ゴライアスに射撃指示を送ろうとしたときに、発令室の一角で大きな声が発せられた。
「なにがあった。応答しろ」
オペレーターの一人がマイクに向かって怒鳴り声を上げる。
異変を感じた糊粉がオペレーターに近づく。
「どうした」
「いえ、その…。地下倉庫で何かあったようなのですが。現場の保安部員が連絡を絶ってしまったのであります」
オペレーターはしゃべりながら手元のパネルを操作して、カメラに映る映像を次々と切り替えていった。
(地下倉庫…)
糊粉は、そこに何があったか思い出そうとするように頭をひねった。
「目標の番長力反応増大!急激に上がっております!」
オペレーターの声が糊粉の思考を打ち切った。
「撃て。全弾、目標に向けて斉射しろ」
糊粉の実務屋的なカンが素早く判断を下す。
(僕は…死ぬのか…)
瓦礫に埋もれながら殻太は自問した。
あまりに一瞬のことで自分の身に何が起こったのかも分かっていない。瓦礫に埋もれていることすら本人は気づいていなかった。
全身に激痛が走り、指一本動かすことが出来なかった。本来は機械の体の破損状況を伝えるだけの痛覚信号であったが、今は殻太にとって過負荷状態であることが明らかだ。
痛みが殻太の意識を朦朧とさせる。
両親の仇も討てずに、自らも機械人形に作りかえられてしまった。
殻太は苦痛に包まれたまま、運命に翻弄されるだけのわが身の弱さを呪った。
(ここまで、なのか…)
急速に薄れていく意識の中で、殻太は体の内に湧きあがる力を感じた。
力強い真紅の輝きを感じると、殻太の心は不思議と落ち着いた。
(君は、誰なんだ?)
胸の奥に感じられる輝きに殻太は問いかけた。
(どんな時でも希望を捨てるんじゃない)
その声は湧きあがるような力強さと、暖かく包みこむようなやわらかな雰囲気を持っていた。にもかかわらず、その声はどことなく寂しげに感じられることを殻太は不思議に思った。
(おまえに力を貸すぞ)
殻太は、謎の声の返答と共に急速に体の内側から湧きあがる力を感じた。それと同時に前方から近づく、憎しみのこもった力を感じとる。どちらも同じ力なのに、そこに込められた思いが違うことをおかしく思いながら殻太は意識を失った。
「全弾、目標に命中しました」
モニターに映し出される光景をオペレーターが糊粉に告げる。
研究棟の壁は、殻太が蹴りこまれたときよりも破壊の爪跡を広げている。番長砲の直撃を受けた壁は大きくえぐりとられ、辺りに舞う土煙が惨状を物語っていた。
だが、糊粉は異変に気がついた。周囲の被害があまりにも少ない。ゴライアスの火力ならば研究棟への被害はもっと甚大なものになるはずだった。
「カメラ、切り替えます」
オペレーターの声が糊粉の思考を打ち切った。
発令室内の全員の目がモニターのひとつに集中する。ゴライアスのメインカメラが捉えた映像を表示するモニターである。モニターの視界は、画面いっぱいに土煙で覆われてた。
オペレーターの一人がモニターの映像を拡大する。モニターの映像が組み合わさり、一台のカメラが捉えた映像が大写しになる。
モニターに映った砂煙が、ゆっくりと風に流されて薄らいでいく。
発令室にいる全員が目が、煙のむこうから現れた人影に向けられた。
番長戦車の蹴りを受け、さきほどまで瀕死だった少年がそこに立っている。だが、殻太の姿はなんの変哲もない学生服から、輝きを放つメタリックブルーの装甲へと変化していた。
糊粉には、それが何を示すかが充分に理解できた。
「改造番長…」
糊粉のつぶやきと同時に、ゴライアスが攻撃を再開する。
改造番長の胸に真紅のVの文字が赤い輝きを放つ。
ゴライアスに内蔵された自律型戦術電子番長頭脳が敵の姿を捉えると同時に、砲身が轟音とともに火を吹いた。
番長力のこめられた弾丸が砲身から飛び出した。四十四mm水平連装式拡散番長砲から放たれた弾丸が改造番長に迫る。標的もろとも校舎を破壊しかねない勢いで砲弾が広がった。
改造番長は動かない。
ふりそそぐ弾頭が周囲を瓦礫の山へと変える。崩れた校舎が、再び周囲を土煙で覆った。
射撃を終えたゴライアスが索敵を行う。ゴライアスに搭載された番長力センサーがカウンターの数字を跳ね上げた。
改造番長は死んでいない。
青い人影が土煙を裂いて現れた。煙の中から真紅の双眸がゴライアスを睨む。
改造番長はゴライアスにむかって、猛烈な勢いで疾走を開始した。
ゴライアスの十二.七mm番長機銃が軽快なスタッカートを奏でながら弾丸を吐き出した。
改造番長には当たらない。
機動予測計算と砲塔の旋回速度と初速九百番長km/hの弾速を総動員しても改造番長を止めることはできなかった。
改造番長が疾走しながら、右肘を九十度に曲げる。肘の先端部のブースターが白い炎を噴く。突進する改造番長がさらに加速した。
ゴライアスの自律型戦術電子番長頭脳は敵が搭載兵装の死角に入ると同時に、ひとつの答をはじき出した。
改造番長には勝てない。
改造番長の拳がゴライアスの前面装甲を突き破った。
「自爆装置だ」
糊粉の声でモニターに見入っていた一同が、一斉に声のしたほうへと振り向いた。
「ゴライアスを自爆させろ」
モニターの向こうでは、すでに戦闘能力を失ったゴライアスに改造番長が容赦のない攻撃を加えていた。
前面装甲を突き破った右腕に、左腕を添えて一気に車体下部を引き裂く。
ゴライアスの屈強な脚部が膝を折った。左手で砲身をつかんで砲頭部分に手刀を叩きこむ。三撃目でゴライアスの砲塔部分がぱっくりと割れた。
必死に車体を支えようとする後ろ足に手を伸ばす。車体に足をかけて踏ん張ると、あっさりとひきちぎられた
噴き出すオイルが血飛沫のごとく宙を飛び、鋼鉄の軋みが断末魔の叫びのごとく鳴り響いた。
一撃を繰り出すごとに、ゴライアスは確実にスクラップへと近づいている。
鬼神のごとく暴れる改造番長を見たオペレーターたちは、恐怖のあまり全身が凍りついたように動きを止めた。
「急げ!」
糊粉が檄を飛ばす。
「は、はいっ!」
オペレーター一同がコンソールパネルに向き直る。キーボードに指を走らせて自爆シークエンス起動の操作を行う。
「シークエンス3。クリア」
「シークエンス2。クリア」
「シークエンス1。クリア。カウント5秒前から入ります」
モニターのひとつに数字の5が写し出される。
糊粉はオペレーターたちの状況対応能力に呆れ果てた。
(これを見ても所詮は他人事だと思っているのだろうな)
糊粉は指揮官席を跳び越すと、コンソールパネルへ駆け寄る。自爆装置のスイッチを覆うフェイルセーフの上から、握った拳を振り下ろした。
直後、爆散するゴライアスの放つ光がモニターを白く染めあげた。
静寂に包まれた地下倉庫から廊下へと一歩、足を踏み出す。
廊下は、床一面に血の海が広がっていた。
「た、たすけ…」
保安部員の一人を青い装甲服姿の男が、右手で壁に押さえつけていた。千駄ヶ谷は男の声を気に止めることもなく、すたすたとその場を通りすぎた。
背後で柔らかい物を握り潰したような音が響く。何かが床に投げ出されるどさりという音が続いた。
足もとの血だまりを避けながら、千駄ヶ谷は背後に向かって呟いた。
「まったく。散らかしすぎじゃわい」
千駄ケ谷は、自分がひと働きしたかのように大きく体を伸ばして唸った。
「さて、行くとするか。もう、ここには用事もなくなったことだしのう」
千駄ケ谷の背後に、物言わぬ青い人影が従った。
事後の報告の全てが糊粉にとって頭痛の種となった。
「AOB―001Vはゴライアスの爆破後、排水溝へ落下。現在、その身柄を捜索中であります」
「AOB―001Vとの交戦中にありました地下施設からの警報ですが、原因は千駄ケ谷博士が引き起こしたものと判明いたしました。秘匿していた番長兵器とともに、保管されていた十一個のVクリスタルを奪って逃走いたしました。現在、身柄を捜索中であります」
部下達の報告を黙って聞いていた糊粉だったが、その心中は穏やかではなかった。
「つまり、AOB−001Vは取り逃がし、千駄ケ谷はその騒ぎに乗じてまんまと逃げおおせたわけだ」
糊粉は歯をぎりぎりと軋らせながら、怒気を含んだ口調で答えた。
「はい、その通りであります」
実直そうな顔つきの部下が返答する。
糊粉の怒りが爆発した。机に拳を叩きつけて怒声を発する。
「いいか!草の根分けても探し出せ。ヤツらをこの東北地区から逃がすんじゃないぞ。絶対に見つけ出し、速やかにここに連行しろ!わかったら、全員とっとと捜索を開始しろ!行け!」
「りょ、了解しました」
一同が席を立って退室してから、糊粉は席について片肘を立てて頬に当てた。
(それまで俺が生きてここにいられるか疑問だがな…)
地下水路を流されながら、殻太は夢を見ていた。
(僕は…まだ、生きているのか…)
殻太の胸の中で小さな灯火が瞬いた。
(どんな時でも希望を捨てるな。勇気があれば、何にだって立ち向かっていける)
小さな明りの向こうから、声が聞こえる。
(希望…勇気…)
殻太は、ぼんやりとした意識のなかで二つの言葉が響くのを感じた。
(そうだ。諦めないことが、お前の力になるんだ)
強さと優しさ。声の主は父でもあり、母でもあるように思えた。
(諦めない…)
やがて殻太の心と体は濁流に飲みこまれた。
だが、胸の小さな灯火は殻太の心を照らし続ける
それは、とても小さくか細い明りだったが、暖かく柔らかい輝きを放っていた。