中国を繙く35

「支那」は本当に悪くない言葉か(12)

櫻井 澄夫

(前号より続く)

六、結論
   このように「シナ」にまつわる問題はまだまだあろうが、私なりの結論を急ごう。これまで見てきたように、蔑称か否かという問題は「支那」という地名自体が言語構造的に内包しているのではない。その点では、「支那」や「支那人」は、「東洋鬼」や「小日本」とは性格を少々異にする。しかし、呼ばれる相手が理由の如何を問わず蔑称と感じ、その理解が相手方一般に広まっている以上、一方のみから使い続けるのはもはや困難であり、やめるべきである。これが日本人が中国を支配し、侵略した歴史を相手に思い起こさせるものであるならなおさらである。つまり「シナ」の語義は、否応なしに両国間の歴史が作ってしまったのである。従って「支那」の使用には両者ともに利益がないと考える。もちろん問題の根本的解決には、この地名の使用をやめることのみではなしえず、相互の蔑視をやめる努力に傾注するしかない。蔑視や差別や好ましくない過去がなければ「シナ」も単なる地名として使用されていたはずなのである。英語のChinaと同じように。
   もう一つ言うと、中国のテレビドラマにしょっちゅう登場する「日本鬼子」という言葉も、考えてもらいたいものだ(私の知っている、日本のある大学に勤務する中国人〔夫婦とも中国生まれの純粋の中国人〕が、子供さんを中国の学校に「留学」させたところ、同級生の生徒たちから「小日本」とからかわれたという例を紹介している)。差別の構造と種子は双方に存在している(中国のテレビが、一般中国人のあまり知らない「支那」を、出演の俳優に最近よく使わせているのは、I氏の発言の「効果」であるのではないかと思う。このようにして「支那」は昔の中国人より、現在の中国人により知られてきているのではなかろうか。これがI氏の希望した現象なのだろうか。この問題は予想もしていなかった方向へ広がりを見せ始めているようだ)。
   次に、日本人も中国人も今少しこの問題を学ぶべきである。中国人はこれが日本人によりもっぱら使用された言葉であり、日本を知らぬ中国人の語彙にない言葉である以上(私の知り合いの、日本語を専攻し、大学を十五年ほど前に卒業したある中国人は、「支那」という言葉を、卒業するまで知らず、卒業後ある偶然の機会があって知ったそうである。一般の中国人の「支那」についての知識は推して知るべしであろう)、日本語文献などをもっと繙き、その実例や歴史をしっかり学ぶべきである。この五十年の中国での「支那」の研究は厚みがない。特に日本語を理解する人たちによる研究、調査が不足している(先日の「人民日報」の「支那源流考」のかなりの部分は、ことわっていないが、驚いたことにさねとうけいしゅう氏の古い著書をもとにしているのに気付いた。中国側にそれを上回る研究が長い間ないのがわかる)。
   過去の歴史を云々するなら、自らも日本人にまけない徹底した科学的歴史研究と学習をすべきである。それでこそ説得力をます。シナ派を論破するほどの豊富な資料と研究、客観的態度が欲しい。不勉強から組み立てられた論は、説得力を持たず、相手から「ためにする」論と批判され、逆差別と指摘される。これでは相互理解は望むべくもない。
   幕末に、日本にやってきた西洋人が飲む赤い飲料を見て、日本人が「西洋人は、血を飲む」と震え上がったという逸話がある。この様な種類の誤解は、次の大きな誤解へとつながりかねない。
   一例をあげるなら、過去における、おそらく数千、あるいは数万に達する「支那」という文字をタイトルとする日本人の中国に関する著作を前にして、これらすべてが、中国人蔑視に基づく著作などとは誰にも言えないことを重ねて指摘しておきたい。中国大好き、中国かぶれ、中国支持者たちをも、「差別主義者」などと呼ぶのは、歴史を学ばぬものの言である。「味方」を「敵」にしてはいけない。
   そういった点で、去る十一月十六日の「北京日報」の読者からの、「映画で使われる『支那』というのはどんな意味か」という質問への同紙の回答として書かれた、「支那源流考」も、ラフな記述であり、正確さを欠く(「人民日報」をもとにしているので、これもさねとう氏の記述を、そのことに触れずに再転用している。たぶん北京日報の記者は、人民日報の記述のかなりの部分が、さねとう氏の著書から書かれていることを知らないのであろう)。その他にもこの文章には意味不明のところがあるので、恐らくこの文章も、これからシナ派の批判を浴びるだろう。
   現代の日本人も勉強不足である。一部の人々の傲慢さは目に余る。当時の生の資料に当たることもなく、庶民の心を知らず、学者や政治家の一方的な理屈で押し切ろうとする。若い人の中に、この様な考え方に追随する人がでてきているのは注意すべきである。日本の学者やマスコミもI氏については報道するが、「支那」については何も具体的には書かない。意見がないのだろう。
   また日本政府は、石原氏の発言に対し、これが政府の公式見解でなく個人的意見と言っているが、それなら公式見解は何なのか。ただ「支那」は蔑称であり、好ましくないという「見解」だけでいいのか。解説があまりに簡単過ぎるのではないのか。「シナ」が好ましくないのなら、東シナ海、南シナ海はどうするのか。しっかり説明していただきたい(日本共産党のホームページ「しんぶん赤旗」一九九九年四月二十九日の、「『シナ』という言葉が差別的とは?」の回答も、あまりに単純で、内容に乏しい。一般庶民の「シナ」使用の歴史などには全く触れておらず、勉強していない。事典の丸写しのように見える)。
   なぜならこれは未解決の古くて新しい問題であるからだ。この際一気に掘り下げて議論し、膿を出し、相互の理解を進めないと、誤解、中傷、矛盾に満ちた日中関係の棘の一つにもなりかねないと、思うのだ。この問題はすでに一〇〇年近くも議論が続いている。いったいこの後何年議論し続けるつもりなのか。誰かが一歩を踏み出し、溝を埋めるべき時期が来ているように思う。
   言うまでもなく「支那」はほんの一例にしか過ぎない。相互理解というものは、体力(根気)と知恵(主体的学習)と気力(意志)の勝負。どれが欠けても成就しない。相互理解を目的とした文化交流というものも、芸能や絵画展やお茶やお花ばかりではなかろう。きれい事ではすまされない、厳しい目的を持ったテーマも、もっと積極的にメニューに加えるべきと考える。それを必要とするくらいの緊張関係が日中間にはまだ潜在的に存在すると思うからだ。政治問題化する以前の、歴史研究、あるいは文化交流、相互理解が「支那」に関しても今求められていると思う。(連載第七回での、高島氏が著書の中で、竹内好氏にについて紹介していない、という部分は正しくないので、訂正します)

(完)
*「中国を繙く」はまだまだ続きます。

PROFILE

SAKURAI Sumio


『北京かわら版』編集顧問。過去に、「中国でのクレジットカード」「北京カラオケ事情」「北京雑感」「北京の地名を歩く」「特別寄稿・毛沢東バッジの収集」「北京を愛した人」などを執筆。

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