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石橋崇雄教授の 『 大清帝国 』 を読む

櫻 井  澄 夫

   前号に「ロバートハート」のことを書いたが、上海にかってハートロードという道路があっせことを忘れていた。なんだか変だなと思っていながら、前に調べたこつをすっかり忘れていたのだ。歳とって記憶力が悪くなった。何とも情けない。
  書き忘れたことは、上海の静安区から普陀区にまたがる常徳路が一九四三年以前、ハートロード(HART ROAD)と名付けられていたことである。つまりハートさんにちなむ道路名は、北京、上海、香港にあり、北京は道路名の標識が現存、九海は今は改名され何もなし、香港では現在もこの名が使われているということになる。三つの大都市の異なる実状の「差」が、私には興味深く感じられたことを補足しておきたい。
  さて今回は、最近読んで面崇かった本について触れよう。この一月に講談社から出た石橋崇雄氏の『大清帝国』(選書メチエ・一五〇〇円)という本だ。国士舘大学教授である石橋氏は、祖父、父と三代にわたり、清朝史を研究するという変わった環境、経歴の持ち主で、その学識には当然深さが感じられる。おじいさんの石橋丑雄さんは長く北京に住んだ人で、私も昭和九年発行の『北平遊覧案内』(大連にあったジャパンツーリストビューロー刊)という石橋丑雄さんの本を持っている。この他、丑雄さんには、『北平の皆満教について』とか、『天壇』などという立派な著書がある。一言でこの本を説明するのは難しいが、「学識ある人が、素人にも興味あるテーマについて書くとこうなるのか」という読後感を持った。
  『大清帝国』は、一般にあるような清朝の通史や概説ではなく、著者が「あとがき」に書くように、「野話」である。この言葉には著者の幾分かの遠童が込められているようにも感じられるが、理屈なしにとても面白い。        
 柔らかいところからいくつか拾ってみよう。「北京語の起飴は清朝にある」では、北京語は漢族が創始したものではないと述べている。「旗袍と弁髪」では、現在の旗袍(チーパオ、チャイナドレスのこと)は、清朝旗人の夫人が用いた衣服のうち、冬の綿入れの形を普遍化したもので、漢族伝統の衣服ではない。清朝では、支配者層であった旗人と一戚漢人とは厳格に区別されていたため、一般の漢人の象徴である旗袍を着けることは原則として許されなかった、と書く。こういう本を読むと、中国文化への理解が深まり、レストランの小姐の美しいチーパオ姿を茜ても、これまでとは違う「感想」を持つ人が増えるのではないか。「やっぱり北方の足の長いすらっとした小姐の方が、チーパオが似合うのには理由があった」なんていう、自以流の「歴史」「文化」「風俗」の愛究の種本になるかもしれない。著還には不満かもしれないが。
  「ギョーザ(餃子)とヌルハチ伝説」では、これまで一般の辞書類では、餃子(チャオズ)をギョーザというのは、山東方言の音であるgiao-ziななまったものという説を示すことが多いが、語音としては満州語のgiykseの方が近く、十八世紀に書かれせ『御製増訂清文鑑』には、このgiykseに「餃子」の漢字表記があり、吹餃子にはhoho efenとあり、giyoseとは記していない。「giyose餃子」の項目には、「油で揚げたもの」の説明があることなどを指摘し、日本に入って広まった餃子が一般に焼き餃子であることを、満州族と日本人が多く住んでいた東北地方との関係で推測する。
  確かに日本の餃子は一般に焼き餃子であり、これらが鵜まったのは、戦後すぐ大衆食堂などで旧満州(東北地方)からの引揚還が作ってからだという説がある。また現在の中国の鍋貼(焼き餃子)は、水餃子をただ焼いたものとは形が本来違うという意見もある。皆さんご存じのように現在の中国では、「餃子」(チャオズ)は日本で言うところの餃子(ギョーザ)とは違い水餃子を指す。だから日中食文化論としても興味ある意見だ。日本に帰って会社のそばの安食堂で、昼食時にでも餃子定食を食べながら、同僚にこの本受け売りの餃子講義でもしたら感心されること請け合いだろう。

  「満漢全席」という項では、満漢全席は漢人の発明であり、清朝の宮中で皇帝に出された事実はないと述べ、十八世紀の江南で出た本に、「満漢席」「満漢全席」の名が黍てくるのが初出で、「かかる種種の俗名は皆ヘボ料理の悪臭である」と書いてある。従って満漢全席は北京の宮廷料理に直接の起源を持つものではなく、十八世紀、江南で始まり、民間で広まっていったものとする。
  今、北京の宮廷料理の店でも「ミニ満漢」を称する料理を出すようになっているが、確か私が満漢全席の名を初めて聞いたのは二十年くらい前の香港や台湾であったように思う。「ヘボ料理」といわれたら怒るレストラン関係者もあろうが、そう名付けられた品数の多い料理をありがたがって食べる「民間人」の姿は、自分を含めて、今も昔も同じかと思うと苦笑せざるを得ない。最近二回も北海公園の径善に偉い人を連れて行って、知ったかぶりして説明しながら、ミニ満漢を食べたけれど、この本を読んでいる人がいたらまさに赤面ものだったと思う。
  その他、北京の故宮、唳和宮、承徳の避暑山荘、瀋陽故宮博物院などに見られる複数の言語で記された(これを合壁形式という)建築物の額(二種から五種の言語。場所によって違う)から清朝の支配構造を説明するくだりなどは、特に参考になる。何回も故宮に行っている人でもこれから見方が変わるだろう。観光でこのような場所に行く人にも、またお客さんを案内する人にも、知っていると便利で、なるほどと思わせる記述だ。旅行会社のガイドさんだってこのくらい知っていれば、案内に格調と深みが増すだろう。

  柔らかめの話を拾ったが、この本はそんな面白そうな話ばかりでなく、もっと固い話もたくさん出てくる。現代の中国は清朝の領土を継承したことや、現在の多民族国家としての中国は、乾隆帝の時代に周辺の諸民族を加え、最大の版図となった清の他民族王朝としての確立の延長線上にある、という指摘には全く同意せざるを得ないし、考えさせられる。清朝史の理解は、現代中国の理解にもつながることがよくわかるという点で、とてもためになる本だということを、強調しておきたい。清朝に縁の深い北京に住む人には、土地柄もあり、ことに面白いだろうと思い、推薦する次第だ。なお、おなじみの森田憲司教授が、日本の新聞にこの本の書評を書いておられる。私のと違って真面目な書評だから、興味のある方は、こちらをお読みいただきたい。

 


筆者PROFILE   櫻井 澄夫 SAKURAI Sumio

   『北京かわら版』編集顧問。過去に、「中国でのクレジットカード」「北京カラオケ事情」「北京雑感」「北京の地名を歩く」「特別寄稿・毛沢東バッジの収集」「北京を愛した人」などを執筆。


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