diary01.gif        特集「中国の自閉症児たち」第4回(最終回)

前号に引き続き、「北京星星雨教育研究所」田恵平所長のご寄稿(原文中国語)を掲載します。田所長からは、「原稿を掲載できたこと」「読者からの支援があったこと」に対して、お礼の言葉を頂いています。

特別寄稿 私と「星星雨」(2)

                            北京星星雨教育研究所所長 田 恵 平  (翻訳 関口 美幸)

《プロフィール》
田恵平 TIANHUIPING
   四川外語学院でドイツ語を専攻。86〜92年、重慶建築工程学院管理工程学部で教鞭を取る。その間、西ベルリン政府管理学院にて公共行政管理学を学ぶ。自分の子供が自閉症だと知ったことをきっかけに、自閉症児の教育施設設立を決意。93年に中国で唯一の自閉症児専門民間教育機関「北京星星雨教育研究所」を設立。

(前号より続く)

三、困難はいつでも「星星雨」に付きまとう

3、社会条件の困難

  「自閉症」は、中国では知られていない概念だった。九三年に星星雨を設立した時、中国全土で自閉症の診断ができる医者はたったの三人だった。国外の統計によると、中国には少なくとも五〇万の患者がいるが、早期に診断をくだされた幸運な患者は無に等しかったのである。
  「診断」も中国人にとっては目新しい。病気になって医者に行く習慣はあっても、病気に「教育」が必要だとは考えている人は少ない。だから子供が「自閉症」だと診断されても、父母が医者、中医、西洋医、鍼灸、気功、神仏祈願などに頼るだけで、早期訓練の機会を失ってしまう。「自閉症」が認知されていない中国で、私たちの教育サービスを理解してもらうのは至難の業なのである

4、社会に受け入れられない中国の自閉症児の過酷な境遇

  自閉症児が直面する問題はたくさんある。まず第一に就学が難しい。中国には、自閉症児を受け入れる学校が少なく、都市のひと握りの子供が特殊学校に通っているだけだ。普通学校では障害のある児童の受け入れを拒否するため、大多数の自閉症児は就学できないからだ。中国では、就学の社会的保障が全くないのである。
  こうした現状が、「星星雨」のプログラムに参加する家族の自信を奪うか、あるいは短期間のプログラムで子供が完全に良くなるという希望を寄せることになる。高すぎる希望は、私たちの大きなプレッシャーとなっている。
  しかし、私が最も恐れているのは、社会全体が身体障害児の権益を全く尊重していない点である。よく聞く、「正常な子供ですら、まだ多くが就学できていないではないか」という言葉は、裏を返せば、「障害のある子供は就学できなくても構わない」ということである。こうした認識が政府役人や教師だけでなく、障害児の親にすら普遍的に存在しているのである。

四、希望が私たちの未来を支えている

  「星星雨」は、様々な困難に直面し、何度も絶望を味わってきたが、その度に必ず道は開け、希望が見えてきた。
numb031.gif、専門技術の面では、「星星雨」を設立してまもない頃、香港、台湾、日本、ヨーロッパの書籍や資料を入手し、中国や外国の親や社会各界からの援助を受けることができた。私自身も様々な資金援助を受け、ドイツ、オーストリア、アメリカで視察、学習、交流を行い、多くの国と地域の専門家たち、親たちと連絡を取ることができた。
  この他、九四年から台湾と日本の専門家が毎年「星星雨」を訪れ、教師の指導、訓練課程の規範化、最新情報の提供などのボランティア活動を行い、私たちの訓練レベルの向上の手助けとなっている。
numb032.gif、創立から現在まで、「星星雨」が頂いた各種の民間援助及び寄付金は百万人民元に達し、これらの援助が「星星雨」の一歩一歩の歩みを支えている。寄付金援助をして下さったのは、各地の親御さん、各界の人士、小中学生、外国の友人たち、また、「カナダ基金」、「ドイツ大使館クリスマスバザー会」、「日本人会婦人部」、「イギリス大使館」、「アメリカクラブ」、「スペイン語グループ」等、各種国外機構及び民間団体の皆さんである。
  このような援助を受けて、「星星雨」は、九七年二月に北京東部に三百平米の施設を購入し、四年間の漂泊の日々を終え、自分たちの家を持つことができた。
numb033.gif.「星星雨」設立当時と比べ、「自閉症」の概念は知られるようになった。これは「星星雨」が、数年に渡りメディアの注目を集めてきたことと関係があると思う。「星星雨」を報道した国内外の新聞雑誌、テレビ、ラジオなどのメディアは三百を超え、「自閉症」という言葉を中国社会に紹介した。「星星雨」が受け付けた約千の家庭のうち、六〇%が「星星雨」に関する報道で自閉症を知ったそうだ。
  私たち独自の統計によれば、全国の二〇人近い医師が自閉症の診断書を出したことがあるという。七年前、私が初めて北京に来て専門家を探した時は、医師たちは一様に自閉症は専門外だと語っていた。しかし今では一部の大学で自閉症専門の修士課程を設けているし、北京、上海等の特殊学校では、自閉症児の入学受け入れを義務付けている。その他、自閉症児の研究グループも成立していて、私たちに希望を与えてくれる。
  五〇万の自閉症児を持つ国に、一つの「星星雨」、二〇人の医師、十数の学校は、ほんの小さな力に過ぎない。しかし私たちは、中国の自閉症児に貢献してきた自分たちの歩いてきた道、実行してきた全て行動に誇りを感じる。
  中国社会の自閉症児への理解が深まってきた過程を振り返り、私はこう信じている。「今まで通り頑張りさえすれば、いつかはきっとうまくいく」「世界に孤独はない!」と。
―――理想と信念は決して消滅しない。      (おわり)

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  北京かわら版』にて、星星雨の活動を取り上げたところ、読者の方々からたくさんのご支援を頂きました。ありがとうございました。なお、田所長が『星星雨通信』に執筆した「私と息子「楊韜」」(翻訳)を電子かわら版特集に紹介しました。こちらも併せてご覧下さい。

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