北京雑感
1995年12月号

日本人と中国人の違い
内山完造氏の著作から

編集長 根箭芳紀

   前号で内山完造氏の「中国人の生活風景」(東方書店)にふれたのでもう少し中国人と日本人の違いについて書いた部分を紹介します。

「ある」と「ない」の概念の違い
   ある日、桃の木の下で中国人の子供と日本人の子供がガヤガヤさわいでいるので、内山氏が理由を聞くと桃の実があるかないかについて、日本人の子供は一つあるから「ある」と主張し、中国人の子供は一つしかないから「ない」と主張して、互いに譲らないことが判った。
   そこで内山氏は子供達に、日本人は一つでもあれば「ある」というのが習慣だが、中国人は沢山あれば「ある」というが、ほとんどなければ「ない」という習慣なので、どちらの主張も間違っていない、と説明したところ、日本人の子供はまた不思議そうな顔をしていたが、中国人の子供はスグ納得したそうです。

四段階に分ける中国人のケンカ
   『ところで、日本人が一口にケンカといっていることの内容だが、中国人はこれを四段階に分けて考える。戦前、上海で人力車に乗った日本人が、50銭渡そうとすると、車夫は1円くれという。こんなに時間がかかって、こんなに汗をかえたのだから、1円の値打ちがあると車夫が主張すると、わしは時計をみていた、そんなに時間がかかっていないから50銭でよりと日本人もやりかえす。こんな場合、中国人は小さい声でやれず、大きな声でやかましくいいたてる。この段階を上海語で哇ロ拉哇ロ拉(ワラワラ)というが、これが日本語のケンカにあたる。街頭で大声でやられると日本人は体裁が悪いので相手の要求通り支払ってすますこともあるが、いきなりこの辺で「馬鹿」という言葉が日本人の口から飛び出すことも少なくない。この「馬鹿」という旧日本軍隊の愛用語は、戦争中ずいぶん中国でもはやったものだが、ここでもし裁判したとなると、「馬鹿」と先にいった日本人の方が負けだ。なぜなら、おたがいに理由のある主張をしあっている哇ロ拉哇ロ拉の段階で「馬鹿」というのは理を飛び越えたののしりであって、ひとたび「馬鹿」が出れば、すでに相罵(悪罵)の第二段階にはいったこととなるからだ。相手をののしるとなると、中国語のスラングは実に豊富で、ここでそれを並べれば風俗壊乱になる恐れがあるほどだ。握りこぶしを上向けて、相手の鼻先へ突き出しながら一しきりののしると、また一方が同じことをやり返す。しかし、この段階ではまだ決して相手の体にふれない。外交上の威嚇であるためだが、ここでも日本人は一段階先に飛び出して、ポカリとなぐってしまう。するとこれは第三段階の打相打にはいったことになり、さらに相手を殺傷するにいたれば、殺人の最終段階になるわけだ。』

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