国立モスクワ・マールイ劇場「かもめ」富山オーバードホールで単独公演
 
 
 
 

国立モスクワ・マールイ劇場がやってくる。富山市民文化事業団の招きによる富山単独公演で、しかも1回だけというとびきりぜいたくな公演だ。演目はチェーホフの「かもめ」、廻り舞台を巧みに使った名優たちによる情感ただよう舞台が心憎い。同劇場の来演は1990年、1993年に次いで三度目になる。ロシアからの来日公演は、ここ、ひんぱんだ。先の新国立劇場による「ハムレット」、アートスフィアでの国立ポクロフ力劇場や、モスクワ・ユーゴザーパド劇場、シアターXによるエトセトラ劇場、静岡県舞台芸術センターの企画による「ロシアの舞台芸術」と題した話題の「フオメンコ工房」の初来日、ボリショイ・バレエの黄金時代を築いたユーリー・グリゴローヴィチ振付によるバレエ等の来日も予定されている。何れも現代の状況を色濃く反映した意欲にみちた作品だ。モスクワ・マールイ劇場はその中で老舗としての伝統を守り、ロシア正統演劇の息吹きを伝える。富山は東京から意外に近く、日帰りも可能だ。必見をおすすめしたい。
 

猶、モスクワ・マールイ劇場日本公演記念として、堀江新二による新訳の「かもめ」が群像社よりこの程出版された。解説のイヤホンガイドの訳はこの版による。(阿部記)
 
 
 

ユーリー・ソローミン
マールイ劇場のうつくしい名優
 
 
 
 
 

安達紀子


 ソローミンは空間に魔法をかけることのできる希有の俳優だ、と黒澤明の映画『デルス・ウザーラ』を観たときに想った。映画の最後、タイガの地域調査団の隊長アルセーニエフは、道案内をしてくれたデルスの死に出遭う。アルセーニエフを演じるソローミンの深い悲嘆の姿が、映像の中の空間を変容させた。アルセーニエフは、自然を本能的に理解し、自然の中に溶け込んでいるデルスと自分が、何か強い絆で結ばれているのを感じている。アルセーニエフは、他でもないデルスによって広大な自然と繋がっていたのだ。ところが、デルスが死ぬことによって、自分と自然を繋ぐものが消滅してしまった。その上、デルスは自然を真に理解することのできる最後の人間であった。アルセーニエフが体験した喪失感を、ソローミンは身体と心のすべてを使って表現した。だから、ソローミンが立っている映像の中の空間に、限りない悲槍感が立ち籠めていた……
 

想えば、ソローミンをはじめて観たのは、一九八○年代半ば、『シラノ・ド・ベルジュラック』の舞台だった。ロシアのジェラール・フィリップと言われるほど美男のソローミンが、鼻の大きい醜男を見事に演じた。シラノのあふれんばかりの愛情が巨大なエネルギーと化し、マールイ劇場の四階席に座る私のところにまで届いてきた。それ以来、私はソローミンの舞台の仕事を折に触れ、観ている。彼の仕事のひとつひとつが、私にはとても大切で、いとおしい。が、何よりも心に残っているのは、ソローミンがチェーホフの『森の精』と『ワーニャ伯父さん』の二人のヴォイニツキーを巧みに演じ分けたことだ。
 

自らを犠牲にしてまで援助しつづけてきた義理の弟(教授)が、芸術をまるで理解しない俗物だと知って、無為に過ごした日々を嘆くヴォイニツキー。しかし、『森の精』のヴォイニツキーが自ら死を選ぶのに対して、『ワーニャ伯父さん』のヴォイニツキーはモルヒネを隠し持ちながらも死にきれず、魂が抜けてしまったような状態で、残された人生の日々を引きずってゆく……ソローミンは自殺したヴォイニツキーと、自殺できなかったヴォイニツキーを見事に演じ分けた。
 

自殺する前のヴォイニツキーを襲うのは激痛だ。彼自身、直情的で激しく、人生に対する怒りと憎しみが表情、動作の端々に現われている。一方、自殺できないヴォイニツキーを蝕むのは、鈍痛、倦怠感、疲労である。彼は自殺こそしなかったが、精神的にも、肉体的にも死に近づいている。彼の持つアイロニー、シニシズムは、『森の精』のヴォイニツキーには見られない。共通したセリフの多い二つの役を、ソローミンはその性格に従って、鮮やかに、そして緻密に演じ分け、俳優の演技の力、奥の深さを存分に見せてくれた。
 

ソローミンはいまのロシア演劇の在り方を嘆き、批判する。商業主義、古典劇の現代化、実験だけのための実験劇……私自身、ロシア演劇は多様化、多彩化した面もあるが、その一方で多くのものを失なったと感じる。以前の方が、劇場で心を動かされた。ペレストロイカ時代、俳優の声が客席に響くだけで、魂を奪われた。俳優の声の微妙なヴィブラートが、うち震える感情の揺れを繊細に表現していた。いま俳優のそんな声が聞けるのは、もしかしたらマールイ劇場だけかもしれない。ソローミンは魂の憂い、心の揺れを身体や表情だけでなく、声でも表現して、空気を震わせ、舞台空問に魔法をかけてしまう……
 

ソローミンは時代遅れだと批判されることも恐れずに、ロシア演劇の伝統をあくまでも守り通す。彼こそがロシア演劇のうつくしい伝統を受け継ぐ最後の名優と言えるかもしれない。彼がマールイ劇場と共に築き上げてきたものが、その舞台の上に聳えたつ……
 

そしてこの秋には、マールイ劇場の『かもめ』が富山の地に舞い降りる。ソローミン演じるトリゴーリンが非常にコミカルで、味わい深い。名優ソローミンのまた別の一面も見られ、興味が尽きない……

このページの掲載物は「ロシア演劇2002」(2002年11月1日発行)によります。
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劇場提供写真

ユーリー・ソローミン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

劇場提供写真 マールイ劇場「かもめ」