約束の時間の5分前。
約束の場所に、呼びつけた本人はまだ来ていない。
白い壁面に体重を預けながら、人待ち顔で煙草を吸う瑛里の仕草に、通りゆく人々が視線を
寄越していく。憧憬と羨望の眼差しで。
それは当然の事だと知っているし、もちろん初めての経験という訳でもない。
だけど愁一は、その度に少しの優越感と少しの焦燥感を抱えてしまう。
「樹把さんってどんな人?」
おもむろに声をかけてしまうのは、些細な自己満足。
「お前は会うの初めてだったか? まぁ会えばすぐわかるだろ」
そんな愁一の心情になど全く気付く様子もなく、瑛里は吸い込んだ煙を吐き出す。
何度か、ホームから流れ出してきた集団が、愁一と瑛里の横を通り過ぎていった。
その中に愁一はよく見知る顔を見た気がして、瞬く。
しかし考え直してみるとそんなわけはなく。その人は今、自分の真横にいるわけで。
「あ、兄貴ィー!」
だが、瑛里と同じ顔の青年が、通り行く人に肩をぶつけながらこちらに駆け寄ってくるのを
愁一は間違いなく目撃した。
「えっ、あ…あれ? えっと…由貴がふたり?!」
「アホか。あれが弟の樹把だ」
紛れもなく瑛里の顔をした――違和感を感じるのはその色素の違いからか――瑛里よりも
幾つか年下だろうその青年は、二人の元に辿り着くなり大きく息を吸い込んだ。
「久しぶりだな、樹把」
「2年ぶりだよなっ。つっても、鏡で見慣れてるから久しぶりって気も
 しねーけどっ」
悪戯っぽく笑う樹把は、年相応の表情をする。同じ顔でも、瑛里とは
性格が異なるらしく、瑛里が絶対にしないような表情をくるくると見せた。
「あれ? これが”シューイチ”クン?」
なんだか珍しいものを見てるようで、つい見とれてしまっていた愁一は、
樹把の声で我に返る。
気付けば目の前に、興味深げに覗き込んでいる樹把の顔があった。
「あ、はいっ。そうっスけど…」
「…なんでお前が知ってるんだよ」
少しトーンの落とされた声で瑛里が間に入る。いつにも増して、眼光が
鋭いように見えるのは気のせいではないだろう。
「瀬口サンに教えてもらったんだって!別に兄貴が心配してるような事は
 何もねぇよ。兄貴が身近に他人を置いてるなんてさ、興味あるじゃん」
「……」
まだ疑惑の残る目で瑛里はしばらく樹把を見ていたが、まぁいい…と小さく呟いてくるりと
踵を返した。
「…ここじゃ話できねーだろ。俺の家に行くぞ」


「――で? 回りくどいのは面倒くせーから端的に話せ。今回の依頼人は誰だ?」
「依頼人って、一応オレだけど?」
「あぁ?」
先程からやけにくつろいでお菓子をほおばり続けてる自称”依頼人”に、瑛里はあからさまに
不快な顔をしてみせる。
「代理人で来たわけじゃないのか? …依頼人にしちゃ、えらくくつろいでんなお前。」
「朝から何も食ってなくてさー。腹減っちゃって」
「…まさか、飯食う金が無いからしばらく養え、とか言うんじゃねぇだろうな…」
先程から全く本題に触れる様子が無い。ただ、無駄な話ばかりに時間が費やされている。
割と年の近い愁一とも話が合うらしく、好きな芸能人の話やら、趣味の話などで盛り上がっては
いるのだが。肝心の本題が蔑ろにされたままである。
いい加減痺れを切らした瑛里が本題に入ろうとするが、それもことごとくはぐらかされていく。
「…いい加減にしろよ」
そろそろ本気で怒りを表面に出し始めた瑛里に、樹把は渋々といった表情で口を開いた。
「わかったよ。話すよ…」
今までとは打って変わって真面目な顔付きになる。樹把がわざと話をはぐらかすような時は、
大抵かなり深刻な話だと瑛里は知っている。知っているが、だからこそそこで時間を食って
いる場合ではないのだ。弟だからと、甘やかしてる場合ではない。
今は、依頼人と引受人という立場であり、それをわきまえなくてはいけない。
「依頼はボディガード。今度ね、ちょっとした取引に行かなくちゃいけなくってさ。そこに
 ついてきて欲しいわけ」
「またお前は…なんか危ない事に首を突っ込んでるんじゃないだろうな…」
「危ないと言えば危ないかもな。ボディガード雇うくらいだし」
あっけらかんと答える。まるで大した事じゃないと言うように。
…いつだってそうだ。いつだって彼の言葉には、『偽(ウソ)』も『真(ホント)』も見えなくて、
真意は、一枚の磨硝子を隔てた向こう側に隠されている。
「なんで…何の為に俺が…っ」
テーブルに叩き付けられた拳の先で、カップとソーサーが悲鳴を上げた。
感情をこんなにも剥き出しにする瑛里を、愁一は初めて目にする。
こんな彼を愁一は知らない。

――それは過去の話。
樹把も瑛里と同じように、冬馬の元にいた時があった。
だが、樹把は途中で組織を抜ける事になる。瑛里の手によって…。
樹把に対し、瑛里ほどに執着を見せなかった冬馬は、樹把の脱退をあっさりと承諾した。
そう、表向きはそう見えたのだが、あるひとつの約束事が二人の間で交わされたのを樹把は
知っている。
それは、瑛里が余りに優し過ぎた為の悲劇――――。

「…わかってるよ。今回が本当に最後だから…」
樹把は、テーブルに置かれた瑛里の手を包みそう伝える。瑛里は俯いたまま、何も言わない。
「けど、一つだけ頼みがあるんだ。今回、愁一は連れてかないで欲しい」
「えっ、ちょっと待てよ!オレも行くよ!」
それまで黙って話を聞いていた愁一だったが、さすがに予期しなかった
展開に反論を口にする。
瑛里が仕事をする時は、横に自分がいる事は当たり前だと思っていた。
「兄貴ならわかるよね、この意味。危ない目に遭わせたくないでしょ?」
「……」
まだ俯いたままで何かを考えていた瑛里だが、顔を上げ、樹把の方を
見据えた。
「…わかった。俺だけで行く」
「…っ」
仕事上に関しては瑛里の言葉は絶対だ。愁一に反論の権限など無い。
それは解ってる。解ってるけど…。
「オレ…足手まといかな…」
「…そういう事じゃない」
愁一には、ただ黙って下を向く事しか出来ない。
人一倍自分が泣き虫なのは知っているが、余りにショックが大きいと
涙も出ないもんだな、なんて思いながら。堪える事で精一杯だ。
だけど…。
「必ず帰ってくる。…だからここで待ってろ」
そう言って瑛里が頭に手を置いた途端、抑えていた涙が一気に溢れ出した。

「…絶対に帰って来いよ…っ」




目的地は、都会のど真ん中に位置する所だった。
既に日付変更線は超えているが、まだ眠ることはない。
樹把の指示に従って、瑛里は車を止める。一つの建物の前で。
「また、打って付けの場所を選んだもんだな」
都会の中の死角とでも表現したら良いだろうか。ネオン街の一歩奥まったところ、滅多に
人の出入りなど無いであろう場所に、瑛里は案内された。
ここで何があっても、都会の喧騒が掻き消してくれる。放たれた密室。
「場所に関しては、あちらさんの希望だからね。オレらにとっては不利な場所かもな」
「不利…ねぇ」
瑛里は腰のガンベルトからピストルを抜き、最終確認をする。もちろん普段からの手入れは
欠かさないが、いざという時に使えないのでは意味が無い。
「あれ? 兄貴、ピストル変えたんだ? ”COLT PYTHON”じゃん」
「ああ」
「どういう心境の変化? 前は人を殺さない為に銃弾の小さいタイプを使ってたのに、それって
 口径のデカいやつじゃん。兄貴ぐらいの腕なら、一発でヘヴン行きのヤツ」
「…別に。ただの気まぐれだ」
瑛里はピストルを再び腰に戻す。
「ホントにぃ〜?? ただの気まぐれ? 他にもっと理由が有るんじゃないのぉ?」
「うるさい。撃つぞ」
「わ、わーった!これ以上詮索しないって!」
再び瑛里が腰に手を持っていったので、慌てて樹把は話題を止める。こんなところで、兄に
殺されてる場合じゃない。さすがに冗談で死にたくはないし。
「…ったく、変わってねぇよな兄貴は」
「悪かったな。」
「そこがオレは好きなんだけどね」
ニンマリと笑う樹把に、瑛里は最大級に不快な顔を露呈した。

ふと、会話が途切れたところに、靴音が遠くの方から近付いてくるのが聞こえた。
聞こえる音は一つ。相手は一人だと伺える。
「来たね、相手さんが」
「そうだな」
先程、自分達が入ってきた方の通路に目を向ける。暗闇が支配してて、まだ相手の姿は
見えてこない。ただ、足音だけが静かにこちらに近付いてくる。
入り口の付近まで近付いたところで、音が止まる。部屋の少しの明かりで顔がぼんやりと
浮かび上がり…。
それは――確かに見覚えがある。
絶対に忘れることの出来ない顔。
喉の奥から搾り出すような声で、瑛里がその名を口にする。

「…北…沢………?」

  ――北沢有希。
  初仕事だった。初めて会ったのは。
  依頼人だった。
  仕事は確かに上手くいっていた。途中までは――――。
  だが、最後に依頼は最悪の結末を迎える。一人の人間の犠牲を遺して…。

「遅かったね、北沢さん。待ってたぜ」
「…な…んであんたが…あんた死んで…」
まだ目の前のものが信じ難いという顔で、瑛里は北沢を見つめる。
…いや、既に焦点は合っていないのかもしれない。
顔を背けることが出来ないだけで。
「久しぶりだね、瑛里くん。9年ぶりかな。あの頃から比べると大きく
 なったよね。だけどすぐに君だと判ったよ。あの頃と何も変わらない
 目で、俺を見てる」
「…っ…」
声を出す事が出来ない。だけど、逃げ出す事も出来ない――。
「久々の依頼人との再会はどう? 兄貴。感動モンでしょ?」
瑛里は目を見開く。
「お前知って…」
「全部聞いたよ。何せ今回の依頼人がこの人だから」
「…依頼…人…?」
――何を…言っているのだろう。意味が、意味が汲み取れない。
目の前のものが見えない…。
「今回の件では、オレは依頼人でもあり依頼引受人でもあるからサ。
 ま、簡単に言えば兄貴の同業者っつー事なんだけど」
「なんっ…!」

――なんで、と、言おうとしたけれど、その後は続かなかった。
脇腹を貫いた衝撃が、言葉を遮った為に。
「た…つ……ぁ」
「悪いね、兄貴…――――」
立っている事も儘ならなくなって、瑛里はその場に片膝をつく。
身体が傾きかけたのを、樹把の腕が受け止めたのが分かった。
「…オレが全てから開放してあげるから―――」
意味も理解出来ない状態で、そんな言葉だけが脳の中に響いてくる。
だけどその後は、視界が霞んでどうなったか分からない。
意識が遠退くのを感じながら、瑛里はコンクリートに広がる真紅の血溜まりを見た…。


   「ゆ…き…?」
   一瞬、何かが全身を貫いた気がした。
   その理由を、愁一はまだ知らない――――。




[To be continued....]


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