――――それは”生”の色
      それは”死”の色…
      なぜそれらは 同じ色をしているのだろうか


派手な音を立てて開かれた扉から、一人の女性が姿を現す。
「冬馬くん! …と、あら、瑛里くんも久しぶりね。少し見ないうちにイイ男に育ってきたわねー」
その女性は、瑛里と目が合うなり屈託のない笑顔を向けた。
「早かったですねー、典子さん」
「そりゃそうよ、私を誰だと思ってるのかしら?」
女性は、遠慮するでもなく真っ直ぐに瑛里たちが座っているテーブルへと、歩み寄る。
―――鵜飼典子。20歳そこそこにして、冬馬の事務所のブレーン的存在だ。
24歳という若さで会社を設立した冬馬が、たった2年という短期間でその会社を業界のトップクラスに
持ち上げることが出来たのも、冬馬の人選によるところが大きかっただろう。
瑛里とも面識があるにはあるが、これと言って深い会話をしたことはまだない。
ただ、その存在を知ってるだけの関係に過ぎなかった。
典子は、空いていた冬馬の隣の席に腰を下ろす。だだっ広い室内には、この三人しかいない。
事務所内にある、資料室に三人は座っている。仕事をする際に必要な資料や、沢山の本類、そして
パソコンなどが置かれている部屋である。勿論、極秘資料などはまた別に保管されているのだが。
室内は、冬馬が集めた膨大な資料が、ファイルなどで整理されて所狭しと壁面に並べられている。
資料以外にも普通の書籍なども置いてあり、瑛里は小さい頃からここに通っては読書に明け暮れる
日々を送っていた。
少し息苦しいとさえ感じる事務所内で、瑛里が唯一落ち着ける場所だったからだ。
「お願いしていたものはどうなりましたか?」
「それがねぇ…なんだかおかしなことになってるのよ」
典子が、持っていた紙を冬馬に手渡す。15枚くらいの束だろうか。
そこには、小さな文字でなにやら文字が印刷されている。
「おかしなこと…と言うと?」
「調べて欲しいって言ってた番号、無いのよ。存在しないの」
「…え?」
一枚目の紙を捲ろうとしていた冬馬は、手を止めた。少し、驚愕の
表情が浮かんでいる。
「品番該当無し。名前の該当も無しよ」
再び視線を紙面に戻し、少し急ぐように一枚一枚目を通していく。
だが、最後の一枚になっても視線が一点に止まる事はなかった。
「本当に…無いですね」
少しだけ眉間に皺を寄せて、冬馬が口を開いた。冬馬がそういう表情をするのも珍しいことだ。
「でしょ? 本当に正しい番号なの? これ」
「ええ、番号は間違いありません。ここの会社のもの以外には考えられないです」
「でもいくら調べても出てこなかったわよ」
冬馬がまた無言で何か考え込んでいる。
「あの…」
話の展開についていけなくて、瑛里が恐る恐る口を開いた。
「番号って、本に書いてあった番号…のことですよね」
「そうです、典子さんに調べてもらってたんですが…」
北沢の家から事務所へ帰るまでの道、冬馬が携帯でどこかに電話をしていたのは知っている。
それが、典子への電話だったのだろう。だが、その電話から3時間ほどしか経過していない。
「こんな短時間で調べられるものなんですか?」
「あら、見くびられてるわね。典子さんにとってはこの程度のハッキング、朝飯前なのよ。今度
 瑛里くんにも秘技を伝授してあ・げ・る♪」
「はぁ…」
妙に楽しそうに喋る典子に、瑛里は曖昧な返事を返すしかなかった。典子のテンションに瑛里が
ついてゆくには、些か経験が足りないようだ。
隣にいる冬馬は、長年の付き合いで既に慣れているのか、まるで気にする様子はない。
「しかし見つからないとなると…あの番号はなんだったんでしょうか」
「架空の番号を誰かが作ったってことかしら?」
しかし何の為にそんな必要があったのか。その理由が分からない。
良希がその会社に捕らわれてるわけではないとすると、じゃあ今どこに居るのだろうか?
番号を作ったのは、間違いなく本を北沢の家に置いた人物か、もしくは関係者だろう。
「冬馬くんたちは何を調べてたの?」
「本に付着していた指紋を調べてたんです。ですが、依頼人の北沢有希の指紋しか検出されません
 でした。行方不明である北沢良希の指紋も出なかったです」
「そんな証拠品残すわけもないわよねぇ。でも番号は残すと…。うーん…」
手掛りだと思っていたものが、更に謎を呼ぶ。そう簡単にいかないだろうということは想像していたが
何か見え掛けているのに靄に視界を遮られているような、そんな感じだ。
いつも、冬馬やその他の組織の者たちはこんな風に悩んできたのだろうか。
何の手掛りも無いところから、一つ一つのピースを探し出しては、嵌めていく。それの繰り返し。
順調に進むこともあれば、難儀なものも多数あっただろう。
「北沢さんも…きっと不安ですよね…。早く見付けてあげないと…」
「…瑛里くん、今気にしなければいけないことは、依頼人の精神面ではありません。良希くんが今、
 どこにいるかということですよ」
「え? あ…はい、そうなんですけど…」
ほとんど無意識で口を出た言葉が、深い意味を持つことを瑛里はまだ分かってはいなかった。
優先事項は。何を基準に考えるのか。
感情面のケアなどは、組織の者たちが考えることではないのだ。
依頼内容の早期解決。常に念頭に置いておくことは、それだけ。
いちいち依頼人に感情移入などしていては、真実を見誤ることもあるのだから。
「…竜一さんは今日はどこにいらっしゃいますか?」
唐突に、冬馬が思いがけない人物の名を口にした。
「竜ちゃん? いつものとこじゃないかしら」
「公園ですか。…すみませんが典子さん、竜一さんを呼んできていただけませんか」
「何か調べてもらうの? いいわ、すぐに呼んでくるわね。ったく、携帯くらい持ちなさいってのよねぇ」
情報屋である佐久間竜一は、滅多に事務所には顔を出さない。あまり縛られるのを好まないのか
携帯電話なども所持しない為、大抵コンタクトを取りたい時は直に会いに行かなくてはならない。
不便ではあるが、彼らしいと言えば彼らしい。瑛里自身、竜一も典子と同じであまり面識はないが
自由奔放に生きる様は、瑛里にとっては少し羨ましくもあった。
「佐久間竜一さんに何を調べてもらうんですか?」
「少し…気になることがあるんです。…いずれ瑛里くんにもちゃんと説明しますから」
にっこりと笑ってそう言う。その顔は、何かをはぐらかす時に使うものだと瑛里は知っている。
知ってはいるが、問い質して素直に教えてくれる冬馬でもないことも分かっているから、それ以上
突っ込む気はなかった。いずれ、という言葉が本当かどうかも定かではないが。
「時間も無いでしょうから、すぐに戻ってくるわね」
閉じられたドアの向こうで、コツコツと遠ざかっていく靴音が聞こえる。角を曲がっただろう辺りで
その音は途切れた。
それを確認するかのように黙っていた冬馬は、しばらくして静かに口を開く。
「…僕は、君はとても優秀な人間だと思っています」
「…?」
唐突に冬馬が口にした言葉の意味を、瑛里は汲み取ることが出来なかった。話に脈絡が無くて。
しかし、次の言葉を待ったけれど部屋は静寂に包まれたままだ。
「冬馬さん…?」
次の言葉を促そうとした。だが瑛里は、冬馬の突然過ぎる言葉に絶句せざるをえなくなる。
「…君は、今回の件からは外れてもらいます」
「え…?」
言葉の意味が解らなかった。否―――認めることが出来なかった。
「それ…は、上司としての命令ですか…」
「今回の件は、かなり厄介な相手が絡んでます。僕は君に、こんなとこで潰れて欲しくはない…。
 手に負えないと分かっていて君に課すことは僕には出来ません」
どうしてそんなにも無表情で言うのだろうか。
作り笑顔で、オブラートにでも包んだような言葉を言うのは、冬馬には造作も無いことなのに。
小さな言葉の棘は、遠慮なく瑛里に突き刺さる。それが分からない冬馬ではないだろうに。
”未熟だ”と言ったのだ。だから今回の件には必要はない、という意味を含んで。
『覚悟は出来てるか』と訊いた。『出来ている』と自分は答えた。つい数時間前の話だ。
典子が持ってきた資料。それを見た冬馬は、何かを深く考えているようだった。
何か、瑛里には分からない何かを掴んでいるのだろうか。それは仮説だとしても、それを立証する
為に、冬馬は佐久間竜一に情報収集の依頼を出したのではないだろうか。
何の…真実の断片を掴んだのだろう?
だが、その”仮説の真実”には、自分は不適合だという判断が下されたということだ。
冬馬が決めたことであるならば、瑛里には逆らうことなど出来る筈もない――。
「……分かりました。僕は…どうすれば良いですか」
「しばらく待機していてください。また次の指示は追って連絡します」
「…はい」
無感情に、瑛里は返事をする。自分でも、自分の感情が感じられない。
そんなにも…自分は聞き分けの良い人間だっただろうか?
瑛里は静かに立ち上がり、部屋をあとにしようとした。…が、ノブに手を掛けたところで冬馬の
声が聞こえた。何かを言われたのだろうと、瑛里は呆然と考えていた。
だけど―――その意味は、頭には入ってこなかった…。

その言葉の、本当の意味を理解するのは、もう少し後の話になる―――。






なぜ自分は、”ここ”にいるのだろう…。

「瑛里…くん?」
不意に声を掛けられて、瑛里はゆっくりとそちらに顔を向けた。
記憶にある顔。数時間前に別れたばかりの、北沢有希の顔が目の前にある。
「一人…なのかな。何か新しい情報とか分かった?」
「……っ…」
北沢は知らない。瑛里が今回の件からは外されたことを。
「あっ、どうしたの瑛里くん?!」
視界が揺らいでいる。北沢が慌てて、困った様子で覗き込んでいた。
瑛里は、泣いていた。箍が外れたように、大粒の涙は止め処なく溢れて頬を伝っていく。
何に対して泣いているのか、瑛里自身分からなかった。ただ、北沢の顔を見た途端に、固く
閉じていた心がふと緩んだ気がして。流れ出していたようだった。
「僕は…なんでここに来てしまったんだろう…」
「…何か、あった…?」
北沢の言葉は、妙に優しい温度で瑛里の心を融解していく。その温度は、天性のものなのだろうか。
自分はこんな弱い筈じゃなかったのに、頼りなく瑛里はしゃがみ込んでしまっていた。
「瑛里くん…中に入ろうか」
北沢が、瑛里の肩に手を乗せる。決して体格が良い訳でもない北沢の手が、瑛里にはやけに大きく
感じられた。
泣きたいわけじゃないのに、ただ溢れる涙は止まることはなかった。

悲しい、というよりは悔しかったという気持ちが勝っていたのだろうか、と瑛里は思う。
気が付くと、瑛里は北沢のアパートの前に立っていた。
ここまでどうやって来たかも、記憶にはない。ふと気が付けば、北沢の声が聞こえていた。
初仕事への気負いで張り詰めていた心にふと針で小さな穴を開けられたかのように、その心は
勢いよく崩れてしまった。
弱さを、こんなにも他人に曝け出してしまったのはいつぶりだろうか。
「少しは、落ち着いたかな」
「ごめんなさい…ごめんなさい……」
「君が謝ることは何もないよ」
北沢は、瑛里が泣き終わるまで黙って側に座っていた。何を言うでもなく、ただ座っていた。
組織の者が、依頼人にこんな姿を見せてしまうなんて、とんだ醜態だろう。冬馬に見付かったならば
厳重注意どころでは済まない。
それは分かっているけれど。なぜこんなにも弱いのだろう、自分は。
強くなりたかった。だから、他人の前で泣くのはやめにしようと思った。
それで強くなったフリをしていた。勘違いだとも気付かないで。
氷の盾は、力ではなく”温度”によって容易に崩れ去るものだとも知らないで――。
今回の件は外されることになったと説明すると、北沢はたった一言、残念だ、と言った。
決して理由などは聞かずに。それ以上の言葉はなかった。
最後まで、依頼を全うすることが出来なかったことが申し訳なくてしょうがない。
それと同時に――――ただ、怖かった。
止まらない涙は、恐怖心でもあっただろう。
自分の存在意義を失くされた気がしたのだ。依頼から外されるということは、自分は必要のない
人間なのだと言われたことと同じなのだ。
「本当は、ちゃんと最後までやり遂げたかったんだ…。でもそれを言うと、ただの我が儘にしか
 ならないと思ったから…」
聞き分けの良い”良い子”のフリをした。今までだってそうだ。
嫌われたくはなくて、捨てられたくはなくて、”良い子”を演じてきたのだから。
だから、依頼から外された時は、自分は不必要だと言われたことがただ
恐怖だった。
「ただ甘やかして優しく接することだけが愛情だとは思わないよ。瀬口くん
 だって考え抜いた末での結論だと思う。君を想ってるからこその判断だよ」
―――…どうして、この人は欲しい言葉をくれるのだろう。
冬馬が、そんな人間ではないことは、きっと本当は知っていたように思う。
だけど信じことが出来なくて、怖くてただ嫌われないようにしていたのだ。
いつだって優しかったのに。大事にしてくれているのは分かってた筈なのに。
人一倍臆病な自分を、守ってくれていたのに――。
「冬馬さんなら…絶対に弟さんを見付けてくれる筈です。あの人は、凄い人
 だから」
「うん、有難う。僕も彼を信じてるよ」
初めて会った時も思ったことだが、北沢はとても柔らかく笑う。人に安堵感を
与える空気を持っている。
弱さを見せてしまうのは、その所為だろう。
北沢の顔を何気なく眺めていた瑛里は、ふと違和感を感じて止まった。
何か、気になる音。外から聞こえてくる。
「しっ…北沢さん…」
「どうしたの? 瑛里くん」
唐突に瑛里の顔に緊張感が走ったのを見て、北沢も表情を硬くした。
「誰かが…」
階段を上ってくる音が聞こえる。だが、何かがおかしい。
鉄の階段なのだから、普通に上ればもっと大きな音が立つ筈なのだ。なのに、耳を澄まさなければ
分からないほどの微弱な音は、何か不自然さを匂わせる。
このアパート付近には建物も少なく、小さな音でもよく響く筈なのに。
住人であるなら、そんな風に音を殺す必要などない。実際、先ほどから何回か階段を上り下りする
音は聞こえているが、明らかに今の音とは違った。
訓練されて敏感になってる耳は、その違和感に警告を発する。間違いなく、二人いる。
二つの小さな靴音は、一つは階段を上り切った所で、一つは案の定北沢の部屋の前で止まった。
だが、数分経っても何も起こる気配はない。確かに気配はするのに、話し声もしなければ、動く
こともない。
片方は見張りだろう。そしてもう一人は…こちらの様子を窺っている。
嫌な予感がする。ここは危険だと、良くないことが起こるのだと頭の中でシグナルが鳴る。
逃げなければいけないと―――。
担当を外されたからといって、この状況で無関係だなんて言えない。何よりの優先事項は―――。
「北沢さん、音を立てないように壁に身体を付けて下さい」
小声で、瑛里は北沢に指示する。部屋の真ん中にいるのは一番危険だ。
しん…と静まり返った部屋で、心臓の音だけが激しく騒ぎ立てる。
カチリ…と音が鳴った。―――始まりの合図はそれだった。
「伏せてっ!!」
瑛里が叫んだと同時くらいに、ガラスの悲鳴と共に無数の弾痕が部屋のあちこちに出来ていく。
窓ガラスの破片が飛び散り、木製のドアが破片を飛び散らせて粉砕されていく。
自動小銃だろうか。連射のインターバルが早い。
だけど、自動小銃ならこれだけ連射していれば、すぐに弾切れになる筈だ。補充するタイミング。
…チャンスはその一瞬のみ。
(…13、14、15! 今だ…っ)
予想していた通り、15発を数えたところで途切れた。瑛里は、すかさず手に触れていたピストルを
抜き、今銃弾が飛び込んできていた方へ2発撃ち返す。
手応えは無い。ただの威嚇射撃なので、相手が怯めばそれでいい。弾のストックも持ってきては
いないので、無駄な撃ち合いは出来るだけ避けたいところだ。
(これでそのまま帰ってくれれば良いけど…そう甘くもないかな)
案の定、様子を窺ってると、補充し終わったのか再度銃弾が飛び込んできた。
だけど、3、4発ほど撃ってきたところで、突然その音は途切れた。勢いよく、鉄の階段を下りていく
音が聞こえる。
「北沢さんはここから絶対動かないで!」
そう叫ぶと、瑛里は弾痕の残るドアを身体で押し退ける。階段を下りたところに、黒尽くめの男の
姿が二人。そして、少し離れたところに車が一台停まっていた。
相手がプロなら、確実に仕留めるまでは帰らない筈だ。しかし、北沢の生死も確認しないまま
男たちは車の方へと向かっている。
ただの脅しだったのだろうか? 勿論、ここを狙ったということは目的は北沢である筈なのだが。
考えながら、二人の後姿を追っていた瑛里の耳元で、風が凪いだ。
「3人…っ」
もう一人の人間が車内にいる。停まっていた車の運転席の窓から、銃口がこちらを向いていた。
慌てて瑛里は、身を隠す。ジン…と、鈍く熱を帯びた痛みが右肩から脳へと上がってくる。
二発聞こえた銃声のうち、一発は耳元を、一発は腕を掠めていったようだ。
「大丈夫…大した傷じゃない…」
自分に言い聞かすように、そっと呟く。利き腕じゃなかったのは不幸中の幸いといったところか。
事件の真っ只中にいる依頼人の元へ行くのに、ほとんど何の用意も無しに来てしまった自分は
かなり迂闊だったと、瑛里は後悔する。
とりあえず今は、深追いするよりかは何かしらの情報を掴むだけに止めておいた方がいい。
そう、思っていたのだけれど―――。
「瑛里くん! 血が…っ」
「きた…っ」
車に辿り着いてドアに手を掛けた片方の男が、北沢の姿を目に留めて銃口を向けた。
思考よりも先に、身体が動いていた。
訓練された手は、機械的に狙いを定める。手元に衝撃があった。
微かに、風に乗って呻き声のようなものが流れてきたかに思う。
車の横で、北沢に銃口を向けていた男が、音もなく倒れ込む。その男に構う様子もなく車はもう
一人の男を乗せるなり、急スピードで走り出していく。
まるで、作られた映像を見ているように目に映る光景。
サイレントムービーのような、視覚だけが捉える感覚。
倒れた男の頭から流れ出す液体が、地面を赤黒く染めていく。闇を広げるように。
横たわる身体は、微動だにしない。知っている、それが”死”だと―――。
知識だけだった。本当の意味を、今知った気がした。
自分の手が、”殺した”のだ―――。
「…あ…っ…あ…」
身体が震えている。声が声にならない。その場に崩れ落ちるように座り込み、瑛里は無意識で自分
自身を抱き締める。だけど震えは治まらない。
「瑛里くんっ!」
走り寄ってくる音が聞こえた。
「大丈夫、瑛里くん?!」
北沢が、瑛里の腕を解きハンカチのような物で肩口を止血する。だけど、瑛里には肩口の痛みなど
既に認識出来るほど、脳は正常には働いてはいなかった。
自分の血よりも、色濃く目に焼き付く残像がある。視界が全て赤で埋まっている気さえする。
目の前で見た”死”の瞬間。そして、それは自分の手で行われた。
思考もなく、正確なまでに頭を貫いていた自分。無感情な殺人兵器のような…。
何も感じなかった。―――だから感じる、恐怖。
しょうがなかった。敵だったのだから。
撃たなければ、きっと撃たれてた。
だから撃ったのだ、当たり前のことだった。そういう風に教えられてきたのだから。
学んだこと実践しただけなのだ。
良い子だから。教えられたことをちゃんと守る、良い子なのだから。
でも―――血で穢れた手を持っていても、本当に良い子でいられることが出来るの…?
人を殺す”良い子”なんて存在するの?
怖いのは血を浴びることじゃない。血を浴びた、自分の姿だ―――。
「瑛里くん! 返事して瑛里くん! すぐに瀬口くんを呼ぶから!」
「冬馬さんは来ないよ…僕はこんなに弱いから、きっともう要らないから…」
「君は弱くなんかない! 守ってくれただろ、俺を」
「…守った……?」
初めて瑛里が、北沢の方に目を向けた。視点の定まらなかった瞳が、北沢を見る。
「そう、俺の命は君が守ってくれたんだよ。俺がバカだったんだ、あんな時に飛び出したら危ないのは
 分かっていたのに、君が撃たれたのが見えたから…」
ただ、漠然と思っていたことは『死んで欲しくない』というただそれだけだった。
だけど、一つの命を守って、一つの命を消す。それは本当に正しいことなのだろうか?
血に染まる自分は、本当に間違いじゃないの?
「…だけど怖い…手が、赤いのが取れなくなる気がするんだ…」
「違うよ瑛里くん…。俺にとっては君は命の恩人なんだ。誰がなんて言ったって、俺にとっては
 君は必要なんだ。君は大事な存在なんだよ」
「…ふ……ぁ…っ」
込み上げるものはなんだったのだろうか。熱くて、苦しいものが胸を埋める。
泣いていたのだろうか。涙など出るのだろうか。
涸れることは、ないのだろうか。
その雫で、少しでも赤色を洗い流すことは出来るのだろうか…。

瑛里は、そのまま北沢の胸で意識を手放した―――。

To Be Continued...