| 日本 米国撃破 ジャパン杯初優勝 |
MVP上野 4安打完封
2005ジャパンカップ/第3日/7月31日(日)/神奈川県横浜市・横浜スタジアム
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出場メンバー |
ジャパンカップ最終日は横浜スタジアムに舞台を移し、強烈な日差しの下で行われた。第1試合(3位決定戦)では、中国が豪州を2−0で破り、大会初勝利を挙げている。残すは日本と米国の間で行われる決勝のみ。
先発投手は試合開始30分前に発表された。米国は二本柱の一人ジェニー・フィンチ。USA杯決勝で日本に敗れたキャサリン・オスターマンはベンチスタートとなった。また、前日の日本戦のメンバーのうち5人を入れ替えている。
いっぽう日本は、エース・上野由岐子が予想通り満を持して登場。バッテリーを上野−吉田真由美に変更した以外は、前日と同じスタメンで臨む。
1回表、日本は先頭の西山麗が挨拶代わりの一打。高目の2球目を一塁線に弾き返す二塁打を放ち、女王相手に一歩も引かない闘う姿勢を見せる。
対日本戦の連敗ストップを期して送り出されたフィンチだったが、制球が定まらない。2回表には2四球を与えたほか、5人の打者に対し初球がすべてボール球だった。3回表にも、先頭の西山に死球を与え、これが命取りになる。
続く内藤恵美が叩きつけた打球は高くバウンドして、三塁手のグラブを弾く内野安打。山田恵里が送って一死二、三塁とし、打順は4番へ。田中幹子の打球は一塁への平凡なゴロだったが、三塁走者の西山は思い切って本塁を突く。ステイシー・ヌーベマンのタッチを巧みにかいくぐって生還に成功。米国は死球で出塁させた走者に先制点を奪われた。
なおも二死二、三塁から、主将・伊藤幸子が一・二塁間を打ち抜いて、貴重な2点目を追加する。
フィンチは4回表に、またも先頭の吉田を歩かせたところで降板。オスターマンに後を託す。
日本はオスターマンに対しても、送りバントや相手のパスボールで二死三塁と追いつめ、内藤が中前にうまく落とす適時打で、吉田を生還させた。
今大会の米国戦では、山田、田中、馬渕智子らの主軸が不振だったが、前後を固める西山、内藤、伊藤らがいい働きを見せた。西山は今大会の最優秀打者賞に輝いている。
不本意な出来に終わったフィンチと対照的に、上野は好調。試合の前半は110km台後半の速球を連発し、3回までジェシカ・メンドーザの1安打に抑える。2回に121kmが表示されたときは、観衆がどよめいた。
唯一のピンチは4回裏。ケイトリン・ロウ、ヌーベマンの安打などで二死一、二塁とされ、テルアイア・フラワーズに中前にへと運ばれる。1点を返されてもおかしくない場面だったが、米国のコーチは二塁走者のメンドーザを三塁で制止。山田の強肩が、米国に無言の圧力をかけていた。上野は続く強打のフラワーズを三ゴロにしとめ、この回も無失点で切り抜ける。
以後はまったく危なげなし。ロウ、ナターシャ・ワトリーなどのスラッパー達は力でねじ伏せ、強打のメンドーザ、ヌーベマンらに対しては手の出ないチェンジアップと緩急自在。回が進み優勝が近づくにつれ、高まっていく観衆の緊張感とは反比例するように、心憎いばかりの落ち着き払った投球を展開する。
上野が投球の構えに入るとスタジアムはしんと静まり返り、ストライクを取るたびに歓声が挙がる。国内での代表戦で、観客がここまで一つになったのは、1998年の世界選手権・静岡大会しか記憶がない。
最後の打者となった代打・ジェイミー・クラークを、ライズで三球三振に斬り捨てると、スタジアムには大歓声が爆発。地元での決勝で、米国を破っての大会初優勝という快挙を成し遂げて、抱き合う選手たちの歓喜の輪が、ピッチャーズサークル上に広がっていた。
■ 出場メンバー
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