(続)あじあ号保存について

コマースクリエイト且ミ長 森下 雅喜

   1999年11月号に「あじあ号」のことを書いたところ、多くの方々から問い合わせをいただきました。その後調べてわかったことを含めて、経過を報告します(「あじあ号」は、旧満鉄時代に、ハルビン−大連間800キロを約10時間で走っていた、当時世界最速の列車)。

一、微妙な存在ゆえに

   1997年4月に、関西遼寧協会の役員が、「あじあ号保存」と「大阪−瀋陽直行便の開設」について、外務省に陳情を行った。その時の外務省の見解は、「あじあ号は、歴史的に非常に微妙なものなので、日本政府から中国に申し入れることはできない。もし中国側から資金援助等の要請があれば、なんらかの形で対応したい」というものでした。

二、中国でも足踏み

   その後、遼寧省政府筋の人に、この内容について何回か話をしました。彼曰くは、「歴史的評価として矛盾を持つ内容だから、政府筋から言いだすことはできない。しかし民間(鉄路局)では、用地も確保し、保存する準備をしている」とのこと。

三、ついに動き出す

   1999年6月に、関西遼寧協会の訪中団が瀋陽を訪れた際、蘇家屯の鉄路博物館を見学しました。その時、蘇家屯区政府および蘇家屯旅遊観光局が「蘇家屯に、鉄道の歴史を展示し、人類が生み出した産物を展示し、家族みんなで楽しめる<瀋陽蒸気機関車博物館>構想」を示し、諸外国の援助を要請しました。関西遼寧協会単独でできる事業ではないので、そのような計画についてニュースなどで宣伝しました(博物館建設計画は『北京かわら版』編集部にありますので、必要な方はお申し付けください)。

四、その後調べてわかったことは、以下の通りです。

@ある大手H社関連の人は、瀋陽鉄路局に依頼されて、あじあ号整備・保存技術指導に取りかかろうとしている。
A瀋陽では、事業主体が二つに分かれているようだ。すなわち鉄路局を中心とするグループと、蘇家屯区観光局を中心とするグループ。この両者の調整がすっきりしていないので、順調に進んでいない。鉄路局は東陵公園近くに用地を確保し、蘇家屯区観光局は蘇家屯に用地を設定している。
B鉄路局を中心とした事業主体が、東陵公園近くの用地で建設に取りかかったらしい。

五、今後について

   以上のような経過なので、現段階では、こちらとしては動きようがないだろうと考えています。多分、中国の事業主体側は、諸外国の非常に多くの人々に声をかけているものと思われます。ただし具体的ではない「一般的援助要請」が多いようです。

   「あじあ号」が錆び落ちていくのを見ながら、単なる郷愁ではなく、「何とか残せないだろうか」と考えている日本人は多いと思います。私の単純な思いは、「六十年前のあの時代に、人類はあれだけの機関車を作り出した」「その時、日本は中国に侵出して戦争をしていた」という歴史教材になるだろうということです。そういう材料を使って、諸外国も含めた各地から見学客が来て、瀋陽の町が潤えばなおいいとも考えます。

   事業主体を一本にして、具体的な出資方法と見返りを提示し、広く民間の個人に呼びかけが行き渡るような計画を組めば、必ずや成功する事業であると思われます。

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