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|  御本尊安置のお厨子 正面の厨子の中にはその昔よりの本尊が安置され、代々の天皇の勅願所として御皈依深く歴朝の御即位式に勅使差遺せられて御開帳する習いになっております。 江戸初期後水尾上皇院宣を賜い当寺が再興され行幸遊ばされていますがその時右方掲ぐる寺号の勅額を賜り且つ正面の御厨子はその中宮東福門院(家康公の御孫、千姫の妹君)のご寄進で龍神守護の御本尊に因んで龍の絵と彫刻が多く見られます。 | |
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 | 安徳天皇御幡箱 | | 建礼門院御影 | |  |
| 織田信長の弟、有楽斎(有楽流の茶祖)の孫長好が安徳天皇の御衣で縫われた旗(幡)を納める箱を寄付。 | | 壇の浦の戦いで平家は破れ、建礼門院は入水されるが助けられ、当寺に入り5月1日出家されました。時に御年29才。その時の御影で、建礼門院の御影の古いものは他に類をみず、源氏の目をはばかり、墨を塗り隠しまつられてみたものです。 | | |
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| | | 建礼門院徳子法尼尊像 | |
| | | 建礼門院御落飾時の御影(御歳29才)は極めて貴重な資料とされるが年古く顔面も落剥して、常時展観に供することがあやぶまれるため、これを複製して木像に彫刻したものです。史上類例のない女院の数奇な一生を偲び、終には御仏の、み袖にすがられた御姿に心からなる追悼の誠を捧げられたいと希うものであります。(松久朋琳謹製) | |
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| 安徳天皇御衣幡 | | 一遍上人像(重文) | | |
| 文治元年(1185)五月一日に建礼門院は当時の印誓上人を戒師として剃髪された。その時に建礼門院は、同年三月に壇の浦で入水されましたが、わが子安徳天皇がいまわのきわまで召されていたと言う形見の直衣を御布施とし、自ら幡に縫われ御菩提を弔われた。平家物語にも記される建礼門院の唯一の貴重な御遺宝であります。 | | 応永二十七年(1420)慶派大仏師、廿代康秀作、時宗元祖一遍上人像、1301年、時宗総本山金光寺創建の折、その敷地を寄進した七条仏所の当主運慶の三男、第十代康弁以後二十一代まで仝寺に住し時衆(一遍の信奉者)として製作に精進したと言う大仏師達に依て遺された時宗初期の歴代上人像八体の内の一体で、運慶の作風を伝える貴重な像と言われております。 | | |
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|  | |  布袋尊像 鎌倉初期禅界の巨匠、東福寺開山聖一国師が三国の土をもって造られたと言う布袋尊像は、広く日本に祀られたという布袋の模範像であり、作風は全く粗野なものであるが、その”笑い”はいづれの布袋像にも見られないほど立派なもので、またこの像は泥像(土をこねたままで焼いていない)であって、今日まで保存されていることも珍重であります。 | |
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| 安徳天皇御影 | | |
| 安徳天皇は平清盛の娘、建礼門院と高倉天皇との間にお生まれになり、三才で即位されるが、壇の浦の合戦で祖母に抱かれて入水、わずか八年の非運なご生涯であった。独楽を回して遊ばれる天皇の御影としては異例のお姿に描かれ、一層あわれを誘うものであります。 | |  | | | |
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| | | 建礼門院御塔 | |
| | | 源平戦のあと、元暦2年(1185)5月1日建礼門院がこの寺に入り阿証房印誓につき御髪をおろさせられた名残の御髪塔ともいい、また読みもの系平家物語に、女院は貞応2年(1223)春鷲尾に於て67才を以て遷化されたとも亦鷲尾に御遺骨を納めたとも伝わります。 | |
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