リトルエンジェルスの紹介

---リトルエンジェルス誕生

リトルエンジェルス

”韓国少女民族舞踊団 リトルエンジェルス”は'62年韓国文化財団によって誕生いたしました。
'65年を皮切りに、現在まで30年以上、延べ2000回近くの公演を全世界で行ってきました。
世界中の国と国の架け橋となるべく、国境を越えて世界の平和へ貢献するリトル・エンジェルスをご覧下さい。

---リトルエンジェルスの歩み

アイゼンハワー大統領 民族の伝統と平和の中に生き続ける固有の和音と躍動を通して、世界に舞う平和の天使たち・・・。リトルエンジェルスは1962年の創立以来、29回に渡って40数ヶ国を訪れている。

  1968年、メキシコ・オリンピック民族芸術祭に政府代表の一員として参加。「民族芸術祭にも賞があるなら、リトルエンジェルスは金メダルをえたことであろう。」とニューヨーク・タイムズ紙に賞賛されている。

  また、1970年12月にはホワイト・ハウスに招かれ当時公式訪米中であったイギリスのヒース首相も参席したニクソン大統領主催のクリスマス公演に出演。米国大統領の前で公演するのは2度目で、これ以前にも故アイゼンハワー大統領の前でも公演する機会があった。また、同70年には、第2回日本公演が行なわれ、皇太子ご夫妻(当時)をお迎えしての特別公演が開催された。 その可愛らしい姿と高い芸術性を見て大変感動された。1971年。ヨーロッパでデビュー公演。ロンドンでは、東洋の芸術団体としては初めて英国王室から招待を受け御前公演。この時は出演団体の代表者だけを接見する王室の前例を破って、エリザベス女王は全団員の一人一人に握手をされ、その高い芸術性と小さな天使たちのめざましい活躍をたたえられた。

  リトルエンジェルスは慈善公演にも数多く出演しているが、とりわけ1972年12月、オランダのヘイグで開かれたユニセフ基金募集の為の祝祭に参加してオランダの観衆を魅了、これがユーロビジョンを通して全ヨーロッパ17ヶ国に放映され、一躍全ヨーロッパにこの小さな天使たちの美しい微笑みと踊りが知られるようになった。また、73年には同じユニセフ基金の為に米国にある国連総会議場で特別公演に出演、各国の代表者また賓客にその優雅な踊りを披露し絶賛された。

 1974年には3チームのリトル・リトルエンジェルスを編成、アメリカ、日本、ヨーロッパなど世界各地で公演。特に第2チームは政府文化使節として東南アジア、中東、ヨーロッパなど21ヶ国を公演旅行。75年、第1チームは再び国家文化使節として、南米12ヶ国を訪問、別のチームは同時に欧米を公演、韓国の美を紹介して民間外交使節を果たした。このように、リトルエンジェルスの活躍は、韓国の伝統舞踊を世界に紹介するばかりでなく、世界の平和と幸福の為に大きな実績を積み上げてきている。

 1988年のソウル・オリンピックでは、開会式にその舞踊を披露、オリンピック芸術祭では、韓国の伝統芸術を見事に表現し、世界中から訪れた人々に感動を与えていた。

北朝鮮訪問  日本においては、1968年、70年、72年、74年、そして1985年、90年、92年、93年、96年、97年、98年と来日。公園に加えて、当時の首相への表敬訪問、筑波博など文化交流にも大きく貢献した。リトル・エンジェルス世界公演30周年であった1995年11月、ソウルの世宗会館大ホールで30周年記念祝典が盛大に開催され、もとリトルエンジェルスのメンバーとして世界を見て育った多くの先輩たちが、今や韓国を担う世代として各方面で活躍する姿が紹介された。

  1988年5月には世界で初めて北朝鮮を訪れ、平壌での12日間の公演を大成功させた。この公演は南北統一への機運を大いに高め、南北の文化交流の歴史的な第一歩となったのである。

---朴普熙氏

朴普熙
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朴普熙氏

韓国文化財団 理事長

日韓文化交流協会 顧問

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朴普熙氏の経歴

1930年 韓国忠清南道生まれ。

'50年陸軍士官学校入学。韓国動乱参加。

'52年アメリカ フォート・ベニング陸軍歩兵学校留学。

帰国後、韓国歩兵学校教官をへて'56年国連軍司令部内の米軍事顧問団長専属副官、'61年駐米韓国大使館の陸軍武官補佐官に任命され米国赴任。(陸軍中佐)。など輝かしい経歴を持つ。

'65世界宣教師として渡米。韓米文化自由財団創設。

「自由アジア放送」「リトル・エンジェルス公演」で全米に反響を呼ぶ。

現在、ワシントン・タイムズ社会長、韓米文化自由財団総裁、カウサ・インターナショナル会長、世界平和連合議長、元世界言論人協会会長。

---挨拶

(1998年公演時挨拶)
この度、韓国の誇るリトル・エンジェルスを再び日本に御招き頂きました事を心より感謝申し上げます。

 敬愛してやまない日韓文化交流協会の金山政英先生が、昨年の11月その高貴な生涯を終えられましたことに、謹んで御悔やみを申し上げます。金山先生が日韓の文化交流の架け橋として成し遂げてこられた数々の偉業は、今確実にその後輩の手によって受け継がれ、また、新しい芽となって成長する兆しを見せております。私も日韓文化交流協会の顧問として、更なる努力をして行く所存で御座います。
 1998年は韓国・日本のみならず、アジア全体にとりまして経済的にも政治的にも、激動の時を迎えております。このような時こそ、私達はあらゆる障害を超えて人々を理解し、和合を求めて努力して行くべきだと思っております。
 「平和の天使、心の天使」といわれるリトル・エンジェルスは、今まさにその本願を発揮して世界を飛び回り、一昨年は22年ぶりに南米を訪れ感動的な公演を成功させました。
 彼女たちはこのように世界の主要な大陸はほとんど全て訪れ、その歌と踊りを通して親善の役割を果たしてまいりました。その大きな活躍は、毎年訪れるたびに日本の皆様がエンジェルスを暖かく迎え励まして下さいましたお陰であると確信しております。1998年も皆様にとりましても良き年となりますように、心より祈念して挨拶に替えさせていただきます。

---リトルエンジェルス芸術会舘

リトルエンジェルス芸術会舘 リトルエンジェルス芸術会館は、この誇り高い”韓国の顔”リトル・エンジェルスが恒久的な芸術団体として発展し、彼女らが心置きなく技術性を練磨してその美しさ繰り広げて見せることのできる自分の家と学校がなければ---という夢と願いから出発した。

 世界の有名芸術団体にはその専用劇場(Home Base Theater)があるように、リトル・エンジェルスも自分たちの専用劇場--韓国を訪れる人々にいつでもわが国の誇る文化芸術を披露できる自分たちの家が必要だった。

 その夢と願いが結ばれ、1973年にリトル・エンジェルス芸術会館が起工されて以来、多くの困難の中、長い努力の末に、1981年11月、オペラハウス風の格調高い芸術劇場がその姿をあらわすにいたった。

ホール内 リトル・エンジェルス芸術会館は、伝統文化の花を咲かせる誇り高いリトル・エンジェルスの家であると同時に、東西文化交流のかけはしとして、様々な水準の高い公演を見せる”芸術の殿堂”として名声を得ているのである。

 今やここソウル陵洞の子供の国大公園のそばに聳えるリトル・エンジェルス芸術会館は、名実ともに韓国民族の平和精神の象徴、韓国芸術文化の金字塔、国際文化交流の殿堂として、連綿とその使命を果たしていくだろう。

---仙和学園

仙和学園 1974年に開校した仙和芸術中・高等学校は、「悠久の歴史を持つ韓民族は、誇り高い文化民族であり、成長していく青少年には、卓越した芸術才能の潜在力があるから、体系的初期教育を施せば、世界にも秀でた芸術家に育てることができるだろう。」という信念から設立された。

 もちろん、このような精神は、1970年のリトル・エンジェルスの世界活動の時の貴重な体験から得られたもので、学校の設立はリトル・エンジェルスを韓国の代表的な児童芸術団体として恒久的に育成するために、その後ろ盾になる教育機関が併設されなければならないという必要性によるものである。

 現在、仙和学園のキャンパスには、景福国民学校、仙和芸術学校、仙和芸術高等学校、小・中・高の教育機関が併設されて、芸術の初期教育と体系的訓練の一貫した教育体系が完成し、4000名の生徒がここで学んでいる。

 仙和学園では、創立者による創立精神である”愛天”、”愛人”、”愛国”の3愛主義を高く掲げて人格形成の基本とし、正直、親切、奉仕の徳目を実践させて、驕らずに精進し、為に奉仕する芸術家の資質を持つようにさせている。

授業の様子 芸術教育は音楽・舞踊・美術の各分野を網羅し、また芸術は内的人格の表現であるという前提から、人格淘治に力点を置いた全人教育のための一般学科教育にも力を入れている。

 また、芸術派万国共通の言語であるので、「世界性を持った芸術教育」を強調し、校門に「この門は世界に通じる」という標語を刻んで、毎日出入りする門が世界に通じていく門であることを感じさせ、世界に芸術韓国を宣揚する人材を育てている。

 このような理想を達成するには、教育環境の整備が何よりも重要な要素であるとの考えから、この陵洞キャンパスに、過去10年の間、世界的水準の学校が建設され、韓国芸術教育の揺籃として発展してきたのである。

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