中国美術探索

美への彷徨(四)

遊び心と秋の空−−土との戯れ


   何の予告もなしに、突然秋へと突入してしまった今年の北京。根回しを重んじる我々日本人にはちょっと唐突すぎて、体調を崩した方も多いはず。しかし何をするにも動きやすいこの季節、今までバテていた自らの遊び心に「喝ッ」を入れてみてはいかがでしょうか?

   すべての事のはじまりは、ほんのささいな出来事。しかし、そうした事が時には大きな楽しみをもたらしてくれる事も、少なくはないでしょう。先日のこと、偶然通りかかった小胡同で、既に忘れかけていた遠い少年の日の遊び心に出会ったのでした。十字路に面して建つほんの小さな陶芸店。ところ狭しと並べられた様々な器たち。ティーカップや大小様々な皿、そして色鮮やかな置物の数々。それらを眺めているうちに「縄文土器」に憧れていた頃の、かつてのやんちゃな少年の自分が蘇ってくるのでした。
   当時、私の家のそばには国の史跡に指定されるほどの、大規模な縄文期の遺跡がありました。海を見下ろす小高い丘の斜面には、子供心を惹きつけてやまない無数の宝物で溢れていたのです。雨降りの後などはその覆われたベールを剥ぐかのように、丘全体が銀色に波立つ貝殻や、様々な縄文で飾られた土器の破片が辺り一面に湧き出すのです。幼な心にもこれらの破片を眺めては、幾千年もの昔の縄文人たちの営みに心を馳せたのでした。

   店主との雑談の中、郊外に工房があることを知った私は、持ち前の好奇心でその見学を申し出たのでした。すると「可以!」(いいですよ)の二字で快く引き受けてくれた店主は、善は急げと早速私を連れて工房へと車を走らせたのです。四環路をさらに北東の方向へ30分。北京とはいっても未だ農村の雰囲気をたたえる場所に、一本の大きな煙突が聳えるその工房はありました。器用に轆轤を回す職人、そして汗を流しながら窯を見つめる職人。こうした職人達の協力を得て、ひとつ私もかつて縄文式土器を作った、あの少年時代の遊び心を蘇らせ試作してみることにしたのです。ぎこちなく回す手動の轆轤も、しばらくするうちにその勘をつかんだのか、自然と一定のリズムで回り始める。一介の土塊から魔法の水と微妙な指先の動きを得て、変幻自在とその形を変えてゆく……。

   人類の創世と共に必要とされてきた器たち。人々と共に歩んだ数千年の歴史の中、時に白磁や青磁を生み出し絶え間なく美を追求してきたこれら陶磁器。盛んに燃え盛る灼熱の炎を得て与えられるその生命は、他の芸術と一線を画する、正に人と自然が共に創り出す芸術と言えるかもしれません。

   最近北京でも流行のこうした陶芸教室。時には鑑賞者の立場から、創作者の立場へと変身するのも悪くはないはず。泥だらけになりながら、人本来の遊び心をこうして満喫するには何につけてもとっておきの季節。さて、私の手になる灰皿は密やかに机の片隅で上薬の鮮やかな化粧と、洗礼の炎を迎えるその日をただひたすらに息を潜めて待ち続けているのです。

執筆者プロフィール  
   和田廣幸(号・大卿)  
   中国美術・工芸品専門店「運甓斎」(光明飯店2階)総顧問
   hiroyuki@public.bta.net.cn

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