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帝政ロシアと東方ユダヤ人 帝国政府は、ユダヤ人の活動がロシア全土に広がるのを避けるため、その定住地域をリトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、モルダヴィアを結ぶ西部国境地帯に制限した。この処置は法的には1917年の社会主義革命まで有効で、バーベリの短編『ギイ・ド・モーパッサン』の主人公がペテルブルグに住むのに身分証明書を偽造しなければならなかったのは、このためだ。もっとも例外は少なくなかったようで、世紀末のペテルブルグには、すでに約2万人のユダヤ人が暮らしていたとの統計もある。 ロシア帝国内のユダヤ人は19世紀末で500万人強だった。これは世界全体のユダヤ人の約三分の一に当たる。反ユダヤ人感情は潜在的に根強かったが、それが爆発したのが、1881年のアレクサンドル2世暗殺をきっかけに帝国西部に広がったポグロム(ユダヤ人に対する集団暴行)だ。 ポグロムはアレクサンドル3世時代にもくり返された。ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』の主人公テヴィエが故郷の村を追われたのはその余波である。また1905年の第一次革命の際にも各地で発生したが、『私の鳩小屋の話』はこのときのポグロムを題材としている。20世紀初めに人口の50%を越えるほどにオデッサのユダヤ人が増え、暗黒街モルダヴァンカが形成されたのも、村を追われた人々がこの街に流入してきたためだ。 ロシアのユダヤ人は、神秘主義的なハシディズムの影響を強く受けたリトアニア・ベラルーシ・ポーランドの人々と、世俗化が進行した南部の人々とに大別できる。「北方ユダヤ人」の精神風土は、ベラルーシに生まれ育ったマルク・シャガールの絵や、ワルシャワ生まれのシンガーの小説などによって、芸術的に昇華された。一方「南方ユダヤ人」の中心地となったのはオデッサだ。この街はロシア文学の歴史に大きな役割を果たす一方で、イディッシュ文化やシオニズムの一大拠点でもあった。 バーベリは『騎兵隊』のなかで、信仰厚い北方ユダヤ人と、現世的な南方ユダヤ人との齟齬を巧みに描き出している。主人公リュートフがオデッサ出身であることを知ったガリツィアの師父は、この街を「われらが災厄の井戸」と呼ぶ。「オデッサではお金持ちの馬鹿な方々にずいぶんとお目にかかりましたよ!」ソ連文学初期の傑作『騎兵隊』には、若きアシュケナージによるアイデンティティの模索という、ユダヤ文学としての側面もある。
中村唯史(ロシア文学/山形大学)
文献
ツヴィ・ギデルマン『葛藤の一世紀:ロシア・ユダヤ人の運命』(サイマル出版会)1997 H.ハウマン『東方ユダヤ人の歴史』(鳥影社)1999 滝川義人『ユダヤを知る事典』(東京堂出版)1994
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