北京雑感
1996年4月号

慰安婦問題と「アジア女性基金」

編集長 根箭芳紀

   最近「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)への協力依頼が、日本大使館から北京日本人会にあった。この基金は、日本の侵略戦争の過程で「従軍慰安婦」にされた、アジアの女性への償いのために、政府と国民が協力して募金を募ろうというもので、聞くところによると目標金額は20億円との事である。日本政府の本件に対する意図は、「元従軍慰安婦の皆様は大変お気の毒である。しかし、国家間の戦後補償問題は既に完了している。従って、この問題を再度蒸し返すと、際限なく補償する羽目に陥る危険性があるので、民間の基金で補償を代行させたい」ということであろう。即ち、法的な責任は取らないが、道義的な責任を、それも民間基金の形で取ろうという考え方である。
   しかし、補償を求めている元従軍慰安婦の女性たちは、民間の補償よりも、まず国家の謝罪を要求しているし、さらに、今年3月には国連人権委員会が、旧日本軍の「人道に対する罪」を審議するなど、国家の法的な責任を求める動きが広まっているので、政府の意図通りに行くかは予断を許さない状況である。
   以下、アジア女性基金について、私の考えを述べてみたい。
   中国侵略に始まる第二次大戦中の日本の戦闘行為は、"現人神の影響を東亜に行き渡らせる"という一種神憑り的な精神状態の中で行われたとは言え、慰安婦の現地調達という行為は、「未必の故意」(別項注)と言わざるを得ない。戦後処理の時点でそれが大きなテーマにならなかった原因は、実態が掴みにくかったことや、女性の地位がまだ低かったからであろう。従って今、問題が明らかになり、それが法的に罪であると解った以上、日本政府が真正面から対処するのが、最も望ましい態度である。
   一方、「アジア女性基金」は、この方法で期待通りの効果が上がるという根拠が乏しいと思う。主な理由は、相手側が民間補償を否定していることであるが、仮に同意したとしても、金額的にも同意するという保証はない。もし相手の要求する金額と、こちらが集められた金額の差が大きかった場合、どちら側も相手に対する不満を抱くことになり、下手をすると、本来の意図とは逆に、民族間の感情的な対立を生む危険性すら孕んでいる。
   しかし、どうしてもこの方式に拘るのなら、私は次の方法を提案したい。それは、基金の応募者リストに平成天皇とその親族の名前を含めることである。そうすれば、平成天皇が「お言葉」だけでなく「行動」においても、平和を愛する「人間」であることを証明することになり、アジアの人々の胸のつかえをとる効果が、少しは期待できるからである。

   *未必の故意=法律で、自分の行為が犯罪を引き起こすことになるかもしれないと思いながら、それでもかまわないと考え、あえてその結果を発生させた場合の意志。故意と同等に扱われる。(講談社・日本語大事典)

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