glass

何が気になったのか。わからない。
都会の隙間に、俺は何を見付けたのだろう。



とっくに日付け変更線を超えた時間。
だけど街は眠る事を知らず、人工的な光だけを浴びながら煌いている。
いわゆる”仕事上の接待”とかいう、楽しくもない酒の席からやっと開放され、由貴瑛里は
帰路へつこうとしていた。
普段ならそんなものは意地でも断っているが、今回ばかりはそうもいかなかった。
だが、やはり後悔だけは拭えない。
ただ、今は早く家に帰りたいというそれだけの気持ちだった。
車に乗り込もうと、手を扉に掛けたところで何かが視界の隅に
映った。
下に落とした視線をもう1度上に上げ、その残像を探してみる。
―――が、特に何か目につくものがあるわけじゃない。
気のせいだと、そう思おうとして再び下に向けようとした視線が、
無意識である1点に止まった。
なぜそこに止まったかは自分自身でも解からない。
ただ、何かが引っ掛かって目を離す事が出来なかった。
―――それは1つの影。
何が目立つわけでもなく、ネオンがあたるかあたらないかという
路地で壁に体重を預け、佇んでいるだけの―――そう…少年だ。

別に珍しくもない。こんな時間にここら辺りをうろついてる若い連中
なんてざらにいるだろう。
なぜその少年だけが目に止まったのか。

少年がこちらに気付き、目が合った。
表情のわかる距離ではない…はずなのだが、視線が合った瞬間に向こうが薄く笑ったように
見えたのは錯覚だったのだろうか。
動けない。目が反らせない―――。
それが、一瞬だったのか数刻の間だったのか。ふと、少年が壁面から身体を離したのが
遠目に見て取れた。こちらに向かって歩いてくる。
瑛里は、なぜか動けずにいた。
別に向こうがこちらに辿り付くのを待っててやる義理などなかったのに。
だが動けなかった。
「おにーさん、ひとり?」
気付けば、自分の目線の少し下に有る双眸が微笑みながらこちらを見つめている。
「…ガキは…寝てる時間だろ」
不意を突かれて瑛里は少し焦ったが、それを悟られないように冷静な返答を返す。
「ヒドいな〜。俺16だよ?大人じゃんっ」
側で見ると、遠目で見たよりもずっとあどけない顔をしている。それでいて奥に見える棘。
心の底に抱えている、割れた硝子の破片。鋭利な―――。
「16って思いっきりガキだろうが。家に帰れ。親が心配してるだろ」
「おにーさん、見た目によらず結構説教臭いんだね。つまんないなぁ」
わざとらしく、拗ねたそぶりをしてみせる。その仕種は子供らしいと言えば子供らしいのだが。
明らかに意図的なものを感じ、瑛里は小さく舌を打つ。
「ナマ言ってんじゃねーぞ。お前みたいなんがウロついてっと知らねぇぞ、こんな場所で…」
「こんなキレーな顔した少年はとっ捕まって売られるのがオチって?大丈夫、俺そんなヤワな
 人間じゃねーし。自分の身を守る術くらい知ってるよ」
自分を守る術。屈託無くにっこり笑ってそう言う。
だけどその意味は、自分が想像している以上にもっと質の悪いものだろう。
この少年は、この目は…他人に血を流させる事を厭わない…。
――――――知っている、この目を…。
―――君の目は人殺しの目だよ―――

過去に言われた台詞。
それでも何も感じなかった。それで自分を守る事が出来るのならば、
他人がどうなろうとも自分の知るところではなかった。
1度紅く染まった手は、どれだけの血を浴びてもその色を変える事は無い。
ただその深さを増すだけ。
いつしか心さえも紅く染まり、1つの血に関心すらなくなる。
―――だけど、知ってしまう。そこまでして守る”自分”というものが
何なのかを。その価値を…。
張り詰めていたものが崩れ去る瞬間。全てが無に帰す。
自分を守る為に、今まで必死に縋り付いていた執着とは何だったのか。
自分を守っていたつもりが、自分の傷を増やす結果になっていたという
事実への絶望感。
結局最後は、自分で自分を殺す事になる――――――。

「どうしたの?おにーさん。急に黙り込んで」
「いや…何でもない…」
澄んだ瞳が覗き込んでいる。澄んでいるからこそ、底に有る棘が一層浮き立つ。
だけど、まだ壊れてはいない。
しかしそれは、小さな微震ですら脆く崩れ落ちていくような、そんな危うさを含んでいる。
――自分と同じ轍は踏まないようにと。
そう目の前の少年に自分が願う事は、いけない事だろうか。
自分だからこそ、止められると思うのは思い上がりだろうか。
「お前、守りたいものとか有るか?」
「守りたいもの?無い…けど、強いて言うなら自分かな」
考えるまでもない…といった風に、隙もなく答える。
「自分以外に守りたいと思うものを作ってみろ。それだけで強くなれる」
「…別に俺、今のままでもいいよ。十分強いから」
「他人を傷つけながら守るのは弱い証拠だ。他人を傷付けずに大切なものを守れるような
 強さを身に付けておけよ」
一瞬間が有った後、少年が吹き出した。
「やっぱおにーさん、思ってた通りの人だった。実際会えて良かった」
「…は…?」
ふと少年が口にした言葉を訊き返そうと思った瞬間に、少年の柔かな唇が自分のそれに
重なっていた。
「ん…っ。ちょ…と待てっ…」
突然の事に驚きながらも、瑛里は少年の身体を引き剥がした。
「おにーさん、オトコって初めてじゃないでしょ。わかるんだよね俺」
「何考えてんだお前はっ!…じゃなくて、お前、俺って知ってて近付いてきたのか?」
それまで悪戯っぽく笑んでいた少年が、ふと表情を和らげた。
「うん、まぁね。俺はあなたを知ってたよ、”ユキエイリ”さん。テレビで見て、1度話しをして
 みたいと思ってたんだ。まぁ、こんなとこで偶然会えるなんて思ってなかったけどさ」
「なんで…」
「なんかさ、俺と同じ空気を持ってる気がした…。この人に会ったら答えが何か出るんじゃ
 ないかって、そんな気がしてた」
初めて見せる少し愁いの有る顔で少年はそう呟く。
この少年を初めて見た時、自分も同じ空気を感じたのかもしれない。
だからあんなにも気を引かれたのか。
「で、実際は?」
「思ってた通りの人だった。やっぱ俺はあなたに会えて良かった」
先程までとは違う、心からの笑顔をその少年が向けた。
「…そうか、それは良かった」
何か確信を得られるようなものが有るわけじゃないが、この少年は大丈夫だと思えた。
そう思える微笑みだった。
自分の人生が狂ったのは16の時からだった。この少年は今、その歳の中にいる。
だけどきっと、この少年は自分と同じ道は歩まない。違う生き方が出来るだろう。
「ねぇ、も1回だけキスしていい?」
「…は…。………………1回だけだぞ…」
「やりぃ♪」
言い終わると同時くらいに少年の唇が瑛里に重なる。
さっきとは違いゆっくりと、優しく。
肌の質感までもを感じ取るように。
割り入れた舌で、瑛里の舌を探る。
ざらりとした表面を伝えるように口腔を掻き回す。
「…ふっ…んん…っ」
次第に息が上がってきてるというのに、離れる様子は
ない。深く、深く、瑛里を感じようとする。
どれくらいの間そうしていたのか、とても長く感じられた時間の後、唇は離れた。
惜しむように、心を残しながら。
「……お前。16のクセして相当慣れてんな…」
呆れた顔を浮かべる瑛里に、少年は勝ち誇ったように笑って言う。
「えー、そう?俺のテクってそんなに感じちゃう程良い?」
「…馬鹿か。10年早い」
「あ、じゃあ10年後にもう1回試してみよーね♪」
「…お前は…」
脱力した瑛里を愉しそうに見ている。自分よりも7つも年下の相手に、瑛里は調子が
狂わされっぱなしだ。
「…ありがとう。俺、今日は久々に家に帰ってみようかな」
満足したような表情を浮かべ、少年はくるりと踵を返した。
だがすぐに思い出したように振り向き――。
「あ、1つだけ最後に訊いていい?」
「…なんだ」
「由貴さんは、守りたいもの見付かったんだ…?」
不意にそんな質問を投げ掛けてきた。
少し考えた顔をした後、瑛里は答えた。自分でも驚くほどの穏やかさで。
「……ああ、見付かったよ…」
その返答を聞いて、少年は納得したように微笑んだ。
「シューイチくんとお幸せにっ!」
今度は振り返る事も無く、真っ直ぐ歩いていく。
「あいつ、知ってたのか…」
だんだんと小さくなっていく少年の後ろ姿を見送りながら、本人には聞こえてないのを
承知で瑛里は呟く。
「…ああ。お前もな…」
そう、最後の言葉を送った―――。


それ以来、同じ場所に何度か足を向けた事もあったが少年と2度と会う事はなかった。
すぐに全てが良い方向に行くとは思わない。
でもきっと、どこかで何かを見付けているだろう。
人は救われる。人によって。
自分がそうであったように…。
ただ、今は遠くでその幸せを願っている――――。


 END


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勝手にオリジの男の子を出してみました(笑)
結構こ男の子、気に入ってんですけどね。基本は樹把ベースな気がする。