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S ・エイゼンシテイン監督 『戦艦ポチョムキン』(1924)
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オデッサが舞台の映画
映画のオデッサといえば、エイゼンシテイン監督『戦艦ポチョムキン』(1924)のモンタージュ理論の実践「オデッサの階段」のシーンを思い出しますが、船員ワクリンチュクの葬儀の場面、偶然に撮影されたという霧のかかる早朝のオデッサ港のショットもこの作品に映画の美しさを与えて、忘れられないものにしています。
黒海に面した風光明媚な港町オデッサは、ロシアやウクライナからはもちろん、西欧からも近東からも人が集まる都市で、19世紀の末には外国の文化産物や多言語の交差する国際的な都市として華やいだ雰囲気をもっていました。そんなオデッサには映画産業も革命前から育ち、その映画会社を母胎に革命後には有力な撮影所になりました。ドブジェンコがデビューするのもこのオデッサの撮影所ですし、ロシャーリやガルジンなどのソビエト時代の傑出した監督たちの多くもここで育ったといっても過言ではありません。
オデッサはまた多くのユダヤ人が暮らした都市でもありました。ソビエト時代のユダヤ人の困難で複雑な状況は、このHPでも窺い知ることが出来ますが、ユダヤ人俳優ソロモン・ミホエルスはソビエト時代に絶大な人気を博し、その劇場であったユダヤ人劇場は、当時のユダヤ文化のメッカでもありました。ミホエルスはアレクサンドロフ監督『サーカス』(1936)にも出演しています。これは黒人との間に出来た父なし子を持つサーカス芸人を主人公にした映画なのですが、そのエンディングで、ミホエルスはこの黒人とのハーフの子供を抱きかかえて、イディッシュ語で歌を歌うショットに納まっており、ユダヤばかりではなく、黒人やアメリカ人などとの、つまり多国籍間の民族の友愛がいささか楽天的に描かれてもいました。皮肉なことに、ミホエルスが第2次大戦後のコスモポリタニズム批判の犠牲となってしまうのは、今では知らぬ者とていないほど有名な事実です。
オデッサはまたそんなユダヤ人映画の記憶と結びついてもいます。ユダヤ人劇場の演出家だったグラノフスキイが撮った映画『ユダヤの幸福』(1925)は、ミホエルス演じるユダヤ人がベルディチェフというウクライナの典型的なユダヤ人街のからオデッサに出てマッチ職人になる話です。ベルディチェフという街は、日本でも上映されたアスコリドフ監督『コミッサール』(1967)の舞台なので記憶に留めている人もいるかもしれませんが、こちらは私生児を生もうとする赤軍コミッサールをユダヤ人家族が助けるという物語です。またこのHPにも詳しい『オデッサ物語』を書いたバーベリの作品も映画になっています。ウラジーミル・ヴィルネル監督『ベーニャ』(1926)は『オデッサ物語』の「王」と「それはオデッサでいかにして起こったか」を下敷きにしたもので、当時のオデッサのアンダーグラウンドな世界を見事に活写しています。
これらの映画はソ連、とりわけウクライナ国内で製作されたユダヤ人映画のごく一部を示すものに過ぎません。アブラム・ロームにはクリミアのユダヤ人を題材にしたドキュメンタリー映画『大地のユダヤ人』(1927)があるし、ソロヴィヨフ監督『五人の花嫁』(1929)ではポグロムの犠牲になるユダヤ人村が舞台ですし、チェリカベール監督『涙の中から』(1928)もまた苦難を乗り越えて生き抜くユダヤ人家庭の、こちらは有名なジュイソン監督『屋根の上のバイオリン弾き』(1970)で知られたショレム・アレイヘムの原作の物語です。これらはオデッサの映画ではありませんが、ソ連の20世紀が持った深い問題の一つが、映画においても共有され、それがまたオデッサの文化的な地層の一つを形成していることは記憶に留めておいていいと思います。 永田靖 (ロシア演劇・映画/大阪)
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