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バーベリ著 『オデッサ物語』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


イリフとペトロフ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


ゴーリキイ
 
 
 

 

 NEW ! 
2002年6月14日全面改訂

岩本和久さん 祝原稿拝受!
オデッサの洗礼を受けた作家たち

この作家案内の下に岩本さんがオデッサの文学状況を語る
「あえてソヴィエト文学を読み返すために」
が入っています。





 
ロシア第2の港として発展したオデッサ。様々な芸術家がその町を通り過ぎていった。ゴーリキイやクプリーン、アレクサンドル・グリーンも、放浪生活の中でオデッサに立ち寄っている。
1920年代になると、オデッサ出身の若い作家たちがソヴィエトの文壇で活躍するようになった。彼らは特定の文学グループを作っていたわけではないが、個人的な交友関係や「同伴者」という立場、そして故郷オデッサへの思いを通して、一定の連帯感を保っていたと思われる。彼らと親交のあった作家にパウストフスキイがいる。ロシアの自然を描いたことで知られるパウストフスキイも、創作の初期には南方の自然に魅せられていた。
 
 
 
 
 
 

ここでは特に翻訳で読めて、
オデッサをともに歩けるような作品をご紹介します。

 

イリフとペトロフ
(イリフ、イリヤ1897ー1937;ペトロフ、エヴゲニイ1903ー1942)
オデッサ出身の作家。ペトロフはヴァレンチン・カターエフの実の弟である。共同で執筆活動を行った。詐欺師オスタップ・ベンデルを主人公とした風刺小説『12の椅子』(1928)とその続編『黄金の仔牛』(1931)はよく知られている。

邦訳に『12の椅子』江川卓訳、『世界ユーモア文学全集6』に所収、筑摩書房、1961年/、広尾猛訳、ナウカ、1934年江川卓訳、筑摩書房、1961年。『12の椅子』江川卓訳、集英社、
1968年。『黄金の仔牛』上田進訳、『現代世界文学叢書』に所収、中央公論社、1940年/上・下、上田進訳、歴程社、1951年。『黄金の仔牛』
上田進訳、創元社、1957年。
 
 
 

オレーシャ、ユーリイ(1899−1960)
オデッサ出身の作家。長編小説『羨望』(1927)、児童文学『3人のふとっちょ』(1928)、短編集『さくらんぼの種』(1931)などで、ソヴィエト体制と芸
術の葛藤を描いた。社会主義リアリズム時代には文学の一線から退いていたが、オデッサで過ごした幼年期を描いた回想『1行とて書かざる日なし』(1965)が死後に出版されたことで再度、脚光を浴びることになった。
 

邦訳に『羨望』木村浩訳、集英社、1967年。『3人ふとっちょ』田中泰子訳、学習研究社、1970年。『愛』 工藤正広訳、晶文社、1971年、1990年。 

カターエフ、ヴァレンチン(1897−1986)
オデッサ出身の作家。5ヶ年計画を背景とした『時よ、進め』(1932)でソヴィエト作家としての地位を固めるが、その後、オデッサの記憶を反映した『孤帆は白む』(1936)など叙情的な作品を執筆するようになった。スターリンの死後は雑誌『ユーノスチ』の編集長として活躍した他、実験的な小説『聖なる井戸』(1965)や戦時のオデッサを描いた『忘れな草』(1967)を発表した。1970年代にも『わがダイヤモンドの冠』(1978)など、オデッサの記憶にもとづく小説を発表している。

邦訳に『連隊の子』西郷竹彦訳、講談社、1961年。『孤帆は白む』米川正夫訳、集英社、米川正夫訳、1965年、『世界文学全集 20世紀の文学28』に所収、集英社、1968年。『黒海の波』(全2巻)山村房次訳、新日本出版社、1967年、「黒海の波」上下、山村房次訳、『世界新少年少女文学選』に所収、新日本出版社、1980年。『聖なる井戸』江川卓訳(『現代ソビエト文学18人集』3、新潮社、1967年に収録)。
 
 

ゴーリキイ、マクシム(1868−1936)
20世紀初頭のプロレタリア文学を代表する作家。少年時代からの放浪生活の後に、作家となった。『母』などの政治的な作品を執筆しただけでなく、自らも革命運動に積極的に参加した。ロシア革命後は新体制に抗議したものの、晩年には作家同盟の議長となった。彼は1891年にオデッサを訪れ、港湾労働者として働いた。短編「チェルカッシ」(1895)にはそうした経験が反映している。

邦訳に『ゴーリキー短編集』上田進、横田瑞穂訳、岩波書店、岩波文庫、1966年(「チェルカッシ」を所収)。
 

クプリーン、アレクサンドル(1870−1938)
20世紀初頭に活躍したロシア作家。1894年に軍務を離れた後、南ロシアやウクライナを放浪しながら、様々な職についた。オデッサもたびたび訪れている。10月革命後はパリに亡命するが、37年に帰国、翌年に死亡した。短編「ガンブリヌス」(1907)や長編『ヤーマ』(1909-15)には、20世紀初頭のオデッサとその近郊が描かれている。
 

邦訳に『ヤーマ《魔窟》』、昇曙夢訳、創元文庫、1952年、『世界文学全集 第2期14』所収、新潮社、出版年不明/Allez!、『世界短編傑作全集4』に所収、米川正夫訳、河出書房、1936年/「ヤーマ」松田寛訳、『世界文学全集36』に所収、新潮社、出版年不明。
「さあ、やれ!」、米川正夫訳、『現代の世界文学 ロシア短編24』第2版、集英社、1991年。

グリーン、アレクサンドル(1880−1932)
幻想的な作風で知られる作家。少年時代、海に憧れて内陸のヴャトカを離れ、オデッサに向かう。その後、放浪生活を経て、作家となった。1920年代からはクリミア半島で生活した。西欧を思わせる架空の空間を舞台とした彼の作品は、オレーシャやパウストフスキイに強い影響を与えた。
 

邦訳に『深紅の帆』原卓也訳、フレア、フレア文庫1997年。『波の上を駆ける女』安井侑子訳、晶文社、1972年。『輝く世界』沼野充義訳、沖積社、1993年。『黄金の鎖』深見弾訳、早川書房、ハヤカワ文庫FT、1980年。『消えた太陽』沼野充義、岩本和久訳、国書刊行会、1999年。
 

パウストフスキイ、コンスタンチン(1892−1968)
ソヴィエトを代表する作家。ロシア革命後、新聞記者としてオデッサに3年間、滞在し、バーベリやバグリツキイらと親交を深めた。創作の初期にはアレクサンドル・グリーンの影響下、カフカスや黒海など南方を舞台としたエキゾチックな作品を執筆している。後に、ロシア中部の自然を叙情的に描くようになり、それを自らの作風とした。
バーベリの回想は「大いなる期待の時」という作品に入っている。
以上の作品について邦訳の有無は不明。
           

バグリツキイ、エドゥアルド(1895ー1934)
オデッサ出身の詩人。モダニズムの影響を受けながら、具象性や鮮やかな色彩、ロマンティックな熱情を特徴とする独特の詩世界を切り開いた。代表的な作品として『オパナスの語り唄』(1926)、詩集『南西』(1928)を挙げることができる。
 

邦訳に詩集『南西』(抄訳、密輸業者」を所収)/「勝利者たち」 吉原武安訳、『世界名詩集大成13ソヴェト』に所収、平凡社、1960年。
 

岩本和久(稚内北星学園大学情報メディア学部)

 

オデッサの文学状況を岩本さんが語る
「あえてソヴィエト文学を読み返すために」






1920年代のソ連ではオデッサ出身の作家たちが活躍した。『騎兵隊』、『オデッサ物語』、『羨望』、『3人のふとっちょ』、『12の椅子』、『黄金の仔
牛』、『弧帆は白む』……。しかし、それは既に終わってしまった出来事にすぎないのではないか、と思える瞬間がないわけではない。それらの作品の日本における翻訳紹介は1970年前後にはほぼ完了しており、今ではそのほとんどが自らの役割を終えたかのように絶版となっている。同時期に紹介されたパステルナークやブルガーコフの作品が古典となり、日本人による研究も盛んであるのに対し、オデッサ出身の作家たちは文学史の頁の中に封印されてしまったかのようだ。

 

とはいえ、彼らの作品の魅力がすっかり失われてしまったわけではない。それらを生んだソ連という国も、20世紀という時代も今では過去のものだ。しかし、
彼らの作品はその内容がいかに遠い国の出来事に思えるとしても、それでも図書館の書庫や古本屋の棚の中で、読者に再発見される時を静かに待っているに違いないのである。
 
 

 彼らの作品の魅力は何よりもまず、伝統的な文学とのコントラストであろう。それはオデッサの風土であったり、外国文学からの影響であったり、革新的な文体であったり、風刺への関心であったりするわけだが、いずれの場合も伝統的なロシア文学との差異が注目を集めたことには変わりない。バーベリの鮮やかで、なまめかしくもある描写は、現代の散文の中にあってもなお、強烈な印象を残すだろう。オレーシャの作品は幻想文学として脚光を浴びたこともあるが、そうした受容の在り方にもまた、リアリズムを標榜し、現実社会を批判しようとする伝統的なロシア文学に対するある種の反発があったのだろうと思う。
 
 

 オデッサの文学は辺境の文学でもあった。多様な民族の暮らす南方の港町オデッサは、伝統的なロシア文学の舞台であるペテルブルグ、あるいは南ロシアの田園風景とはまったく異なっていたのである。バーベリはオデッサのユダヤ人社会を描いた。イリフとペトロフの『12の椅子』や『黄金の仔牛』の主人公オスタップ・ベンデルは、トルコ人と自称する無国籍な印象の人物だ。オレーシャの『3人のふとっちょ』は、西欧風な架空の都市を舞台としている。辺境から生まれた文学は、中央の伝統を革新してきた。19世紀のロシア文学においては、ウクライナやカフカスがそのような機能を果している。オデッサを含む黒海沿岸の地方もまた、そのような辺境としてソヴィエト文学を揺るがしたのである。
 
 

 実のところ、オデッサの文学は終わってなどおらず、更新され続けている。オレーシャ『別れの書』(1999年)やイリフ『手帳』(2000年)など、ロシアではここ数年の間にオデッサ出身の作家をめぐる伝記的資料が次々と刊行された。バーベリの粛清についての研究も出版されている(ポヴァルツォフ『銃殺による死の理由』、1996年)。
 
 

 新たな資料が現れる中、作家と権力の関係も改めて検討されることになるだろう。権力と作家の対立という神話化された図式は、疑問に付されなければならない。多くのソヴィエト作家たちは革命に対して一定の共感を寄せ、ボリシェヴィズムを受け入れようとしたのだ。であるならば、非情な暴力がオデッサの作家たちのテクストを横断していることにも、改めて目を向けるべきではないだろうか?それは国内戦を描いたバーベリの『騎兵隊』やソヴィエト体制の恐怖を示唆したオレーシャの『羨望』はもちろんのこと、明るい笑いに満ちた『12の椅子』の結末にも読み取ることができるだろう。そこでは鉄道員クラブの輝きの影で、主人公ベンデルが惨殺されるのだ。このような読解は、作品の持つダイナミズムを真に甦らせるもののように思える。
 
 

 こうした恐怖はオデッサの作家たちが好んだ追憶という行為とも、無縁でないように思う。もっぱらモスクワで活動していた彼らが、故郷のオデッサを懐かしむというのは、しごく当然の行為のようだ。しかし、彼らの回想にはいくつかの傷跡を認めることができる。戦艦ポチョムキンの反乱、ユダヤ人の虐殺、ロシア革命後の国内戦、そして第2次世界大戦。それらの暴力による町の荒廃はあたかも幼年期のトラウマのごとく、作家たちの記憶に傷を残している。彼らは惨禍の衝撃に導かれるかのように過去を、荒廃の彼方にある無垢な世界を見ようとしたのではないだろうか?そして、そのような記憶の空間として表象されることで、オデッサのノスタルジックな輝きはいっそう強いものとなったのである。
 
 

岩本和久(ロシア文学/稚内北星学園大学情報メディア学部)
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