北京雑感1994年9月号

対等な付き合いと「自信」

編集長 根箭芳紀

   今年の国慶節は、五年ぶりに町を上げてのイベントになるようである。国慶節の自粛が決まったのは、費用と時間の浪費を押さえるためで、それまで毎年行っていた派手な祝賀行事を、五年に一度に減らすことになった。街で四連休のための買物をしている北京市民の表情も、心なしか浮き浮きしているようである。
   ところで、10年前の中国の国慶節は、国威発揚の場として天安門に外国の賓客を招き、その前を軍隊や工場の労働者、学生などが、スローガンを叫びながら行進するのがメインエベントであったが、市場経済を推進している現在の中国で、どのようなイベントが天安門広場で行われるのか楽しみである。

*    *    *    *    *    *    *

   国威発揚で思い出したが、最近、中国の人々が自信を持ち出したように感じることが多い。『中国人の「自信」は彼らの国民性だ』という反論が聞こえそうであるが、私の言いたいことは、外国人に対する「気後れ」や「気負い」をもつ中国人が減って来たように思う。つまり生活の安定や経済的な余裕から生じる自信が出てきたのではないか、ということである。
   この種の自信は、国家の威信や民族的偏見とは異なる「自分の合理的な判断」を作り出す基礎であり、外国人と対等に付合う上で不可欠の要素であると思う。

   中国は歴史的に長期に渡って外国の分断・支配を経験してきた国であり、中国の統一をなしとげたのは、二千二百年前の秦の始皇帝と現共産党政権だけであることはよく知られている。そしてこの五十年、現政権は国家の独立性を堅持しつつ、現在大胆に経済開放を行ってきたが、その中でこの新しいタイプの市民が生まれてきたのであれば、その政策は成功していると言えるだろう。

*    *    *    *    *    *    *

   外国人同士が長期間、同じ会社を共同経営する合弁会社にとっても、この種の自信が不可欠である。なぜなら、合弁会社には日中双方の董事(オーナー)、日中双方の経営幹部(社長、工場長)、日本人経営者と中国人従業員等の日中関係が存在するが、その互い同士が、国威や民族偏見と異なる自分の合理的な判断を持たないと、会社の経営がうまく行かないからである。

   対中投資を行う日本企業にとっても、この問題は重要である。投資の相談で“中国に騙されないか”、“中国人は信用できるか”と聞かれることが多いが、このような受身の、他律的発想では中国と対等に付き合えないと思う。やはり、まず自社の目的、計画をはっきり定め、その上で中国側の意向をはっきり理解し、最終的に自分の合理的な判断に立って「自信を持って」必要な意思決定を行うべきである。

戻る