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つまり."論理改革"..糸口..どこにあったかという問題..話題を移そうと思います。
...ここで、改革の矛先.は何処へ向けられているのか .言えば、勿論、20世紀の論理学の標準理論 つまり、先ほどの Fregean理論であるわけです。.では、その どこが問題だったのか ということですが、結果的には あっちと言わず こっちと言わず 方々が問題であって、とても 一個所だけパッチを張って済むようなものではなく、もう一度 土台骨からして 造りなおさねば ならないものであったことが 判明したのですが、それは 結果的. わかったことであって、最初にほころび(不具合)が感じられたのは 仮言命題の扱いをめぐってのものでした。
...仮言命題 とは 言うまでもなく、[ならばである]という形式の文で表わされる命題のことなのですが、その意味については、Frege以前は.次のような見解..が有力でした。 それは、.

ならばである] とは、 に関連した何らかの集合{ 同じくに関連した何らかの集合{}について
...................}⊆{}が成立することである..--------------------------------

というものでした。 もっとも、集合{,}の正体は 実際のところ、よくは わかっていませんでした。Boole先ほど見たように、{,}を それぞれ ,が成立する時間の集合と考えたのでしたが、確かに そのように考えられる場合もあることはあるのですが、かといって いかなる場合にも この解釈が通用するわけでもありません。
...例えば、[ダイナマイトに点火すれば、爆発がおこる] という文の場合は この解釈でよいでしょう。

{t|時刻 でダイナマイトに点火する}⊆{t|時刻 (の直後)で爆発がおこる}

しかし、[酸素が無ければ、ヒトは生存できない] という文の場合は どうでしょう? この場合は 時間というより むしろ、場所です。

{p|場所 には 酸素が無い}⊆{p|場所 では ヒトは生存できない}

一方、[x が4の倍数ならば、x は偶数である] という文を

{t|時刻 x は4の倍数である}⊆{t|時刻 (の直後)で x は偶数である}

と解釈するのは、かなり 苦しい。 この場合は 時間や場所など持ち出さず、 単純に

xx は4の倍数である}⊆{xx は偶数である}

と解釈すべきです。 このように、正に "あちらを立てればこちらが立たず"の呈で、ならばである] }⊆{ と解釈する説では 集合{,}の正体が なかなか一筋縄では捉えられないのですが、それは ひとまず棚上げにしておいたとしても、この解釈には 次のような 難題が控えていたのでした:−.

ならばであり かつ ならばである ならばならばである] でてくる'ならば'は いったい どんな集合の包含関係に
対応したものなのか?

このように論敵に問われた時、の見解に立つ人々は沈黙せざるをえなかったのでした。
..以上のような困難からだったであろうと想像されるのですが、Fregean理論では [ならばである] }⊆{ とする解釈は採用されず、かわりに 次のような見解がとられることになりました。 それは、.

.................................................ならばである] とは でないか又はである] ことなのである ------------------

というものです。 もっとも、仮言命題についての このような見解は Frege に始まるというわけではなく、早くは 紀元前4世紀に古代ギリシアの フィロン という メガラ派の哲学者が 唱えていたものでした。.
..尚、Fregean理論では さしたる根拠もなく、[ならばである] を内含する] とを 同義と見做しているのですが、果たして.本当にそう考えてよいのか.という問題も.あります。. まあ、この点は それほど大きな問題も引き起こしはしないように思われますので、ここは 一歩ゆずって、当面、これらは 同義と考えておくことにしましょう。.
..さて、では この見解には充分な論拠があるのか と言えば、残念ながら そうではありません。 Principia Mathematica で これについての それらしき論拠を捜してみると 次のような記述が見つかります。.

..………..if p and.p.v.q are both true, then q is true...In this sense the proposition .p.v.q
.will be quoted as stating that p implies q...Vol.T, Introduction, ChapterT, p.7, lines 56..

...つまり、こういうことです.:−. であって[ならば]であれば が結論.される。 一方、 であって[でないか又は]であっても が結論.される。 よって、ならば でないか又は のことなのだ と考えられる..!.)。.
....これは、「..から が推論でき、かつ ..からも が推論できる.ならば、. とは同義.と見做.してよかろう」.との判断.に立脚しているわけですが、果たして.これが妥当.な判断.と言えるでしょうか? 下の例 参照。.
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...ところで、[ならばである]..強引..でないか又はである].."定義"したことによる弊害. 別の方面から 吹き出してくることになります。 .いま、[を内含する] でないか又はである] との異同について、 具体的な命題で置き換えて 検討してみることにしましょう。.

[8は4の倍数である], [8は偶数である] の場合:
を内含する]: [8は4の倍数である 8は偶数である を内含する] -------- 直感的に 考えて、正しく、
一方、[でないか又はである]:
[8は4の倍数でないか 又は 8は偶数である] -------- 正しいので、.
この場合については
問題ない。

[月はスッポンである], [8は偶数である] の場合:
を内含する]: [月はスッポンである 8は偶数である を内含する] -------- 直感的に 考えて、ナンセンス(又は 誤り)である。
一方、[でないか又はである]: [月はスッポンでないか 又は 8は偶数である] ------ 一応 肯ける。
したがって、この場合、[を内含する] でないか又はである] とを 同義とするのは 問題である。

...そこで、Russell...Fregean論者が取った手段.は、[でないか又はである]を."広義の内含".あるいは"実質的な内含"..見做すことでした。.つまり、[でないか又はである].とき、[.広義に/実質的に.内含する].考えるわけです。."狭義の(つまり、本来の)内含".の正体を明確にせずにして、いきなり."広義の内含".とか."実質的な内含".と言うのも.妙な話なのですが.…。.
.. では、曲がりなりにも それで問題は収まるかと言えば、それが 決して そうではないのです。
...Clarence Irving Lewis (1883-1964) というアメリカ人の論理学者は.次の様な.おもしろい例..あげて.Russell に論争を挑みました:−
Fregean理論では、[]∨[..定理になる.ので新聞の紙面などから任意にとった二つの命題について.どちらか一方が他方を(広義には)内含する.と言わざるを.得ないことになる.というのです。.
...ここで、私たちは もっと 決定的な事例 あげて、Fregean論者に 致命的一撃 を下すことにしましょう。

.[ライオンは哺乳動物である],[ライオンもクジラも共に哺乳動物である] おいてみると:−
.を内含する]: [ライオンは哺乳動物である ライオンもクジラも 共に哺乳動物であるを内含する] ------ 明らかに、これは偽です。
.でないか又はである]: [ライオンは哺乳動物でないか 又は ライオンもクジラも 共に哺乳動物である] ------- こちらは真です。
.一方は偽であり、他方は真であるような二つの命題 同義であるはずはありません。

.....とまれ、Fregean理論では を内含する]..でないか又はである] との関係を 見誤っているのです。 これは 次のように 言うこともできるでしょう:−..Fregean理論では ならばである] という命題の正体が正しく捉えられていない。.

.....こうして、"論理改革" 仮言命題の正体を解明するすることから 始まったのでした。 これは 最初の そして 後から振り返っても 最大の.難所でした。.そこには いくつもの難問 複雑に絡んで縺れあっており、先ほどの例に一層 輪のかかった "あちらが立てば こちらが立たず"の呈をなしていたからです:−.