北京雑感

「100号を迎えて」

「北京かわら版」編集顧問 根箭 直子

   2000年の1月号でこの『北京かわら版』も100号を数えることとなりました。創刊が1987年の11月ですから12年間続いたことになります。
   第43号(通刊78号)の「北京雑感」で櫻井澄夫氏が触れられておりますように、最初は前編集長の根箭がほとんど自分の趣味で発行を始めた個人新聞で、もともと印刷・出版の分野に関心のあった彼が、いろいろな方達を巻き込みながら(中には心ならずも、という方もあったかもしれません)、購読料も無料なら原稿料もなしという、採算も度外視のユニークと言えばユニークな北京で最初の個人の手による情報紙でした。北京に暮らす外国人として、日本人だけを対象とするのではなく様々な国の人ともつながりを持ちたいと、最初は英語版も発行していたのですが、日本語版のものをそのまま英語に訳すだけでは記事の内容に限界があり、21号までで終わりました。英語版については一度、最初の頃だったと思いますが、英文の間違いを赤で添削したものが返ってきたことがあります。「一応読んでくれているんやなぁ」と喜んだ(?)思い出があります。
   最初の頃のものを読み返してみますと、その記事や広告の向こうに当時の駐在員の方々の様々な苦労が浮かび上がってきます。この『かわら版』の発行にしても、今でこそパソコンの普及で記事の入力から印刷まで全工程を北京でできるようになりましたが、最初は日本で印刷したものを北京に送っていましたので、費用も時間もかかり大変でした。
   この「北京雑感」は根箭が最も力を注いでいたコラムで、闘病中も「次の雑感は何を書こうか」とベッドの上でよく考えていました。私はしばらく日本でレイアウトの作業などを手伝っていたのですが、根箭の病室のベッドの傍らでレイアウトをした第43号が、私にとっての最後の『かわら版』という感じがします。
   時代は移り、日本人をとりまく北京の状況も大きく変わりました。また、『かわら版』の読者の方も日々変わっていきます。そして、編集部も若い人達に引き継がれました。どうしたら、おもしろくて読み応えのある質の高い記事を読者の皆様にお送りできるか、これからも編集部では模索しながら努力していきたいと思います。皆様の忌憚のないご意見、ご要望などをぜひ編集部にお寄せ下さいますよう、これからもよろしくお願い申し上げます。


※第43号(通刊78号)……『北京かわら版』は、通刊36号から通刊79号までは、「北京かわら版クラブ」の会報誌としての役割を果たしていた。その会報誌としてスタートが第1号(通刊36号)に当たる。「北京かわら版クラブ」は、活動休止中。

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