宮澤俊一 ロシアを友に 演劇・文学・人

 
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宮澤俊一
(みやざわ しゅんいち)
1932.11.3〜2000.2.24

ロシアに数多くの友人をもち、
ロシア演劇、ロシア文学をはじめ
日本にほとんど知られていなかった
ソ連時代後期のロシアの文化を日本に紹介することに
自らの精神と肉体を捧げた。
日本ではじめて
ロシア人演出家の演出による舞台を実現させ、
自らも多くの現代小説や戯曲を翻訳し、
ロシア語の教育者として、ロシアを愛する心を多くの教え子に伝えた。
ロシアの心を文学を通して伝えようと
群像社を回しつづけた。
「ロシアで失われつつあるものを本のかたちで残したい」
宮澤さんのその最後の夢をいま、
私たちも共有する。
       
     

|||||| 「宮澤さんを偲ぶ会」|||||| 年譜 |||||| 著作翻訳目録 |||||| 遺文集「ロシアを友に」ついに刊行! (2002年5月末予定)||||||







2001年2月28日朝日新聞の記事(抜粋)

「宮澤さんを偲び、群像社の再出発を励ます会」

「ロシア演劇・文学を 日本に幅広く紹介」
宮澤俊一氏しのぶ会

ソ連時代からロシアの現代演劇や文学を日本に紹介し、昨年二月になくなった
ロシア文学者で群像社社長だった宮澤俊一さんをしのぶ会が先日東京都内であった。
井桁貞義早大教授、沼野充義東大助教授ら80人が出席した。

宮澤さんは(略)モスクワの出版社に勤め、反体制的立場にあったタガンカ劇場の
リュビーモフオクジャワらと知り合った。
帰国後はロシア演劇の日本公演などを実現。
八十年に群像社を創立し、「季刊ソヴェート文学」の編集発行元になった。
ソ連崩壊のあとは、「ロシアで失われつつあるもの」を本のかたちにとどめようと、
私費をつぎ込んで事業を続けた。

会では、古くからの友人らが、ちょっと皮肉っぽい表情だが、
やさしくユーモアのあった人柄を回想した。
来日中の「源氏物語」のロシア語訳で知られるタチヤーナ・デリューシナさんは、
モスクワで同じ職場にいた。
ロシア文学と演劇を心で深く理解しておられ、
私はいつも知識の幅広さとものの考えの敏感さに驚いていた。
宮澤さんは実利を重んじることが、まったくなかった」

当日配布された小冊子には、俳優で演出家のセルゲイ・ユールスキイが
追悼文をよせ、宮澤さんが国や文化の違いをこえる、人間的な架け橋になっていたことを
示している。

群像社は、島田進矢さんが引き継ぎ、読者の「友の会」(年会費500円)を発足させた。
33年ノーベル文学賞受賞の亡命ロシア人作家ブーニンの全集刊行などの
遺志を実現していく。
また一年後を目標に20世紀後半の日本とロシアの文化交流の貴重な証言ともいえる遺文集
宮澤俊一 仕事の軌跡(仮称)」をまとめることになった。

 
 
 
 

 




 


宮澤俊一 年譜       戻る↑

1932年11月2日 東京都牛込に生まれる。
                       (戦時中 新潟県高田市に疎開)

1951年4月       早稲田大学第一文学部ロシア文学科入学
                      (黒田辰男野崎韶夫のもとでロシア文学、ロシア演劇を学ぶ)。

1956年4月       劇団民藝水品演劇研究所に入る。
 

1958年7月       劇団文化座に入る。
 

1963年6月2日  創立メンバー10人で劇団群像座を創立。
          1969年までにブレヒトなど6本の戯曲を演出。
 
 

                                              
 
 

1970年           モスクワのプログレス出版所に勤務(1976年12月まで)。
                     (同期に『源氏物語』を和訳したタチヤーナ・ソコロワ=デリューシナ)

1975年4月     下村正夫演出、劇団東演第32回公演、
                   ワシーリエフ『夜明けは静かだ…』の上演台本翻訳(五月女道子と共訳)。

1976年12月25日 帰国。

1980年8月   群像社を設立(浅川彰三と二人で代表取締役となる)。
                   季刊「ソヴェート文学」の編集発行元となる。

1981年4月   エーフロス演出、劇団東演第46回公演、
                   チェーホフ『櫻の園』の上演台本翻訳と演出通訳
          (ラネーフスカヤ役は栗原小巻

1982年9月   エーフロス演出、劇団東演第52回公演、
                  トゥルゲーネフ『ナターシャ』(原題「村のひと月」)の上演台本翻訳と演出通訳

1983年9月   シリーズ・現代のロシア文学第1期刊行開始。
 

1986年1月   名優セルゲイ・ユールスキイ来日記念
                   ひとり芝居の夕べ「俳優ひとりの劇場」の企画・通訳
                   およびユールスキイと栗原小巻による対談の司会。

1986年2月   ユールスキイ演出、アリョーシン作、
                  栗原小巻プロデュース公演『恋愛論』の上演台本翻訳と演出協力

1988年3月   シリーズ・現代のロシア文学第2期刊行開始。

1988年4月   NHKラジオ・ロシア語講座(入門編)の講師(1988年9月まで)。

1988年9月   早川昭二演出、劇団銅鑼公演、ローゾフ「明日へ出発」の戯曲翻訳

1988年9月   フォーキン演出、劇団俳優座第195回公演、
                  ヴァムピーロフ「去年の夏、チュリームスクで」の上演台本翻訳(五月女道子と共訳)。

1988年10月  劇団民藝公演、ラジンスキイ
                   「ドストエーフスキイの妻を演じる老女優」の上演台本翻訳(雪山香代子と共訳)。
 

1989年8―9月 レニングラード・マールイ劇場の来日公演の企画立案協力、
                   アブラーモフ原作、ドージン脚本「兄弟姉妹」の上演台本翻訳と通訳

1989年10月   フォーキン演出、俳優座第200回記念公演、『白痴』の上演台本翻訳

1989年10月   オクジャワ来日コンサートの企画立案協力とコンサートの通訳。 
 

1993年8月   群像社の代表取締役社長となる

1998年4月   ユールスキイ演出、劇団銅鑼公演、
                   イプセン『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』の企画協力

1999年6月   プーシキン生誕200年記念
                  「ユールスキイ詩の夕べ」の企画協力と通訳

1999年11月   モスクワで開かれた「国際オクジャワ学会」に参加。

2000年2月24日 入院先の浦和市内の病院で死去。
 

  *この年譜は現時点で確認できた資料をもとに作成したものです。
   
   来春の追悼遺文集刊行(仮題『宮澤俊一 仕事の軌跡』)にむけて
   資料を集めています。
   
   訂正・追加の情報をお寄せください。
   (電話・ファックス03-5803-9515、電子メールinfo@gunzosha.com)。
 
 
 

  
       宮澤俊一   著作翻訳目録      戻る↑
             
                          著  作

「稽古場ノートから」、群像座『玄朴と長英』公演パンフレット、1964年2月

 「演出者のことば」、群像座第二回公演『裸の街』、公演パンフレット、1964年10月

「口上」、群像座公演4、1966年2月

「モスクワ演劇だより」、朝日新聞(夕刊)、1976年11月27日

「モスクワ演劇だより」、朝日新聞(夕刊)、1976年7月13日

「人間の誇りと喜び」、民藝の仲間、1977年4月1日

「モスクワで……」、劇団東演ニュース、1977年4月1日

「モスクワ劇場通い」、現代ロシア語、1977年5―12月

「ユーリイ・リュビーモフ覚書」、初出不明、1978年1月執筆

ヴァンピーロフの世界」、労演266、1978年6月

「演劇のロシア」(1)?(6)、NHKラジオ・ロシア語講座、1980年4―9月

「訳者からひと言」、1980年2月、劇団新人会『フジヤマ登山』公演パンフレット

「燃焼し尽くしたロシアの魂」、朝日新聞、1980年(掲載日不明)

「エーフロスと東演と」、劇団東演『櫻の園』公演パンフレット、1981年4月

「戯曲の細部をどう読むか」、演劇通信、第1巻第2号、1981年7月20日

「めぐりあい チェーホフがとりもつ縁」、毎日新聞、1982年2月25日

「たおやかに、のびやかに」、コメディアン、1982年12月1日

「ボリショイドラマ劇場公演を見て」初出不明、1983年9月27日

「ソ連の演劇」、国際演劇協会日本センターニュース、1984年3月15日

「痛恨 リュビーモフ氏解任」、朝日新聞、1984年3月16日

「翻訳者のひとりとして」、劇団東演『夜明けは静かだ…』公演パンフレット、1984年5月

「ワロージャ・ヴィソーツキイについて」、ウラジーミル・ヴィソーツキイ『大地の歌』レコード解説、1985年

「ゴルバチョーフ時代と演劇」、『恋愛論』公演パンフレット、1986年2月

「日ソ間に真の友好平和を!」、日本とソビエト、1986年5月1日

「ロシア的なもの」、劇団民藝『十八番目の駱駝』公演パンフレット、1986年8月

「エーフロスが残したもの」、東京新聞、1987年1月16日

「フォーキンさんのこと」、コメディアン、1987年4月1日

「ソ連の息吹伝えて百号」、日本経済新聞、1987年7月14日

「 優しいが強い オクジャワの歌」、オクジャワ『青い風船』レコード解説、1987年

「現代ソ連の演劇状況をめぐって」、ヨーロッパ文学研究、第36号、1988年

「レフ・ドージンのこと」、『兄弟姉妹』解説、岩波書店、1989年7月
「ゲーリマンという劇作家について」、『夜明けの星たち・ベンチ』解説、岩波書店、1989年7月

「F・アブラーモフとレニングラード・マールイ・ドラマ劇場」、群像社ニュース、1990年1月

「ロシア演劇の楽しみ」、『窓』、73号、ナウカ、1990年6月

「バイカル湖の劇作家ヴァムピーロフ」、文学座機関紙ちゃいむ、378号、1991年2月

「モスクワ芸術座の百年」、テアトロ、1997年11月

「オクジャワのこと」、オクジャワ『紙の兵隊』CD解説、1998年12月

「もし彼が生きていたら 俳優・詩人・歌手ヴィソーツキイ」、ミュージック・タウン、新星堂、1998年12月

 

               翻  訳
       
     
       <戯曲>

単行本
チェーホフ『櫻の園』、群像社、1982年

ヴァムピーロフ『去年の夏、チュリームスクで』(五月女道子と共訳)、群像社、1987年

ヴァムピーロフ 『長男、鴨猟』(五月女道子と共訳)、群像社、1989年

フョードル・アブラーモフ原作、レフ・ドージン脚本『兄弟姉妹』、岩波書店、1989年

アレクサンドル・ゲーリマン 「ベンチ」(『夜明けの星たち・ベンチ』所収)、岩波書店、1989年
 

上演台本

ワシーリエフ『夜明けは静かだ…』、(五月女道子と共訳)、劇団東演、1975年

デルマー原作、ラポポルト脚色『わが家は楽園』、劇団民藝、1977年

ヴァムピーロフ『六月の別れ』、劇団東演、1978年

アイトマートフ『流れない歳月』、(原題「フジヤマ登山」、)、劇団東演、1979年4月

アイトマートフ『フジヤマ登山』、劇団新人会、1980年

チェーホフ『桜の園』、劇団東演、1981年

トゥルゲーネフ『ナターシャ』、(原題「村のひと月」)、劇団東演、1982年

アリョーシン『恋愛論』、栗原小巻プロデュース公演、1986年

ヴァムピーロフ『去年の夏、チュリームスクで』、(五月女道子と共訳)、劇団俳優座、1988年

ラジンスキイ『ドストエーフスキイの妻を演じる老女優』(雪山香代子と共訳)、劇団民藝、1988年

ローゾフ『明日へ出発」、劇団銅鑼、1988年

フォーキン『白痴―ドストエーフスキイの小説「白痴」のテーマによる三幕のドラマ―』、劇団俳優座、1989年

ヴァムピーロフ『天使との二〇分』、(五月女道子と共訳)、劇団民藝、1989年

ゲーリマン『ベンチ』、上演劇団名不明、1996年8月

スタヴィンスキイ作、スメーホフ脚色『ラッシュ・アワー』、(上演台本のみ、上演年、劇団名不明)。

コルネイチューク『マカール・ドゥブラーヴァ』、(上演台本のみ、上演年、劇団名不明)。

ヴァムピーロフ『田舎奇談』、(上演台本のみ、上演年、劇団名不明)。

 

              <小説その他、レコード・CD>

単行本

ストルガツキーほか『反世界の島』(現代ソビエトSFシリーズ 3)、プログレス出版所、1973年

ノーソフほか『現代ソビエト短編集 1960―1970年代』、プログレス出版所、1974年

ユーリー・トゥイニャーノフほか『評伝のロシアの作家たち』、プログレス出版所、1976年

エウゲーニイ・ボガート『永遠なる人間』、プログレス出版所、1976年

レフ・コロドヌイほか『モスクワ物語』、プログレス出版所、1978年

エーフロス『演劇の日常』、テアトロ、1979年

フョードル・アブラーモフ『木馬・ペラゲーヤ・アーリカ』、群像社、1989年
 

雑誌掲載作品

ワレンチン・ラスプーチンフランス語の授業」、『ソヴェート文学』75号、群像社、1981年

インタビュー「エーフロスにきく」、『ソヴェート文学』75号、群像社、1981年

ソヴェート文芸家の円卓会議・ドストエーフスキイと世界文学(共訳)、『ソヴェート文学』78号、群像社、1981年

N・クルイモワ「ヴィソーツキイについて」、『ソヴェート文学』79号、群像社、1982年

G・マテヴォシャン明るい空の下の古い山々」、『ソヴェート文学』80号、群像社、1982年

E・オリホーヴィチ「で、タルチュフは?―エーフロスの新演出―」、『ソヴェート文学』80号、群像社、1982年

A・エーフロス「日本での『桜の園』―エーフロスの日本日記―」、『ソヴェート文学』81号、群像社、1982年

インタビュー「再び東演と仕事をするエーフロスにきく」、『ソヴェート文学』81号、群像社、1982年

N・ドゥムバーゼハザルラ」、『ソヴェート文学』82号、群像社、1982年

コンドラトーヴィチ「文学的肖像 ザルイギンについて」、『ソヴェート文学』86号、群像社、1983年

ザルイギンあらゆるジャンルの先駆者―ゴーゴリと現代の芸術思想」、『ソヴェート文学』87号、群像社、1984年

ラスプーチンカラスに何か言うことある?」、『ソヴェート文学』88号、群像社、1984年

ラスプーチン長く生き、長く愛せ」、『ソヴェート文学』89号、群像社、1984年

アブラーモフ「ペラゲーヤ」、『ソヴェート文学』90号、群像社、1984年

アブラーモフ「アーリカ」、『ソヴェート文学』90号、群像社、1984年

ヴィソーツキイ戦争詩篇 大地の歌ほか7篇」、『ソヴェート文学』92号、群像社、1985年

ノーソフ勝利の赤い酒」、『ソヴェート文学』93号、群像社、1985年

ラスプーチン火事」、『ソヴェート文学』95号、群像社、1986年

サモイロフ」ほか6篇および解説「サモイロフの詩」、『ソヴェート文学』96号、群像社、1986年
 

レコード・CD

ヴィソーツキイ、レコード「大地の歌」(SC-4001-2)、歌詞、新星堂 1985年

オクジャワ、レコード「青い風船」(SC-4003-4)、歌詞、新星堂、1987年

ヴィソーツキイ、CD「大地の歌」(SC-4101)、歌詞、新星堂 1988年

オクジャワ、CD「紙の兵隊」(OMCX-1034)、新星堂、1998年

           青字の本、雑誌は群像社でお求めになれます。
 ソヴェート文学のバックナンバーをご希望の方は電子メールinfo@gunzosha.comでご連絡ください。

*この目録は現時点で確認できた資料をもとに作成したものです。
「テアトロ」「窓」などの演劇雑誌への寄稿、書評など未収録のものも数多くあります。
訂正・追加の情報をお寄せください
(群像社 電話・ファックス03-5803-9515、電子メールinfo@gunzosha.com)。
 

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                    群像社では以上に掲載しております宮澤俊一の遺稿
              および追悼文をまとめた追悼遺文集が2002年5月末刊行となりました。 
             
                 
        時代の変革に先駆けたソ連末期のロシア演劇を見続け。
           ロシア文学の力強い底流を肌で感じた演劇人・出版人の遺稿集!             

                            宮澤俊一 『ロシアを友に』 演劇・文学・人(詳しくは題名をクリックしてください)
                四六判上製 352頁(予定)  定価2300円 
             
             特別限定販売 予約受け付け開始!
                 (一部書店を除き店頭には並びません)
       
                               
 


群像社では宮澤俊一遺文集を宮澤俊一 仕事の軌跡」(仮題)とし
以下のような文章で刊行に向けてカンパのお願いをしてまいりました。
おかげさまで『宮澤俊一 ロシアを友に 演劇・文学・人』と題し、
2002年5月末に刊行予定となりました。
カンパいただきました方々に、心よりお礼申し上げます。
 

二〇〇〇年二月に急逝した群像社前社長宮澤俊一氏は、
日本への現代ロシア文学の紹介につとめるとともに、
ロシア演劇の専門家かつ紹介者として数多くの仕事を手がけていました。

今年二月の一周忌にあたって催された
宮澤さんを偲び、群像社の再出発を励ます会」では
「追悼 宮澤俊一」と題するパンフレットを作成し、
生前の宮澤氏の文章を一部年代順に収録しましたが、
氏の文章はペレストロイカに至った二〇世紀後半のソ連(ロシア)の文化状況を振り返るうえでも、
また日本とロシアの文化交流を考えるうえでも、
いまなお示唆に富む貴重な同時代の証言であることが改めて浮き彫りになりました。

宮澤氏の仕事を記録として残し、
今後のロシアと日本の文化交流をより実り豊かなものにするためにも、
氏の業績を一冊の本にまとめることは
残されたものが果たさねばならない使命であると考えます。

しかしながら、氏が生前に執筆した文章は予想以上に多く、
また雑誌や新聞への寄稿から劇場公演パンフレットや劇団の通信にいたるまで、
掲載された媒体が多岐にわたるために、
その全貌を明らかにするにはまだ多くの時間と手間と経費が必要になります。

この本の内容をより豊かなものにするためにも、
氏と生前活動をともにされた方々をはじめ、
多くの皆様にぜひとも資料・情報の提供を申し出ていただきたくお願い申しあげます。
また、刊行の資金作りのために、
ひとりでも多くの皆様にカンパによるご協力をいただけますよう心よりお願い申し上げます。

2001年9月 
                   
遺文集「宮澤俊一 仕事の軌跡」刊行委員会
(連絡先 群像社 島田進矢)

宮澤俊一遺文集 資金カンパ 一口 3000円(何口でも可)

* 「宮澤俊一 仕事の軌跡」(仮題)を刊行後、一口につき一冊お送りいたします。
  郵便局の振込用紙に口数を明記の上、お振込みください。

* (口座番号) 00150 ― 4 ― 547777 (加入者名) 株式会社 群像社
 

   詳しいお問い合わせは群像社まで。 電話/FAX 03−5803−9515、またはinfo@gunzosha.com
 
 
 

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