徒然落書日記


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ほとんどわたし本人の備忘のためですが(汗)

02/19〜24 サボりまくり(汗) 【2007/02/24 10:15】

 ハッと気が付いたら、ほぼ1週間、日記をサボっていた(汗)。
 今年こそはきちんと毎日何か書こう…と思っていた決意は、早くも2月に、これだけのブランクを許す緩み具合である。やれやれ、2ヶ月目にしてこれでは、今年の成果も推して知るべし、だなあ(慨嘆)。

 インフルエンザの後、どうも気管支に来てしまったらしく、わたしだけずーっとゲホゴホしている。家人はとっくに元気になったのに、基礎体力の違いなのだろうか(涙)。家人いわく「キミはマトモな飯を喰ってないからだ」そうなのだが、そんなことはない、そんなことはないぞー! 動物性の蛋白質や脂肪は確かに少ないかもしれないが、栄養バランスは非常に良い(と自負している)のだ。
 普段は咳の発作が出ることはないが、夜寝る前とか、買い物に出ようと駅まで早足している時など身体をちょっと動かした時にゲホゴホ来るということは、喘息が暴れかけているのかもしれない。くわばらくわばら(汗)。

 しかしそんなことを言っていたら何も出来ないので、2月2日に出たっきり2回連続でお休みしてしまったバレエ教室に久し振りに出席。スポーツ・クラブでのエクササイズやトレーニングも含め、丸々2週間以上、運動から遠ざかっていた。インフルエンザからある程度回復した後は、風呂上りのストレッチと簡単な腹筋運動くらいはしていたけれど、正直なところブランクが怖かった。
 バー・レッスンを開始してすぐ、身体を動かしたものだからまた咳が出る(汗)。インフルエンザのウィルスはもう完全に消えているハズだが、咳をしながらだと周囲に迷惑なので必死に我慢。うう辛い(汗)。そして案の定、身体が異様に重い。タンデュ(床に沿って爪先を延ばす動作)やジュテ(延ばした脚を僅かに空中に浮かす動作)で爪先に力を入れると、ピキピキっと攣る。
 ふくらはぎも筋力が落ちているし、脚も上がらない。センターに出た後のレッスンでも、以前は付いて行けていたパ(ステップ)に、身体もアタマも対応出来なくなっている。

 人間の身体とはかくも忘れっぽいものか(涙)。以前、ばよりんに一生懸命だった時も、ちょっと練習間隔が開くとたちまち右手の感覚がアヤフヤになったものだ。その時の悔しさを、違うジャンルだけれど、またまた心底噛み締める羽目に陥ったのだった。
 せめて連続パの順番などを、アタマだけは忘れないでいて欲しいのだが。書き込みはしっかりしているハズなのに、どうして記録が劣化してしまうのだろう。上書きしたものなど何もないし、消去だってしている訳ないのになあ。取り出しに時間が掛かるということなのだろうか。人間の記憶や脳とは本当に不思議に満ちている…。

 さて、いよいよ発表会まで1ヶ月を切ったので、先生方もそろそろ血相が変わっている。『くるみ割り人形』でクララを踊る子には、T子先生が付きっ切りで振り写し。T子先生はこまごまとした雑用や事務なども担当なさっているので、忙しさも倍増している様子である。
 さらに、わたしが感染したのでは絶対にないのだが、小さい子たちの間でまたしてもインフルエンザが再流行の兆しを見せているとかで、本当に切羽詰っていらっしゃる様子だった。何せ翌日(今日)が照明合わせなのだが、欠席の連絡がぽちぽち入っているのだという。インフルエンザで無理して出て来られても、無事な子たちに感染ってしまうだろうし、早く治ると良いなと思う。
 わたしは発表会前日と当日にお手伝い出来る程度で、あまり頻繁な動員もないのだが、出演する方々は大変である。プログラム用写真撮影、衣装合わせ、照明合わせ、舞台上リハーサルなどなど。レッスン以外で出席せねばならない用事が増えると、ウチなんかの場合、家人のご機嫌も急降下するだろうしなあ。次回の発表会(いつになるかは不明だが)、出てみたいのだが…。

 そして期せずして、母とT子先生が遭遇していたことが判明。ウチの近所にあるM会館で、母はレクダンスの教室に参加している。たまたま昨日の午前中、わたしの通っているバレエ教室の臨時レッスンがあったらしい。次の時間帯でレクダンスが始まるため、M会館に行っていた母は、「あらこの団体は何かしら」と思ったようだ。
 母の場合、「何かしら」と思ったら素直に訊いちゃうタイプである。先生らしき女性に訊いたらバレエだと言うので、母はさらに「もしかしてN駅近くでもやってらっしゃいますか?」と質問。世の中にバレエ教室は星の数ほどあるのに、そういうことは母の脳裏には浮かばないのだ。
 今回はビンゴだったので、T子先生(その女性はもちろんT子先生だった)は「ええ、やっております」とお答えになった。俄然母は勢い付き「ではもしかして、まとり(仮名)という者をご存知ありませんか? わたし、まとり(仮名)の母でございます」と自己紹介したのだそうだ。

 わたしがそもそもこのバレエ教室に入門しようと決めたのも、M会館でレッスンをやっている、という貼り紙を見たからだった。結局レッスンの時間が合わずにN駅教室に入ったが、そういう訳で、M会館の常連である母とT子先生が遭遇する可能性も、関連性がまったくない場合よりは高いと思う。とは言え、知らない人に物怖じせずに話し掛ける母の社交性の高い性格に、こういう時はつくづく「羨ましいなあ」と感じずにはいられない。
 わたしだったら「あ、バレエだ…良いなあ」と思いつつ、絶対に声なんか掛けられない。母の場合、こういう出会いが幾つもあって、交友関係が物凄く幅広いのである。わたしも小さい頃はこういう天真爛漫タイプだったのだが、いつしか捻くれて人見知りになってしまった。家人いわく「お母さんの性格は姪っ子1号に引き継がれているよな」だそうで、姪っ子1号がこの外向的性格を失わないでいてくれると嬉しい。

 T子先生は「とっても華やかな感じのお母様ですね、本当にお若くて」と仰る。わたしが地味〜なタイプなのできっと意外に思われたことだろう。「まるでお母さんではなくてお姉さんに見える」と仰ったらしく、母は有頂天になって喜んで、わたしに「バレエ教室の先生にお会いしたよ! お姉さんって言われちゃった♪」とケータイ・メールを寄越したのだった(汗)。
 「そんなのT子先生のお世辞だってばー!」と、わたしが返信したのは、もちろん言うまでもない(汗)。



02/18 Blackpool Rock 【2007/02/18 23:39】

 14日の日記で書いた英国版金太郎飴のBrighton Rockには、Blackpool Rockという姉妹商品もあるということが判明。Blackpoolとは世界的な社交ダンスの大会が開かれる、あのブラックプールである。ブライトンと同じく、英国有数の観光地で、そこの名物お土産の1つがBlackpool Rockなのだそうな。こんなのとかこんなのもあって、Brighton Rockよりヴァリエーションは豊かなのかもしれない。
 もしかしたら英国の観光地には「○○まんじゅう」とか「○○へ行って来ましたケーキ」よろしく、なんちゃらRockが溢れ返っているのかと思って検索してみたが、Bath RockやCardiff Rock、Oxford Rockなどはヒットしなかった。もちろんLondon Rockも全然違うものがヒット(汗)。とすると、例の金太郎飴はブライトンとブラックプール限定の名物ということになる。

 金太郎飴本店の由来のページによれば、金太郎飴のルーツは江戸時代。原型は「元禄飴」という名で、お多福や福助の顔がズラーッというものだったらしい。恐らく作り方にそう違いはないだろう。名前からすれば元禄年間(1688〜1703)に登場したのだろうか。
 ブライトンもブラックプールも、リゾートとして開けたのは18世紀からだという。とすると、起源としてはやはり金太郎飴の方が先ということになりそうだ。

 ブライトンとブラックプールに共通するのは、双方とも英国有数の海水浴場&リゾート地であるという点。しかしやはり有名な海水浴場であるWight島には「Wight Rock」はないようなので、海水浴場イコール金太郎飴という図式にはなりそうにない。まさかと思うが頭文字がBなのは何か関係あるのだろうか。いやしかしBath Rockはなかったしなあ…。
 あれだけ製法が似ているのだから、どこかで誰かが、金太郎飴(というか元禄飴か)を英国へ伝えたのではないかと思うのだが、結局由来はまだ判らない。製法が似ていると言っても、ああいうタイプの平たい円柱形キャンディを作ろうと思ったら、多かれ少なかれ同じような手法を取らざるを得ないのかもしれない。丸っきりの偶然ということも…。

 とは言え、やっぱり、偶然だとすると面白くないので、もうちょっと調べてみよう。金太郎飴もBrighton RockもBlackpool rockも、長いまま売られているタイプと小口切りにされているタイプがあったりして、その辺も共通しているようだ。偶然、そこまで似るものなのだろうか。ルーツはやっぱり同じなのではないだろうか。興味は尽きない(ヒマやのう/汗)。



02/15〜17 懲りない人たち 【2007/02/17 16:46】

 インフルエンザに罹ってタミフルを呑んでいた可能性のある14歳の女の子が、マンション10階から転落して死亡した、というニュースにややうんざり。タミフルが精神錯乱状態を引き起こす副作用を持っているかどうかも、まだ全然ハッキリしてはいないのに、報道では「またタミフルの副作用!?」的印象ばかりが強調されている。
 こういう報道をすれば、TVやニュースで流れたことは1から10まで鵜呑みにする人たちが、闇雲にタミフルを怖がって、本当に必要な病人に与えない可能性も出て来るだろう。その結果重症化して命を落とす患者が出たらどうするのだ? 高齢者の場合、インフルエンザは冗談ではなく命取りとなりかねない病気である。命に別状はなくとも、罹病期間を大幅に短縮することが出来て、無駄に体力を消耗せずに済む場合も多い。
 ウチは夫婦2人共にタミフルの威力を身を以って実感しているので、個人的には「必要なら使うべきだ」というスタンスなのだ。

 そもそも、今までに報告された「異常行動により事故死した」患者たちの行動が、本当にタミフルによる副作用だったのかさえ定かではない。専門家の間ではむしろ、関連性は低いだろう、という見解で一致しているハズである。人間の身体には「血液脳関門」という仕組みがあり、血液中の薬物はそうそう簡単に脳内に届かないように出来ているのだ。
 Wikipediaのタミフルの項目を見ても、こんなに大きな分子がそれほど容易に血液脳関門を突破するとは思えない。1歳未満の乳児ならば、血液脳関門が未発達なために、脳内の薬物濃度が上がり易いことはあるらしいが、14歳ではまず考えられまい。

 元々、インフルエンザとは、38度5分以上の高熱と筋肉痛・関節痛などの全身症状が現れる疾患である。わたしだってほとんど40度近い熱でフラフラになった。高熱による譫妄や意識障害だって、元々現れ易いと言えるだろう。タミフルを呑んでいようがいまいが、高熱に魘されて事故に遭う可能性は普段よりも高いのだ。
 マンションなら家の中に階段はないけれど、1戸建てだったら、熱でフラフラになって階段から落ちるケースだって充分にあり得る。こういう事故を予想し、家の中に他の誰かが居さえすれば防げる事故だったのではなかろうか。仕事を休めなかったりして大変な事情はもちろんあったに違いないが。

 さらに、インフルエンザ患者にタミフルを投与「しなかった」場合のリスクについて、あまりに軽視されているのも気に入らない。患者本人が長期間苦しい思いをしたり、インフルエンザの合併症(脳症や肺炎等)を引き起こしたりすることの他、患者体内のインフルエンザ・ウィルスを退治し切る前に人混みに出ることによって、更に他の人に感染させる危険性だって高いだろう。
 仮にタミフルに「稀に精神錯乱状態を引き起こす」副作用があったとしても、そこを織り込み済みとして、きちんと投与・観察するのが正しい使い方ではないだろうか。どんな化学物質も、薬効があるものであれば、大なり小なり副作用は失くせない。副作用の全くない薬品は効かないのだ。

 タミフルの副作用としてきちんと報告されているもののうち、腹痛や下痢などについては、マスコミもあまり大騒ぎはしていない。「呑んだら異常行動をした」などという真偽定かではない症状よりもよっぽど頻度は高いハズである。そういうことはあまりにも当たり前過ぎてニュース・ヴァリューがないのだろう。それよりも、人間の精神活動に影響を与える「かもしれない」副作用の方が、報道した時の衝撃は大きく、センセーションを引き起こせる。
 つまりは結局、賞味期限や納豆や柳沢発言とまったく同根のストーリーだということになりはしないか。センセーショナルで、判り易く、しかも程好く身近な危機となりうるネタを、必ずしも本質には添わない煽り方でガンガン報道する。そしてマスコミで流れたことに疑問を持たない人たちが、徒に尻馬に乗ることで騒ぎが拡大する。

 既に言い古されていることだろうけれど、もういい加減にやめないか、こういう阿呆な騒ぎ。「タミフル服用で? 中2転落死」というタイトルそのものが余りにも恣意的だと、記事を書く人チェックする人にはきちんと自覚して欲しい。読む方のわたしたちも、簡単にセンセーショナルな記事に乗せられる愚は冒すべきではない。アタマは帽子の台ではないのだ。



02/14 Brighton Rock 【2007/02/14 21:48】

 グレアム・グリーンの小説でもなければ、QUEENの曲名でもない。英国には「Brighton Rock」という名のお菓子があるらしいということを今日知った。名前通り、英国南部の都市ブライトンの名物だそうなのだが、由来はグレアム・グリーンではないかな、という気がする。詳細は確かではないが。
 このBrighton Rock、見たところ30cm程の棒状をしており、外側が赤くて内側が白い。画像検索したところこちらのページだけヒットしたのだが、これでは内側がどうなっているのか判らないのが少々残念。実は、このBrighton Rock、棒状のどこを折っても「Brighton Rock」という赤い文字が見える作りになっているらしい。

 CATVで放送していた番組で、このBrighton Rockの作り方をやっていたのだが、何気なく見ていて驚いてしまった。水飴と砂糖を煮詰めて柔らかい飴を作り、数等分してそれぞれ白や赤に色付けする。文字の形に飴を組み上げ、本体の白い飴部分に組み込み、赤い飴で包んで70kgの細長い塊に纏める。ローラーに掛けて出来上がり。
 これって、そのまんま、こちらで紹介されている金太郎飴の作り方とおんなじである。金太郎飴の方が色数が多く、模様も「Brighton Rock」という文字よりは複雑かな? という辺りがちょっと違うが、文字の細かさを考えるとどちらが難しいとは言えないのかもしれない。

 ここまで似ていると、日本と英国で別個に同じ作り方の飴が発生した…と言うのは信じ難いように思えて来る。ブライトンは古くから栄えている有名なリゾート地だが、「Brighton Rock」はどのくらい昔からここの名物お菓子だったのだろう。ざっと調べたところでは判らなかった。
 ひょっとして、「Brighton Rock」のルーツが日本の金太郎飴だったりしたら面白いのになあ、などと思いつつ、「Brighton Rock」と金太郎飴の関係についてはもう少し調べてみたい。やり方さえ思い付けば、材料その他は特に地域限定的なものはないし、全世界どこの名物になっていてもおかしくない。そもそも日本の金太郎飴はいつ頃、誰が、どういう切っ掛けで作り始めたのだろうか。ううむ面白そうだ♪



02/12〜13 続・インフルエンザ騒動 【2007/02/13 18:00】

 家人が会社に行って居ない間、独りでインフルエンザとの孤独な闘いを(汗)戦っていたわたしである。日曜日になって家人が3連休(火曜日は所用で元々休みを取っていた)に突入したので、さてこれでわたしもゆっくり養生出来る、たまには家人にご飯作って貰ったり看病して貰ったりしよう…と思っていたのだが、皮算用に終わってしまった(汗)。
 土曜日の夜遅く、家人が「どうも胸の辺りがイガイガする。感染ったんじゃないかと思う」と言い出したのだ。インフルエンザは突然の高熱で発症するものである。そんなの気のせいだ…という切なるわたしの祈りも空しく、日曜日の朝早く「熱が出始めた。今37度8分」と家人。

 7度8分? そりゃまた微妙な…。とは言え、普段滅多に微熱すら出さない人なので、これは間違いなく感染だろう。やれやれ、ゆっくり養生する計画はこれでオジャンだ。2時間ほど様子を見たところ、38度まで上がったので、どうせ休日なのだからと時間外診療へさっさと連れて行くことにする。
 状況証拠的に間違いなくインフルエンザなのだから、とっととタミフルを処方してくれ、そうしたらせめて軽症で済むだろう…と思っていたのだが、迅速診断キットはやっぱり陰性だった。お医者さんは用心深い性質の人だったようで、予防的措置としてのタミフル処方は出来ませんと、普通の風邪引き用クスリ1セットを出してくれるのみに留まったのだった。

 タミフル服用開始は感染後、出来るだけ早い時期が望ましい(効き目がある)と言うことなのに、こういう悠長なことで良いのだろうか。確かに副作用等で健康被害が報告されているが、比較的割合は少なかったハズである。ウチの場合は隣家にハイリスク・グループ(65歳以上)が2人も居たり、家族(わたし)が3日前にインフルエンザを発症しているのだし、もうちょっとフレキシブルな対応をしてくれても良いと思う。
 ともあれ、振替休日だった月曜日をどうにか乗り越え、やっとこさ今日、家人は再受診して来たのだった。こういう時に、選りによって月曜日が祝日とは不運なヤツである(汗)。しかしその時点では、時間外診療時に貰ったクスリに解熱剤が入っていたお陰で、熱もせいぜい38度止まりと軽症であった。

 発熱がそれほどないので、受付もしくは診察室では、恐らくインフルエンザの再検査を言われないだろう。しかし間違いなくインフルなのだから、こちらから何が何でも検査を受けさせろと主張すべし、と言い含めて家を送り出す。案の定「必要ないでしょう」と言われたのを、粘ってきちんと再検査して貰ったら、やっぱりインフルエンザA型の陽性反応が出たらしい。
 カルテにきちんと「2日前の時間外診療時にインフルエンザの疑いあり。要再検査」くらい書いておけば良いのに。「妻がインフルエンザなのでたぶん僕もだと思います」と言ったのに危うく見過ごされそうだったということは、わたしの陰性→陽性も、再検査に漕ぎ着けたのはラッキーだったのかもしれない。
 もっときちんとしてくれよ、M病院!

 と言うことで、感染されてお気の毒(汗)な家人、現在はひたすら眠って養生中。今朝からタミフルを処方されて一安心なのだが、昨日まで呑んでいた解熱剤(ロキソニン)を止めたので、熱は一時的に上昇して39度をマークした。頓服を呑んで今はマシになっているが、やはりしんどいらしくいつもの病気の時よりも静かに寝ている。
 やっぱり普段は、比較的軽い症状でも「しんどいしんどい」と大騒ぎしているということだったのか(汗)。幸い食欲は落ちていないようなので、今晩は消化の良い卵入り煮込みうどんでも作って、水分補給と栄養補給に努めることにしよう。
 いやホントに家人には災難で気の毒である(汗)。感染さないよう、出来るだけ気を使ったのだけれど、インフルエンザの伝染力は馬鹿に出来ない威力だったらしい。皆様もどうか御身御大切に。外出時は自衛の意味も込めてマスク着用いたしましょう。



02/09〜11 インフルエンザ騒動 【2007/02/11 23:59】

 8日の木曜日のことだった。スポクラのバレエ・クラスとピラティスのクラスに出ているので、そろそろ出掛けなければ…という時間になっても、何だか億劫である。全身何とも言えない倦怠感があり、妙に腰が痛い。何故か歯が浮く不愉快さと、ついでに間歇的に襲って来ては体力を消耗する深く湿った咳の発作があった。
 風邪だろうか。じわりと背中を冷や汗が垂れる。ここで風邪など引いたと言おうものなら、家人がまた得意そうに「だーかーら、この寒い中を上井草なんかに行くからだよ」と叱言を垂れるに決まっている。よし無理は禁物、ここは自重して体調を整えることにしよう。ピラティスとバレエは泣く泣くお休みである。

 億劫ながらも時間が出来たので、ゆっくりゆっくり掃除や洗濯や晩御飯の仕度などに取り掛かる。ふとした気紛れで、翌日金曜日の晩御飯に出せそうな煮物なども下拵えしてしまった。前以てやっておけば、当日、慌しく時間に追い捲られながら準備することもなくなる。
 ところが、晩御飯を食べ終わった後でどうにも怠くて我慢出来なくなった。その辺りで家人も様子が変だと気付いたらしい。熱を計ってみろと言うので体温計を咥えてみると…39度ジャスト。あれ? この体温計、壊れてない? 真面目に最初はそう思った。

 翌朝までに下がってくれないと色々困るなあ、などと暢気に構えていたが、そこから延々36時間、わたしの体温は39度を下回ることはほとんどなかった。一番下がったのは金曜日朝の38度5分(ほんの1時間ほどだけ)、最大瞬間体温は実に39度9分(汗)。もうちょっとで大台なので、つい「おっ、あとちょっとやん、頑張れ♪」などと思ってしまったくらいである(阿呆)。
 もちろん金曜日のバレエも出られないので欠席。寝ている途中で「これは病院へ行かないとマズいかも」と思ったものの時既に遅く、徒歩5分の病院まで自力で辿り着く体力がない。隣家の義父母や母にヘルプを出す訳にも行かない。インフルエンザだとすると、65歳以上はハイリスク・グループと呼ばれ、下手すると重症化し易いらしいからである。
 義父母や母に感染した上に重症化されたらこちらも後悔し切れない。

 そんな訳で家人が帰宅早々、クルマに積み込んで病院へ連れて行って貰った。細長い麺棒で鼻腔内をぐりぐり拭い、それをエッペンドルフ・チューブの液(生理的食塩水か?)に懸濁して試験に持って行く。インフルエンザのウィルスのDNAがあるかどうかを調べるのだろう。どういう仕組みかな? PCRかな? 昔齧ったジャンルなので、ちょっとわくわくする。
 診察してくれたお医者さんに「検査ってPCRでやるんですか」とつい訊いてみた。昔はPCR、時間もお金も莫大に掛かったものだが、今はたったの15分で結果が判るようになったのだろうか、凄いなーと思ったのだ。
 残念ながらそこまでは進歩していなかったらしく、PCRで調べるのではないと言う。迅速診断キットなるものが販売されていて、それを使うと簡単に、インフルエンザかどうかが判るのだそうな。ちなみにこの回わたしは陰性だった。

 普通の風邪でどうしてこんな熱が出るのか疑問だった。変な病気だったらちょっとイヤだなあ。ともあれ、頓服を呑んで眠ったら、翌朝は多少熱が下がっていた。自力で動けるうちに…と、昨夜のお医者さんに言い付かった通り、改めて受診。受付を済ませて内科待合に座っていると、看護師さんが「もう1回インフルエンザのテストを受けて下さい」と言う。
 何でも昨夜のサンプルは、時間が経ったら陰性から陽性へと変わったのだそうな。そんなことってあるのか(びっくり)。まあ確かに、あれだけ熱が出てインフルエンザじゃないとしたら…? という疑問は解消されるので、スッキリはしたのだが。とは言え、看護師さんが仰るように「確実に診断するには発症後48時間経っていないと」ダメなら、それって結構不便な診断法ではないだろうか。

 迅速診断キットの原理はイムノクロマトグラフィー法らしい。キットは細長い板状で、端っこにはコントロール(対照)と判定部がある。真ん中辺りに検体を乗せる部分があり、反対側の端には展開液の入った小さなパウチが付いているようだ。検体(鼻腔拭い液)中にインフルエンザ・ウィルスがあったら、それがキットの真ん中部分に仕込んである抗体に結び付く。その抗体には特殊な酵素が接続してある。
 検体をセットし終わったらパウチを潰して展開液を浸み出させる。抗体と結び付いたウィルスはキット表面をじわじわ流されて行って、判定部の特定位置に仕込んであるまた別の抗体に引っ掛かる。そこで特殊な酵素が働き、キット表面に塗ってある色素の元を分解して色を出す。2種類の抗体はどちらもインフルエンザ・ウィルスにしか結び付かないように出来ているので、色が出たら間違いなくインフルエンザ・ウィルスがある証拠、と言う仕組みである。

 参考資料はこちらのサイト。モノクローナル抗体なんて昔懐かしい単語だなあ…(汗)。ちゃんと機能してくれるモノクローナル抗体が作れなくて、4年生時は大変苦労したものである。もっと大変だったのはヘボで怠惰なわたしと一緒に組まされた上級生だったが(汗)。
 しかしこの原理だとすると、時間が経ったら陰性が陽性に変わっちゃった、ってのが良く判らない。どういうことなのだろうか。

 ともあれ再度鼻をグリグリされて、今度はしっかり陽性が出た。噂のタミフルを出され、48時間くらいは人に感染す可能性が高いから人ごみには出るな、特に小さい子供には接するな、と言われて帰宅。さてそこでハタと困ったのは家人のことである。
 感染しちゃってるだろうか。マズい。一応昨夜は寝場所を別々にしたのだが、それまでに充分、面と向かって会話したり隣り合って座ったりしちゃってるしなあ。どうしよう。家人はわたしより病気慣れしていないので、もしもインフルエンザに罹ったりしたら相当面倒臭いことになるに決まっている。わたしから見ると「大した熱じゃないじゃん」な体温で、大袈裟に見えるほどに苦しがって唸るわ暴れるわ、とにかく騒がしい病人なのである。

 わたしだってまだ本調子ではないのだから、勘弁して欲しい。しかしその切なる願いは届かなかった。インフルエンザは、家人にもやっぱり感染っちゃっていたのだった(涙)。(以下続く?)



02/07〜08 東条組追出し試合 【2007/02/08 02:30】

首藤選手と  と、いう訳で、こんなに早く追出し試合を観なければならない一抹の哀しみを背負いつつ、通い慣れた経路で上井草へ。4年生チームに対戦するのは、来年のAチームである権丈組、1〜3年生の各学年で構成するチームの4つ。毎年、Aチームと対戦する時は皆結構マジである。来シーズンの力量を測る上でもかなり面白い。
 以下、3年生、2年生、1年生と下るにつれ、だんだんお遊び要素が増えて行く。やはり1年生チームとガチンコで対戦してもボロ勝ちするだけで面白くないのかもしれない。全力投球で4試合もやったら4年生は死んでしまうだろうし(汗)。

 観客席の笑いが一番沸き起こるのも vs 1年生チームの試合である。今年はバックス陣がスクラムを組んでいた♪ さらにお約束として、女子マネージャーさんたちが並み居るディフェンスをゴボウ抜きにしてトライ、という楽しいシーンの演出もあり。今年は女子マネさんをポイントにしてモールを組み、モール・トライなんてこともやっていた♪
 楽しそうで良いなあ。わたしも混ぜて欲しいなあ。良いなあ良いなあ♪ きっと、その場に居た観客の全員がそう思っていたに違いない。運動部に所属したことがほぼ皆無なので、ああいった体育会系な横の繋がりの強さには、ただひたすら憧れるのである。
 冷静に考えれば、怠惰で気の利かないわたしなぞ、運動部のマネージャーが務まる訳もないのだが(とほほ)。

 今回持参したのはユニフォーム型のカード。首藤甲子郎選手と曽我部佳憲選手宛で、お絵かきソフトで作成した画像を刷り出し、厚紙に貼り付けて切り抜いて、外表に2つ折に出来るように貼り合わせるという手間の掛かり具合である。表はこんな感じで裏はこんな感じ。背番号が重要なので、背面側が表なのだが、理想的には背番号の上に「SHUTOH」とか「SOGABE」とか入るデザインならもっと嬉しかった(阿呆)。
 ついでにユーミンの『NO SIDE』もプレゼント。わたしとしては「空耳のホイッスル」も泣けるのだが、カードに「こちらの曲もお勧めですよ」と書くのを忘れてしまった。ともあれ、趣味ではないとしたら、単なる迷惑だよなあ(汗)。ユーミンくらい一般的であれば、それほど耳障りでもないのではないかと楽観しているのだが。

 試合終了後は4年生が全員整列してご挨拶(画像はこちら)。1月13日の vs 関東学院大学戦で負傷し、担架で運ばれたので心配していた副将の後藤彰友選手(1番左端)も元気そうだったので一安心。前に一歩出ている東条雄介主将が、今年の反省と来期への期待を述べ、「荒ぶる」奪回を約束してくれた。何か一言あるかな〜と思っていた中竹竜二監督(黒いグラウンド・コートの人)のコメントはなし。ううむ(汗)。
 その後は権丈太郎新キャプテンのご挨拶(画像はこちら)。簡単に決意を表明し、応援して下さいね、と言っていた。応援、しますとも♪ 例え来シーズンの萌え選手に心当たりがなかろうとも、ワセダのラグビーそのものが大好きだもんね♪

 記念写真撮影の段になると、恒例として観客もグラウンドに入って良いことになっている。皆さんカメラを手にどっと繰り出し、ズラリと並んだ4年生のアカクロ姿を激写(画像はこちら)。皆さん非常に良い笑顔で写ってくれたので大ラッキー&大満足である。そしてそのまま、それぞれのご贔屓選手に突撃タイムに雪崩れ込む。わたしの場合、何はさておき、首藤選手と曽我部選手にカードを渡さなければならないのだが、サインや2ショット写真希望のファンの皆さんで、あっと言う間に長蛇の列が出来ていた(汗)。
 下級生への寄書きもあるので、大変時間が掛かったけれど、とりあえず野望は完遂出来た。上の首藤選手との画像の他、with 曽我部選手with 矢富選手with 今村選手との2ショットである(るん)♪ ついでに、五郎丸選手とも記念写真。身長差が面白過ぎるので、ついつい撮っていただきたくなるのだった。…来年の追出し試合では五郎丸選手のところにはもんのすごい列が出来るだろうので、今のうちに撮っちゃえという目論見もある(無意味だってば)。

 既に東条キャプテンと首藤選手のサインをいただいてあった今年用の応援旗には、後藤彰友副将と、曽我部選手、矢富選手、今村選手のサインもいただいた。さらに画像に写っている黒いバッグには、白マジック・ペンで首藤選手のサインも入れていただくことに成功。残念ながらサイン部分はフレームから出てしまって写っていない(がっかり)。
 その時の会話である。

まとり(以下ま):このバッグにサイン、お願いします!
首藤選手(以下甲):え、良いんですか?
ま:良いんです。観戦専用のバッグなので。
甲:…どの辺に書きましょうか?
ま:ど真ん中にドドーンとでっかくお願いします♪
甲:え、それはちょっとマズいでしょう(汗)……うーんと、左ウィングなのでじゃあこの左隅に(書き書き)。

 列の後ろに並んでいらした方の笑いを取ってしまったのだった(汗)。そんなに面白かっただろうか。
 首藤選手と五郎丸選手が仲良しなので、誘惑に抗し切れず、バッグの反対側には白マジック・ペンでゴロちゃんのサインも入れていただいた。満足満足♪

 そんな風に、非常に充実してかつ楽しい追出し試合観戦だったのだが、ほぼ半日、吹きっ晒しのグラウンドをウロウロしていたのがあまり良くなかったらしい。気温は高かったし、もうこの際恥ずかしさよりも保温重視で、タイツの上にレッグ・ウォーマーも履いていたので冷えはしなかったのだが、その分花粉の飛散量が多かったと見える。
 何だか帰宅後、激しく鼻がグシュグシュするし咽喉も痛いし顔も痒い。ウチに着いた直後、ちゃんとうがいや洗顔もしたのだが…(ううむ)。家人にはまたも「ホレ見たことか」とせせら笑われているのだが、今の大満足気分に水は差されないのだった♪ 来シーズン、NECグリーンロケッツのファン・クラブにも入らなきゃ♪



02/03〜06 ハッと気が付くと 【2007/02/06 22:44】

 日記を書き忘れたまま4日目だった(汗)。反省。今年こそちゃんと書こうと思っていたのになあ(汗)。
 やはり2月3日のラグビー日本選手権で、ワセダが九州電力キューデンヴォルテックスに、33対36という僅差で敗れたことがショックだったのである。これで今シーズンのワセダはおしまい。東条組は終了となり、早々と来シーズンの主将も決まったらしい。予想通り、LOの権丈太郎選手が主将、PRの畠山健介選手とFBの五郎丸歩選手が副主将。
 今シーズンからの新監督だった中竹竜二監督と、旧主将の東条雄介選手は気が合いそうな感じだったが、新しい主将副将陣は、3人共、中竹監督とソリが合ってないような気がする。新チームはどうなることやら(汗)。

 ともあれ、大の贔屓だったWTB・首藤甲子郎選手とSO・曽我部佳憲選手が卒業してしまうのが、わたしにとっては何よりの打撃である。寂しくなるなあ。三連覇を逃しただけに、喪失感も一入なのである。
 4年前と言うと、色々あって心身ともに結構ヘコんでいた時期だった。そんな折、新1年生の首藤選手のプレイを初めて観た。衝撃的だった。小柄なのに安定感のある、それでいてキレの良いラン。柔道の経験から来るのだろう、相手の力を利用するようなディフェンスにハンド・オフ。すごい、と思った。

 気が付いたら目で追うようになっていた。そして2月だったか、学生席で、1人残ってゴミ拾いをしている姿に、おばさんの萎れかけたハートはときめいちゃったのだった(汗)。なんて良い子なんだろう♪ 当時は、1年生だから先輩たちの捨てたゴミを拾うことになっているのかと思ったが、後から違うらしいと判明した。何せ今シーズン、最上級生になっても、しかも学生席ではなくて一般席に置き去られたゴミでも、首藤選手がさり気なく拾っている姿を目撃している。彼のポリシーなのだろう。
 試合後にも、観客席に挨拶をする時にはいつもいつも、メンバーの誰よりも長く深々としたお辞儀をしていた。ご両親の人柄が偲ばれるような、近年珍しいほどの「スポーツマン」である。
 凹み気味だったわたしは、「こんな人も居るんだ」と、何だか元気が出るような気がしたのだった(単純)。

 そんな風に、4年間ずーっと観て来た。小柄なせいもあって、怪我に泣かされることも多かったけれど、ここぞという時には必ずやってくれる選手だった。燃えかつ萌えた。首藤選手ほど「気になって仕方ない」選手は、暫くは現れないのではないかな、と思う。
 家人によればそういう見方は邪道だそうなので(汗)、ご贔屓選手が出て来ないなら出て来ないで、純粋にラグビーそのものを楽しもうかな、とも思う。ともかく、追っ掛け続けたこの4年間、本当に楽しかった。お蔭様もあるのだろう、わたしもメキメキと元気になって、最近では時として家人の顰蹙を買うくらいのハジケっぷりである♪

 もう1人のお気に入り、曽我部選手は、とにかく見ていて微笑ましいというか、愛すべきキャラなのだった。腹を割ってお話したことなどないけれど、大層素直な性格なのだろうな、と思える。わたしは勝手に「モーツァルト的な才能とキャラ」だと思っている。とは言えやはり大怪我を経験しているので、あの笑顔からは想像も出来ないような苦悩を味わっているのだろう。
 「ラグビーが出来ること:プライスレス」と寄せ書きに残したことから、あの笑顔の裏にある諸々が推し量れる。ともかく、理屈抜きに応援したくなっちゃう選手なのだった。

 来年は、首藤選手はNEC、曽我部選手はサントリーでそれぞれトップ・リーグ入り。同じチームに入ってくれたらなあ、と願っていたが叶わなかった。出来れば、SH・矢富勇毅選手と曽我部選手と首藤選手の3人は、ずっと同じチームで居て欲しかったのになあ…。
 明日は、去年よりもだいぶ早くなってしまったが、東条組の追い出し試合。万難を排して上井草に赴く予定である(汗)。



02/02 9日で4kg 【2007/02/02 12:59】

 当たり前と言えば当たり前の話なのだが、タイトルのような急速な減量は不可能だと、皆知ってるハズである。それなのにどうして、代替食ダイエットの広告が引きも切らないのか、時々本当に不思議になる。
 これまた当たり前の話だが、食べなければ痩せる。ダイエット用代替食の良い点は、食事量を減らしても、必要な栄養素だけはしっかり摂れるようにデザインされている点で、これはシロートに真似するのは難しかろう。クッキーとかスープとかシェイク状のドリンクとか、何でも良いけれど、食事が「…これだけ?」でも我慢出来るのであれば非常に手軽だと思う。

 わたしはどちらかと言うと食事のスタイルには拘らない性質なので、栄養さえ摂れるならば晩御飯が代替食でも平気である。かつてのイメージの宇宙食とか、さだまさしさんの「聖野菜祭」に出て来るようなランチ・チューブやディナー・カプセルでも耐えられるだろう。正直を言えば、あの手の代替食ダイエット、かつてやってみようかと思ったことさえある。
 とは言え、ずーーーーーっとアレ、ってのは多分続けられないだろうな。やっているうちに胃が縮んで食事の総量が減ることはあるかもしれないが、いずれそのうち「ああっ腹一杯かっ喰らいたい!」という炎のような欲求が沸いて来ることは間違いない。人間が動物である以上、これは確実で、その欲求をどうやって宥め賺すかがリバウンドするかしないかの分かれ道なのだ。

 経験則でもあるが、反動的かつ猛烈な食欲の強さは、減量のスピードに比例する気がする。ゆっくりゆっくり減らせばそれほどでもないけれど、大学院時代、ストレスで急激に痩せちゃった後に襲って来た「食べなきゃ!」の発作は物凄かった。精神的にちょっと不安定だったこともあるのだろうけれど、苦しいほど満腹でなければ不安を感じるのである。
 こんなに食べたらイカン、もう止めなきゃと、思っているのについつい食べちゃう。あれは一体どういうメカニズムなのだろう。元々自分の意思の強さにはあまり信頼を置いていないけれど、あの時の「食べちゃダメ」の決意ほど脆いものもそうそうなかった(笑)。

 そういう訳で、「9日で4kg」なんて減量、後で絶対リバウンドするから止めた方が良いのに、と思わずにいられない。1ヶ月に3kgとか、その辺までが、リバウンドせずに痩せられる限界値であるように思うのだが。宣伝する方にしてみたら、文字通りに後は野となれ山となれの心境だから、煽情的かつキャッチーな「効果」を謳うのだろうか。
 ソースは色々あるが、人間の体脂肪は1gにつき7kcalの熱量を持つらしい。本当は脂肪は1g=9kcalなのだが、体脂肪の場合、中に水分等も含まれるのでちょっと割安になっている。体脂肪を減らそうと思ったら、とにかく相当分のカロリーを消費するしかない。体脂肪1kgなら7000kcal、絶食しても4、5日は掛かる計算である。

 とすると4kgの体脂肪を減らそうと思ったら実に28000kcal消費せねばならず、これを9で割ると1日当たりの消費量はなんと3000kcal以上。絶食した上にジョギング2時間、とかの世界である。それを9日続けるとしたら…死んじゃうよ(汗)。
 物凄く頑張って、もしも仮に本当に9日で4kg減った人が居ても、それは体脂肪が減ったのではないことは明らかである。体内の水分か、あるいは減らした分の食事のせいで、消化器官内部のモロモロがなくなっているせいだろう。ちょっと飲み食いすればあっという間に元通り。ボクサーではないのだから、誰もそういう「減量」は嬉しくないと思うのだが。

 見たくもないのだが、ついつい見掛けちゃう「9日で4kg」の宣伝。内容に著しい誇張が含まれているのは明らかで、「効果には個人差があります」と但し書きをしたところで許されないと思う。不愉快だからボクメツされちゃって欲しいのだが、スポンサーとしては露出度高いし、無理なのだろうか。「納豆ダイエット」に騙されたと怒るのなら、あっちにもちゃんと怒って欲しい。



02/01 ももも、もう2月(汗) 【2007/02/01 23:47】

 1月は行ってしまう、との言葉通り、2007年の1月はあっと言う間に過ぎてしまった。この伝で行けば、2月は逃げてしまって3月は去ってしまうのだな(汗)。ううむどうしよう。予定が全然こなせていないのである。2月は比較的余裕のある月だったハズなのだが、1月分の予定がズレ込むことが確実になったので、想定通りのゆとりが出るだろうか。疑問である(とほほ)。
 おまけに情けない話だが、2月のアタマである今日は体調不良でほぼ使い物になっていない。昨日冷えてお腹を壊したのが未だに尾を引いているのだった。おかげで今日のスポーツ・クラブのバレエのレッスンはお休みせざるを得なくなった(涙)。今週はずっと具合がよろしくなくて、月曜日、火曜日ともにお休みしているので、ちょっと寂しいのである。
 明日のバレエ教室は死守しよう(決意)。

 ともあれ、今朝は家人を送り出してから、胃腸薬を呑んでまたベッドに戻った。再び目が覚めたのは昼過ぎである(汗)。体調不良でお休みしたというよりも、ほとんど「寝過ごしてレッスンに間に合わなかった」に近い状況なのだ。我ながらちょっと情けなかったけれど、お蔭でだいぶ良くなった。この分なら明日は大丈夫だろう。
 きちんと治しておかないと、明後日は問題のラグビー日本選手権の1回戦。ワセダが対戦するのは、2007年シーズンからトップ・リーグに昇格することが決まった九州電力である。松本充選手を始め、ワセダのOBも数人所属している、なかなか侮れそうにないチーム、果たしてワセダは勝ち進むことが出来るだろうか。

 ここで負けてしまったら、2月の後半は何を楽しみに過ごせば良いものやら(涙)。昨日、首藤甲子郎選手や曽我部佳憲選手が力強く「必ず勝ちます!」と約束してくれたように、東条組が最後のひと暴れをしてくれると嬉しい(祈)。