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ロシア文学を読もう 11号(2002年10月5日発行)
「ロシア文学を読もう」は
群像社の愛読者が
非営利目的で発行する電子フリーペーパーです。
 
 


    【目次】
              
特集 宮澤俊一 『ロシアを友に』に寄せて

|  かけがえのない架け橋  田辺佐保子 |
                         
著者紹介 宮澤俊一
   
目次より編集後記より新聞書評 
                     
『ロシアを友に』との出会い 戸栗 景子|
 
| 情熱を継ぐ  匿名希望|
                 
モスクワの宮澤さん御夫妻との出会い 西野 肇 |

タガンカ劇場と宮澤俊一さんと私  岩浅 武久 |

特報! 中平耀 著 『マンデリシュターム読本』、小野十三郎賞の特別賞を受賞!|














     特集 

 遺文集 宮澤俊一 『ロシアを友に』に寄せて
 
 


                                           定価 ¥2300(税別)
                     
 

   (この遺稿集は支援者のカンパにより出版されました。
   一部の大型書店を除き書店の店頭には置いてありません。
   注文は全国どの書店でもできます)。
 
 

 かけがえのない架け橋      
 

                 
                田辺 佐保子 (東京都、ロシア文学)          目次へ戻る↑
 
 

 宮澤さんには
 とても親切にしていただいた温かい思い出があるのに、
 じっくりとお話をうかがう機会もないままに亡くなられてしまった。
 それでいて
 思いがけない訃報に接した時には
 ひどく落胆したばかりか、
 日露の交流にかけがえのない人を失ったのではないかと
 強く思ったものだ。
 面白いと思ったロシアの演劇やコンサートなどが、
 宮澤さんの奮闘で実現したものだと
 後でわかったことが
 何度かあったからかもしれない。
 

 そんなわけで、
 文字通り心尽くしの遺稿集『ロシアを友に』が出版されたおかげで、
 遅ればせながら初めて
 宮澤さんの豊かなロシア体験や文筆活動を知ることができた。
 そして惜しい人を失った、と
 今度は確信をもって思った。
 宮澤さんはロシアからなんと良い宝物を授かって、
 なんて立派にそれに報いたことか。
 

 何の先入観も偏見もなしに
 ロシアの演劇の世界という宝島を巡り楽しみ、
 手探りで、ご自分の勘だけを頼りに、
 尊い宝物を探し当てられたのがわかる。
 もちろん親切な導き手たちとの 
 幸運な出会いにも恵まれて。
 そうした親切なロシア人たちが、
 秘密のとっておきの宝物をそっと見せてくれたのだ。
 子どもがとっておきの宝物を
 好きな人に見せるように。
 そうした宝物に魅せられ、
 近くで心を込めて味わい、つきあい、
 そのうえで探究も進め、
 労を厭わず日本に紹介してくださった。
 そうしたとてもまっとうな姿勢が、
 七〇年代後半のロシア演劇界の貴重な記録でもあるこの本を、
 熱い血の通う、
 心を打つものにしていると思う。
 

 エーフロス、リュビーモフ、ドージン、
 オクジャワ、ヴァムピーロフ、リャザーノフなど
 宮澤さんが見つけてらした宝物は、
 当時のソヴィエトでは異端的で
 新しい地平を拓きつつあった異才といえる人たちが
 多いのではなかろうか。
 そんなところにも宮澤さんの自由で、
 柔らかで、進取の精神に富む批評眼を感じる。
 

 思えばその昔私が、
 本やレコードで知るのみのロシアと同様に、ソ
 ヴィエトにも親しみを持つきっかけとなってくれたのが
 オクジャワの歌だった。
 「こういう歌も在る国なんだ!」と。
 野村タチヤーナ先生の授業で
 ヴァムピーロフの『六月の別れ』を読んだ折りに、
 先生がとっておきの宝物を披露するように聴かせてくださったのが、
 なれそめだったようだ。
 それがきっかけで
 ソヴィエトのシンガーソングライターの新しい世界が開け、
 ヴェルチンスキイ、レシチェンコ(注)等々、
 埋もれさせられてきた 
 古い、もうひとつのソヴィエトの歌の世界を知ることができた。
 オクジャワ、ドーリナ、ドーリスキイ(注)などの歌を
 じかに聴く幸福にも恵まれた。
 

 そのタチヤーナ先生に
 あの戯曲やオクジャワの歌という宝物を見せたのが、
 宮澤さんだったに違いない、と
 遺稿集を読んで確信した。
 そして宮澤さんが音楽好きな演劇好きでいらして良かった、
 と遅ればせながら感謝した。
 私もいつのまにか、時には呆れられつつ、
 ロシアの気に入りの歌のテープを学生たちに披露しつづけている。
 

              
  注 ヴェルチンスキイは1910年代に
  キャバレーで自作の歌を歌い始め大戦まで国外で活躍、
  レシチェンコは1920年代から主にブカレストでタンゴ、
  自作の歌を歌い戦後に弾圧された。
  オクジャワ(故人)は1960年代から、
  ドーリスキイ、ドーリナは1980年代から活動を始め
  現役のシンガーソングライター。
 
 
 

  著者紹介 宮澤俊一                    
                                   1989年オクジャワ来日コンサートの舞台上

  

  1932年東京生まれ。
  早稲田大学文学部卒。                                                  目次へ戻る↑
  久保栄から演劇を学び、劇団を結成。
  1970年からモスクワの出版社に翻訳者として勤務のかたわら
  ソ連体制下のロシア演劇とロシア文学の底力に注目。
  帰国後、群像社を設立し
  現代ロシア文学や戯曲の出版をはじめたほか、
  日本で初めてロシア人演出家による公演を多数成功させた。
  ロシア演劇・文学の紹介に力を注ぎ、
  NHKラジオロシア語講座の講師もつとめた。
  2000年死去。

  詳しくは宮澤のページをごらんください。

  

『ロシアを友に』 【目次より】                                目次へ戻る↑
 

       演劇を友に       モスクワ劇場通い/
                                モスクワの演劇最前線/
                                ユーリイ・リュビーモフ覚書/
                                チェーホフ劇はどう変わったか ― 生誕120年に/
                                ペレストロイカと演劇の関係/
 

       文学を友に       劇作家ヴァムピーロフとともに/
                                詩人・俳優ヴィソーツキイの死/
                                チェーホフ戯曲の細部をどう読むか/
                                オクジャワの魅力/
 

       人を友に          佐木隆三さんとのおつきあい/
                                チェーホフがとりもつ縁/
                                文化交流の心/
                                ソ連の友へ/
 

       ナターリヤ・クルイモワ              「宮澤さんの思い出」/
       ワレーリイ・フォーキン               「宮澤さんの仕事」/
       アレクサンドル・ゲーリマン         「私たちが失ったもの」 
 
 

    『ロシアを友に』 編集後記より
 
 
 

        宮澤氏の口からは、                                    目次へ戻る↑
    友として、友情で、という言い方を
        聞くことはありませんでした。
        宮澤氏の文章を見ていただければ、それが研究者の論文発表でもなく、
        いっとき異国を訪れた人間が
        上から覗きこんだり斜めに見すかしたりした探訪記や
        観察記のたぐいとも
        全く異なるものであることは明らかです。

        たとえばロシアで出会って日本に招いた
        演出家のエーフロスに対して、
        あるいは劇作家のヴァムピーロフに対して、
        あるいは自ら訳詩をしたヴィソーツキイやオクジャワに対して
        宮澤氏のみせた姿は、
        彼らへの、そしてその背後にあるロシアへの
        愛情であったとしか言いようがないかもしれません。
        しかし、ただ愛情と言ってしまうだけでは、何か足りないもの、
        こぼれてしまうものを感じずにいられないのです。

       (中略)宮澤氏のしてきた、
       友としてという付きあい方、愛し方は、
       友情という言葉とともにわたしたちの間では
       古ぼけてしまったと言わざるをえないかもしれません。
       そのことは宮澤氏自身も感じていたからこそ、
       日本は嫌いだとつぶやき、
       1970年の日本から逃亡し(本人の履歴書)、
    友情がまだ残る70年代のソ連=ロシア社会の演劇や文学に
    入れ込んでいったのではなかったのでしょうか。
 
 

   新聞書評 【朝日新聞、コラム単眼・複眼】 2002年8月9日        目次へ戻る↑

     「時代の息吹、独自な視点伝える」
 

    ロシアの文学と演劇の研究者であり、
    日本とロシアの演劇交流に尽力した宮澤さんは、
    2000年に67歳で亡くなった。
    長年ロシアで生活し、
    「ロシア人の脳みそを持っていた」とモスクワっ子に言われるほどだった。
 
 
 
 
 

『ロシアを友に』との出会い
 

                   戸栗 景子 (神奈川県)                  目次へ戻る↑

 

        宮澤俊一氏と面識のない立場から、ということで
        感想文を求められました。
        ロシア文学に通じない私が、本書と出会うきっかけになった
        一つの短編のことを紹介したいと思います。

       『エリコの薔薇』という魅惑的な題のそれは、
       「シナイ山麓の荒野に、硬く乾涸びたかのごとくに咲く野薊、
       エリコの薔薇と名づけられたその花が、
       生命の水を得るやふたたび蘇り、
       芽吹く」ことを描いた短編です。
       2002年春、
   私はロシア語の翻訳者でもある友人から、
   「試訳です。途方もない喪失感の中で」という添え書きと共に
   これを受け取りました。
   友人の喪失感の底にいる人、
   この力強い短編の作者イワン・ブーニンの翻訳、出版に
   強い意欲を見せていたという人、
   そういう人として私は宮澤俊一氏の名を知ったのです。
 

   ロシアを友に――。このシンプルな題は、
   宮澤氏を囲む多くのロシア演劇ファンや文学ファンの輪の、
   そのずっと外側にいる私の胸にも
   すっと柔らかく着床しました。
   この本をできるだけゆっくり読もうと決め
   (宮澤氏が常々ゆっくりと話された、と何かで読んだので)、
   文章の一つひとつを
   巻末の初出と注意深く照らし合わせながら読みすすめました。
   公演パンフレット、劇団機関紙、
   新聞などに掲載された小文に登場する劇場、演出家、戯曲、小説など
   さまざまな「ロシア」が経糸、緯糸となり、
   次第に私の中に粗いながらも
   「ロシア演劇史」をモチーフとした
   一枚の布が織り上がっていくような体験でした。
   中でも、宮澤氏が
   ロシアの演出家を日本に招こうと尽くされた姿、
   その際、体制側の演出家を押しつけようとするロシアの役人に
   「エーフロスがいいのです」
   と静かに語ったというエピソードは感動的です。
   自分が惚れ込んだロシアの人や才能を、
   愛する日本の人たちに繋ごうとする熱意に
   胸を打たれます。
   志をつぐ群像社の息の長い活動と、
   師を喪った方々の胸の中に、
   「エリコの薔薇」が芽吹くことを願わずにはいられません。
                                
 

     情熱を継ぐ
 

                                              一ファンより、匿名希望                目次へ戻る↑

   ロシア演劇ファンの私にとって、
   『ロシアを友に』は大変興味深く
   色々勉強になりました。
   私は演劇科出身ではないので専門知識は全くありませんが、
   ロシアのお芝居(戯曲)は大好きで
   時間の許す限り観劇しています。
   『ロシアを友に』を通して
   多くの演劇情報知識を与えられた気がします。
 

   ロシア演劇伝統のスタニスラフスキイ・システムと
   ブレヒト的なものをミックスした
   きわめて細心であって
   大胆な演出のトフストノーゴフ氏。
   常に新しい視点で新しいものを追求したエーフロス氏。
   メイエルホリド、ワフターンゴフの革新的演出法を
   現代に発展させたリュビーモフ氏。
   演出家の解釈の仕方によって
   全くちがったお芝居になってしまうのですね。
 

   チェーホフの『櫻の園』がとりもつ縁で、
   宮澤俊一氏とエーフロス氏が出会われ、 
   劇団東演『桜の園』のエーフロス氏演出が実現。
   更に同じく彼の演出による
   トゥルゲーネフの『ナターシャ』(原題「村のひと月」)も実現し、
   日本の観客は二度も幸運に恵まれました。
 

   「『桜の園』がロシアの貴族社会が
   ガタガタと音を立てて崩れていく姿を描いているとすれば
   『村のひと月』は
   貴族社会という立派な器に入った
   ひと筋のひび割れを描いている。
   両方やってこそ私の考えが
   日本の観客に分かってもらえる」というエーフロス氏。
 

   エーフロス氏もトフストノーゴフ氏も、
   ロシアと日本の演劇の橋渡し的存在だった宮澤俊一氏も
   天国に召されてしまって……。 
   とても残念です。
   ロシア語、ロシア演劇、ロシア文学、音楽
   すべてに精通されたスペシャリスト。
   知識の宝庫。
   大きな宝物を失った感じです。
 

   宮澤俊一氏の演劇、文化に対する情熱は群像社へ、
   またそれを支える方々へと受け継がれ、
   ロシア演劇、ロシア文学ファンを増やしていく事でしょう。
   読者に感動を与える本をこれからも多数出版してください。
   応援しています。期待しています。
 
 
 
 

モスクワの宮澤さん御夫妻との出会い
  

                      西野 肇   (東京都、テレビ・プロデューサー)            目次へ戻る↑

   私が宮澤さんと初めてお会いしたのは
   1973年の夏、
   赴任したモスクワ放送局でだった。
   当時、宮澤さんはプログレス出版所で翻訳者として働きながら
   モスクワ放送局でも翻訳の手伝いをしていた。
   奥さんの道子さんも
   アナウンサーとして時々働いていた。
   宮澤さんは早速私を
   モスクワ大学近くのアパートに夕食に招待して下さった。
   

   冷えたウォッカを注ぎながら、宮澤さんは、
   ウォッカは口の中に放り込むようにして飲むのが
   ロシア流なのだと教えてくれた。
   私たちは乾杯して
   一気にウォッカを口の中に放り込んだ。 
   道子さんは美味しい料理を次々に振舞って下さった。
   しばらくすると
   タガンカ劇場の俳優スターシック(本文中の「俳優S君」)が駆けつけた。
   がっしりした体格の魅力的な青年で
   ウォッカは底無し、
   ヴィソツキーの歌は実に上手かった。
   

   聞き惚れていると、いつの間にか
   道子さんがギターを抱えて座っていた。
   そして「私の好きな歌を聞いて」と言って弾き始めた。
   宮澤さんは目を細めて眼鏡を手で押し当てると、
   黙ってウォッカのグラスを持ち、
   私と乾杯して口の中に放り込んだ。
   道子さんのあの切ない感じのロシア語が響いた。
   スターシックも一緒に歌い始めた。
   それはオクジャワの歌『青い風船』だった。

   
    デェーヴァチカ プラーチット     女の子が泣いている
    シャーリック ウリェテェル       風船が行っちゃった、と
    イェヨー ウテェシャーユット      みんながなぐさめている
    ア シャーリク リチット         が、風船は飛んでいく

                                (訳詞はブラート・オクジャワ『紙の兵隊』、宮澤俊一訳、新星堂)。
 
 

   私はこんな素晴らしい歌がロシアにあるとは
   知らなかった。
   更に『真夜中のトロリーバス』と続き、
   モスクワの宮澤さん宅ではこの夜遅くまで
   オクジャワとヴィソツキーの歌が響き渡った。
   ロシアの心に滲みたモスクワの夜だった。
 

   またお二人は何度もタガンカ劇場に私を誘って下さった。
   そこは演劇革命のエネルギーに満ち溢れていた。
   テーマを象徴化した驚くべき舞台美術。
   時空を超えた照明と音楽。
   スターシックをはじめ
   舌を巻く魅力的な演技の俳優たち。
   客席から舞台に向かって必死に懐中電灯を点滅して指示する
   演出家リュビーモフ。
   タガンカ劇場には
   演劇の可能性に果敢に挑戦する劇団員による
   熱いマグマが煮えたぎっていた。
 

   「宮澤俊一『ロシアを友に』」には
   宮澤さんのタガンカ劇場とオクジャワに対する
   友情あふれる文章が見られる。
   それはきっと宮澤さん御夫妻が何よりもまず
   この二つをロシアの友として、
   心から抱きしめていたからに違いない。
 
 
 
 

タガンカ劇場と宮澤俊一さんと私                
 
 
 

                                                  岩浅 武久  (埼玉県、ロシア文学)               目次へ戻る↑
 
 

   私がタガンカ劇場を初めて訪れたのは、
   1977年3月5日の土曜日。
   演目は、プーシキンをめぐる詩的構成の舞台
   『友よ、信ぜよ……』だった。
   この舞台にうちのめされて、
   それ以後、
   ひたすらタガンカ通いを続けるようになった。
   宮澤さんがモスクワ生活を終えて
   日本に帰ったのが1976年の12月で、
   私がモスクワへ行くのと(日付も含めて)
   ちょうど入れ違いだったから、
   それまでに宮澤さんから
   タガンカ劇場の話を聞いたことはなかった。
   宮澤さんに会ったのは、
   彼が日本からモスクワへやって来たときのことだ。
   ウォトカを飲みながら、
   ぽつりぽつりと話す宮澤さんの言葉の端々から、
   ロシアに対する宮澤さんの複雑な思いを知り、
   宮澤さんのまなざしの意味を考えずにいられなかった。

  
   手もとに残ったパンフレットで見ると、
   1976年から1980年までのモスクワ滞在中に、
   タガンカ劇場には70回通ったことになる。
   ある夜のこと、
   劇場のロビーで幕間にタガンカ劇場の関係者と話しているときに、
   「タガンカ劇場について書かれた資料がないだろうか」
   と尋ねたことがある。
   その劇場関係者は少し考えて、
   「あなたが書いてくれ」と言った。
   その言葉は胸にこたえた。
 

   帰国して、『現代ロシア語』という雑誌に
   宮澤さんがモスクワの演劇について書いていることを知り、
   図書館で雑誌のバックナンバーを探して、
   宮澤さんの「モスクワ劇場通い」という文章を読んだ。
   1977年の5月号から12月号まで連載された宮澤さんの文章は、
   モスクワから帰ったばかりの私には嬉しかった。
   その文章をとおして、
   私自身のモスクワ劇場通いが
   よみがえってくるような思いがしたのだ。
 

   今度出版された宮澤俊一さんの遺稿集『ロシアを友に』を読んで、
   初めて見る文章がたくさんあった。
   それもそのはずである。
   初出一覧を見ると、
   本書の最初におさめられた「モスクワ劇場通い」から
   「演出家エーフロスについて」までの文章は、
   そのほとんどが、
   宮澤さんが帰国した1978年から1980年まで、
   つまり私がまだ
   モスクワで暮らしていた頃に書かれたものだ。
   その文章を読みながら、
   宮澤さんがモスクワでの体験を
   どのようなかたちで日本に定位しようとしたのか、
   その心の軌跡をまざまざと見る思いで、
   一字一句たりとも
   おろそかに読むことはできなかった。
 

   宮澤さんのタガンカ劇場との関わりは複雑である。
   それはエーフロスという演出家との出会いと、
   タガンカ劇場からの
   リュビーモフの追放という衝撃的な事件、
   そしてリュビーモフの後任として、
   そのエーフロスがタガンカ劇場の首席演出家に任ぜられたという
   運命の皮肉に起因している。
   パリで出た「コンチネント」誌44号に載った
   リュビーモフのインタビューを読んだエーフロスの
   悲しい表情を
   宮澤さんの文章から読み取ることができる。
   そのインタビューへのエーフロスの感想は、
   やはり「コンチネント」誌の46号に掲載されたが、
   エーフロスが来日中に
   宮澤さんのかたわらで書いたその原稿を、
   これが書かれた直後に、
   宮澤さんから読ませていただいたことがある。
   エーフロスの死によって、
   リュビーモフに対する宮澤さんの気持ちはさらに複雑になり、
   1993年にタガンカ劇場の日本公演がおこなわれたとき、
   かつてタガンカ劇場での観劇を
   「モスクワ生活の最大の喜び」と書いた宮澤さんが、
   そっぽを向いてぽつりと
   「僕はもう見ないよ」
   と言ったのを思い出す。
 

   もう25年も前のことだが、
   モスクワ放送局日本語課に勤務していたエレーナ・テスネルという女性が、
   「日本の人達はみなタガンカ劇場のファンになるけれど、
   あれは宮澤さんのせいね」と語り、
   「モスクワには、もっとよい劇場がいろいろあるのに。
   たとえばマーラヤ・ブロンナヤ劇場など」
   と言ったことがある。
   そのマーラヤ・ブロンナヤ劇場の舞台を作り上げていたのが
   エーフロスなのだ。
   この九月に久しぶりにモスクワを訪れて
   放送局に立ち寄ったとき、
   そのエレーナ・テスネルが、
   昨年、癌で亡くなったことを知った。
   彼女はまだ50歳代の半ばだったのではないだろうか。
   ロシアへのさまざまな思いをこめた宮澤俊一さんの『ロシアを友に』を手にして、
   私もまた、思うことが多い。 
             
 
 
 

【特 報!】
 

      中平耀 著 『マンデリシュターム読本』 定価 \3,000(税別)   目次へ戻る↑

   今年一月に群像社から刊行された、中平耀氏の『マンデリシュターム読本』
   小野十三郎賞の特別賞を受賞しました(大阪文学協会主催、朝日新聞共催)。

   小野十三郎賞は毎年、
   現代詩の可能性を拡げた詩集と、
   詩の世界に新たな光を投げかけた、すぐれた詩論に贈られる賞です。
   今年は詩論部門の代わりに
       「詩と現実の関係が描かれ、詩論に入りきらないが、
       すぐれた評伝になっている」(選考委員、荒川洋治氏)という評価で
   特別賞を受賞しました。

   心よりお喜び申し上げます。     
                                             (編集子)
 
 
 

   ●「ロシア文学を読もう」の賛同者の方々。

  阿部軍治 安宅りさ子 秋元里予 有賀祐子 安藤厚 
  井桁貞義 岩浅武久 岩田貴 宇多文雄 浦雅春 
  大木昭男 大平陽一 岡林茱萸 川崎浹 北上光志 
  近藤昌夫 島田陽 清水昭雄 清水純子 鈴木正美 
  田原祐子 塚本善也 津久井定雄 ナウカ神保町店 
  中村唯史 長縄光男 日本ロシア語情報図書館 
  沼野恭子 沼野充義 袴田茂樹 秦野一宏 早川眞理 
  原卓也 日野貴夫 法木綾子 堀江新二 三浦みどり 
  村手義治 村山久美子 藻利佳彦 望月恒子 望月哲男 
  矢沢英一 安岡治子 雪山香代子 吉原深和子(敬称略、五十音順)
 
 

編集部から  

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また、群像社の本や好きな作家についての文も募集しております。
    「読もう」編集部 yomo@gunzosha.com

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