高級マンション購入顛末記(番外編)

北京不動産事情今昔

香港浩平国際有限公司北京代表処
池田 直隆、池田ひと美


日本人にとって、北京の不動産事情は複雑でわかりにくい。言葉の問題もさることながら、習慣の違いが大きく関係している。第72号(97年8月)から第97号(99年10月)まで、22回に渡り「高級マンション購入顛末記」を執筆して下さった池田ご夫妻から、「北京不動産事情」の現在と過去を総括していただいた。

はじめに
   1970年代、そして80年代初めは、外交官を除くと家族で住める住居といえば海淀区にある友誼賓館しかなかった。この頃の様々な苦労話は尽きないが、紙面の都合で紹介は省略したい。北京に住む外国人にとっての不動産事情は、一言でいえば、「需要と供給」のアンバランスといえる。それに加え、「外国人お金持ち、中国人貧しい」という論理からくる価格の二重構造の問題であろう。

『かわら版』創刊(1987年)当時
   その時期以前は、住居の選択肢はなく、友誼賓館が確保できるかどうかであった。住宅の絶対的不足から、家賃も好き勝手に値上げされた。一九80年初め、3ルームで月額28万円、その後50%値上げで42万円となった。一家族で2−3ユニットを確保しているのが通常で、我が家は月額75万円の家賃を支払っていた。駐在員の人件費よりも高い家賃というのが常識であった。
   『かわら版』創刊の頃から、麗都マンションや光明公寓、天壇公寓等が建設され、従来の駐在事務所の身元引受人的存在であった「接待単位」といった公司の介在なしでも住居を選択できるように変化した。しかし、友誼賓館時代の家賃がベースとなっていた。また、まだまだ住宅の供給が需要を大きく下回っており、どの住宅も駐在員を派遣している会社の資本力がなければ入居できない高いリース料であった。

1990年代の不動産事情
   八九年に帰国し、我々家族が2回目に北京に来たのは93年である。92年末に北京へ来て住宅を探した。「天安門事件」の影響でその頃建設された京城大廈の家賃は比較的低く、196uのユニットが3700米ドルで、この価格であれば本社も了解してくれた。しかし、93年の来京時に契約した際には、家賃はすでに5300米ドルとアップしていた。2年後契約更新の際は、8600米ドルまで引き上げられた。「天安門事件」の影響も収まり、韓国はじめ、外国人が急増し始めた北京の不動産は、なお売り手市場であった。

供給過多の現在
   アジアを始めとする金融危機の影響で、日本、韓国など多くの外国人が北京を離れていった。一方、外国資本がマンションを建設し、これを売買できるという中国の開放政策により、雨後のタケノコのようにマンションが建設された。しかし現在需要がなく、建国50年以来初めて相対的な供給過多という現象が起こっている。住宅が商品として登場し、交換価値を持つものとなった。中国の庶民にとっては潜在的に需要があるが、まだ高嶺の花であり、使用価値を有さず、商品となり得ない矛盾が生まれている。外国人にとっては、価格と品質のアンバランスで北京の不動産はまだ購入の対象とならない存在となっている。いわゆる「外銷房」といわれる高級マンションの光熱、水、温水費は、一般住居でなくホテル並み料金が適応されている。また管理費は最高で4米ドル/u。我々家族が住んでいるところは従来7.8元/uであったものが、今年から6元/uと引き下げられた。ちなみに中国人向け高級マンション「内銷房」は3.3元/uで、価格の二重構造はなお存在している。

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