アルプス交響曲
Eine Alpensinfonie op.64


◎ 作曲年

1911〜15年

◎ 初演

1915年10月28日,ベルリン,シュトラウス指揮, Dresdner Hofkapelle

◎ 楽器編成

フルート4 (3、4番ピッコロ持ち替え) ,オーボエ3 (3番イングリッシュホルン持ち替え) ,ヘッケルフォーン,小クラリネット,クラリネット3 (1本バス・クラリネット持ち替え) ,ファゴット4 (4番コントラファゴット持ち替え) ,ホルン8 (5〜8番テノール・チューバ持ち替え) ,トランペット4,トロンボーン4,テューバ2,ティンパニ2人,大太鼓,小太鼓,シンバル,トライアングル,タム・タム,風音器,雷音器,牧羊擬音,グロッケンシュピール,ハープ2 (可能なら4) ,オルガン,チェレスタ,弦5部 (最低限18-16-12-10-8)

舞台裏にホルン12,トランペット2,トロンボーン2 (やむを得ない時はオーケストラから編入)

可能ならクライマックスでフルート2,オーボエ3,小クラリネット,クラリネット2は倍増.

◎ 内容

アルプス登山の1日を描いた作品。作曲者若い頃の登山の実体験が反映されているとも言われる。

曲はまだ夜の開けきらない闇の中で静かに始まり、程なくして壮麗な日の出とともに最初の頂点を迎える。続いてどこからか響いてくるアルプホルンの旋律を聴きながら登山者は元気良く山道を登り始め、途中森、小川、滝、草原、牧場など印象的な風景を楽しみながら次第に山頂へと近付いていく。道に迷いながらもなんとかたどり着いた山頂では雄大な眺望が音楽に第2の頂点を築きあげる。しかし一方では次第にたちこめてくる霧がやがて来る嵐を予感させる静寂を運んでくる。突如雷鳴が響き渡り激しい雷雨となり、登山者は嵐の中を大急ぎで下山する。嵐が去るとやがて山は日没を迎え、余韻の中登山者は静かに一日の回想に浸る。最後に冒頭の夜の主題が再び現れる。しかし続いて現れる登り坂の主題の回想も一瞬だけですぐに夢の中に溶け込んでしまい、登山者は静かに眠りに就く。

1.Nacht
2.Sonnenaufgang日の出
3.Der Anstieg登り坂
4.Eintritt in den Wald森に入る
5.Wanderung neben dem Bache小川のほとりでの散策
6.Am Wasserfall滝のほとりで
7.Erscheinung幻影
8.Auf blumige Wiesen花咲く草原へ
9.Auf der Alm牧場にて
10.Durch Dickicht und Gestruepp auf Irrwegen道に迷って薮と茂みの中を通る
11.Auf dem Gletscher氷河にて
12.Gefahrvolle Augenblicke危険な瞬間
13.Auf dem Gipfel山頂にて
14.Vision
15.Nebel steigen auf霧がたちのぼる
16.Die Sonne verduestert sich allmaehlich日が次第に陰る
17.Elegie悲歌
18.Stille vor dem Sturm嵐の前の静けさ
19.Gewitter und Sturm, Abstieg雷雨と嵐,下山
20.Sonnenuntergang日没
21.Ausklangフィナーレ
22.Nacht


◎ メモ

この曲はとにかく大がかりな楽器編成を持ち、別動隊のオーケストラを配置したり風音器や雷鳴器を用いたりなど、直後に作曲されたオペラ『影のない女』と共通するものもけっこうみられます。この時期、こういう形でオーケストラ音楽のさらなる可能性を追求することにシュトラウスは夢中になっていたのかもしれません。しかしその一方で、多くの箇所で微妙な弱音を駆使した繊細な音作りがなされていることも見逃すことはできないでしょう。特に「夜」や「嵐の前の静けさ」などにおいては、聴きとれる限界近くまで音量をそぎ落とした弱音が絶妙な効果を上げているのを聴くことができます。

曲の出だしは若いころに作曲したへ短調交響曲の第1楽章の出だしとも共通する要素を持っていますが、こちらの方が拡張されています。その後、金管による闇の描写を経て壮麗な日の出へと至る過程の描写の緻密さには一聴の価値があります。以降、この日の出の描写を筆頭として聴く人を飽きさせることのない音の風景詩が次々と眼前に展開していきます。

終結部、特に Sonnenuntergang (日没) 以降においてオルガンが出てきた後に歌われる美しい旋律は、山の頂上でまずホルンで、次いで弦をはじめとするオーケストラで朗々と歌われた旋律の、絡みの順序を逆にしたものですが、あまりに雰囲気が違うため新たな旋律が導入されたかのような印象を受けます。もう少し時間が長ければ...とさえ思えるほどの魅力的な楽想です。

◎ 余録

当初、シュトラウスはこの曲を『アンチ・クリスト』 (反キリスト) と名付けるつもりだったのだそうです。『アンチ・クリスト』というのはニーチェの晩年の著作の一つだそうですが、その序文には「政治やら民族統一の夢やら、憐れむべき議論を下方に見おろすためには、山上に住む訓練をしておかねばならぬ。」という一文があり、シュトラウスはこの一節を自分の哲学ノートに書き付けていたのだそうです。『アルプス交響曲』も実はこの世界観にのっとって作曲されたのだとか。 (『リヒャルト・シュトラウスの「実像」』 p.211.)

確かにこの曲を聴くと、人間が自然と直接対峙し感動する様が巧みに描写されている反面、その自然描写からは宗教的なものの存在が根本的に欠落しているような気もしてきます。 (最後の方に出て来るパイプオルガンによって、多少宗教的な雰囲気だけは醸し出されるのですが...) 当初私はこの曲を純粋な自然賛歌もしくはベートーヴェンの『田園』交響曲へのオマージュのようなものかと単純に考えていたのですが.....上記の指摘が事実だとすれば、この曲は表面上は単なる登山者の視点から見た風景描写と見せかけておいて、その裏には実は極めて哲学的なメッセージが込められていたことになります。

それはそうと、この曲に見られるようなシュトラウスの自然観と、マーラーの例えば第3交響曲に見られるような汎神論的自然観とを比較してみると結構おもしろい研究になるのではないかとも思うのですが、そんな研究、どっかにないでしょうか?

( ↑ とかなんとか書いてたら、つい先日ネット検索でこんな本を偶然見つけました。

Unger, Anette. "Welt, Leben und Kunst als Themen der "Zarathustra-Kompositionen" von Richard Strauss und Gustav Mahler"

そのタイトル (『リヒャルト・シュトラウスおよびグスタフ・マーラーによる「ツァラトゥストラ作品」のテーマとしての世界、人生そして芸術』) から判断すると、どうもニーチェのツァラトゥストラをテーマとして取り上げた両者の楽曲の比較?研究のようなものらしいのですが、読んでみたいような、読んでも分からなそうな... (ダメじゃん...) 出身大学の図書館に所蔵されているようなので、まあパラパラめくるくらいはそのうちしてみようかなと思います。どなたか読んだことのある方いらっしゃいませんでしょうか?
(2006.1.24 追記。))



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