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バーベリ著 『オデッサ物語』
 
 
 
 
 
 
 

 

イディッシュ文学
アシュケナージ(東方ユダヤ人)が日常的に用いていたのはイディッシュ語だった。この言語は基本的には中高ドイツ語の変種とみなされるが、語彙にはヘブライ語やスラヴ諸語も取り入れられ、ヘブライ文字によって表記される。使われ始めたのは11世紀頃というから、約1000年の歴史を持っていることになる。ただし「聖なる言葉」であるヘブライ語や、アシュケナージが商業活動などで用いていた現地語(ドイツ語、ポーランド語、ロシア語など)に対して、イディッシュ語の地位は低かった。それは家庭内で用いられる私的な言葉、「女子どもの言葉」として、長いあいだ貶められてきた。

イディッシュ語で文学作品を書くことは、それ自体が一つの立場表明だった。宗教性や思弁性が顕著だったそれまでのユダヤ人の著作とは一線を画し、アシュケナージの大半を占める民衆を相手に、その現実や「私的な領域」を語ること。それがイディッシュ語を選択した作家たちに共通する志向だった。ただしイディッシュ文学が開花したのは19世紀後半からだが、その背後には1000年に及ぶアシュケナージの民間伝承がある。イディッシュ文語は、この豊穣な口語表現の蓄積に立脚しているため、「語り」の色彩が極めて強い。

19世紀のロシアで活動したイディッシュ語作家の代表格は、なんといってもショレム・アレイヘム(1859-1916)だろう。彼はキエフやオデッサで暮らしながらユーモアとペーソス溢れる作品を書き、その多くはロシア語にも翻訳されてトルストイ、チェーホフ、ゴーリキイらからも高く評価されたが、1905年のポグロムに衝撃を受け、アメリカに移住した。代表作『牛乳屋テヴィエ』は、日本でも森繁久弥(現在は西田敏行)主演でロングランを記録しているミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』の原作として名高い。

世界的に著名なイディッシュ語作家としては、ほかにアイザック・シンガー(1904-91)がいる。戦間期のポーランドで自己形成を行なったシンガーは、むしろアメリカに亡命した後で有名になった。その作風は幻想的、神秘的な短編からリアリステイックな大河小説まで多彩である。代表作『イェシバ学生のイェントル』『敵、ある愛の物語』は映画化され、日本でも好評を博した。1978年にノーベル文学賞を受賞している。

イディッシュ文学に「世俗化」の志向が強かった以上は、オデッサがロシアにおけるイディッシュ文学の拠点だったことは当然だろう。ただしこの街の若きユダヤ人文学青年たちは、むしろロシア語で書くことを選んだ。バーベリはイデッィシュ文学をよく読んでいたが、1920年代のソ連でイデッィシュ文学や演劇が盛んだったなかでも、一貫してロシア語で書き続けた。あくまでも彼は、イディッシュの語り口をロシア語に移し変えることで、ロシア文学に新たな言語表現を切り開いた作家である。

中村唯史(ロシア文学/山形大学)
文献
上田和夫『イディッシュ文化:東欧ユダヤ人のこころの遺産』 三省堂、1996年。
西成彦『イディッシュ:移動文学論(I)』 作品社、1995年。
ショレム・アレイヘム『屋根の上のバイオリン弾き』 南川貞治訳、早川書房、1973年。
アイザック・シンガー『短かい金曜日』 邦高忠二訳、晶文社、1971年。 
          『ルブリンの魔術師』 大崎ふみ子訳、吉夏社、2000年。          『まぬけなワルシャワ旅行』 工藤幸雄訳、岩波書店、2000年。

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ショレム・アレイヘム