1887秋〜1888年夏。
シュトラウスの回想によれば、1888年の4〜5月のイタリア旅行の際、パドヴァの聖アントニオの修道院(大聖堂のことか?)の中庭で最初の主題を着想したという。しかしそれでは同年夏の作品完成までの作曲期間があまりに短かすぎるため、多くの研究書で推定されている通り、既に前年の秋から作曲に着手していたという見方が妥当と思われる。
(ちなみにパドヴァ Padova はヴェネツィアのすぐ西にある古都。英名及び独名はパドゥア Padua 。パドヴァの聖アントニオ Sant'Antonio di Padova は中世の聖人で、パドヴァにその名を冠した大聖堂がある。シュトラウスは1888年の5月のヴェネツィア旅行の際にここに立ち寄っている。マーラーの歌曲集「子供の不思議な角笛 Des Knaben Wunderhorn 」中の『魚に説教するパドゥアの聖アントニウス Des Antonius von Padua Fischpredigt 』でも有名。)
なお、シュトラウスの音楽は開始の仕方が非常に独創的であることが知られているが、この曲の導入部でも、以後に登場する諸主題の断片やリズム動機が非常に充実した書法で巧みに組み合わされており、この部分を書いた時点では、以降の部分の作曲の筆は既にかなり進んでいたとしても少しも不思議ではない。なので上記のシュトラウスの証言も、この曲の素材を用いて如何に作品を開始させるかについての着想を得た、という意味に取るならば、作曲時期についての矛盾も一応はなくなるように思われるのだが、どうであろうか。(もちろん単なる想像ではあるが。)
1889年11月11日,ヴァイマル宮廷歌劇場,シュトラウス指揮,ヴァイマル宮廷管弦楽団 Weimar Hofkapelle
Ludwig Thuille (ルートヴィヒ・トゥイレ(1861−1907)。シュトラウスの3歳年上の友人。シュトラウスが13歳の時(1877年)にインスブルックで知り合い、以来生涯にわたる友情を保ちかなりの数の書簡が交わされた。献呈時にはミュンヘンの音楽学校の教授職にあった。)
フルート3 (3番はピッコロ持ち替え) ,オーボエ2,イングリッシュ・ホルン,クラリネット2,ファゴット2,コントラファゴット,ホルン4,トランペット3,トロンボーン3,テューバ,ティンパニ,シンバル,トライアングル,グロッケンシュピール,ハープ,弦5部
19世紀前半のオーストリアの詩人ニコラウス・レーナウ Nikolaus Lenau (1802-50) の叙事詩『ドン・ファン Don Juan 』から着想を得た、単一楽章の純器楽作品。『マクベス Macbeth 』に続いてシュトラウスが2作目に手がけた交響詩。(ただし『マクベス』は一旦改作を経ているため最終的な完成は『ドン・ファン』より遅く、作品番号も『ドン・ファン』 (op.20) より後 (op.23) になっている。)なお、これらの作品においてシュトラウスはリスト流の「交響詩 Symphonische Dichtung 」という呼び方を避け、「音詩 Tondichtung 」と名付けている。
叙事詩『ドン・ファン』はレーナウの遺作となった未完の作品であり、死の翌年に出版されている。シュトラウスはその中から3つの部分を選んで総譜の冒頭に書き付けている。(4つの部分に分ける考え方もあるが、ここは del Mar に従い3つに分ける。)以下に原詩とその訳を掲げておく。(訳は Nekomata による仮訳。極力逐語的な訳を心がけたので、原文の詩文としての味わいはほぼ完全に失われていることをあらかじめお断りしておく。なお、意訳した部分や注意するべき部分には後に注を付してある。表示が乱れる時はフレーム幅を広げて見るか、別ウィンドウで表示しなおすことを推奨。)
| Den Zauberkreis, den unermeßlich weiten, | 測り知れぬほどの広がりを持つ、 |
| Von vielfach reizend schönen Weiblichkeiten | 幾重にも魅惑する美しい女性達の魔の領域を、 |
| Möcht' ich durchziehn im Sturme des Genusses, | 私は怒濤のような享楽のうちに(1遍歴し、 |
| Am Mund der letzten sterben eines Kusses. | 最後の女性の口元で、1たびの口づけによって(2死んでゆきたい。 |
| O Freund, durch alle Räume möcht' ich fliegen, | おお友よ、私はあらゆる空間を飛び巡り、 |
| Wo eine Schönheit blüht, hinknien vor jede | 一つでも美が咲き誇る場所では、そのそれぞれの前へとひざまずき、 |
| Und, wär's auch nur für Augenblicke, siegen. | そして、たとえ一瞬のことであっても、征服してしまいたい。 |
| Ich fliehe Überdruß und Lustermattung, | 私は倦怠や、欲望の衰えから逃げ去り、 |
| Erhalte frisch im Dienste mich des Schönen, | 美への奉仕において自らの新鮮さを失わず、 |
| Die einzle kränkend schwärm ich für die Gattung. | 個々の心を傷つけつつも、あの種属(3に夢中になるのだ。 |
| Der Odem einer Frau, heut Frühlingsduft, | 一人の女性の息吹、それは今日は春の香りであっても、 |
| Drückt morgen mich vielleicht wie Kerkerluft. | 明日にはもしかすると牢獄の空気のように私を苛むかもしれない。 |
| Wenn wechselnd ich mit meiner Liebe wandre | 自らの愛を取り替えつつ(4 |
| Im weiten Kreis der schönen Frauen, | 美しい女性達の広大な領域をさまよい歩く時、 |
| Ist meine Lieb' an jeder eine andre; | 私の愛はその各々に対して異なったものとなる。 |
| Nicht aus Ruinen will ich Tempel bauen. | 私は廃墟から寺院を建てようとしているのではない。 |
| Ja! Leidenschaft ist immer nur die neue; | そう、情熱とは常に新しいものでしかないのだ。 |
| Sie läßt sich nicht von der zu jener bringen, | こちらからあちらへと移し替えられるものではなく、 |
| Sie kann nur sterben hier, dort neu entspringen, | 単にここで消え果て、あちらで新たに生み出され得るのみである。 |
| Und kennt sie sich, so weiß sie nichts von Reue. | そして(情熱が)己れを知るとしても、後悔については何一つ知ることがない。 |
| Wie jede Schönheit einzig in der Welt, | 各々の美がこの世において唯一無二のものであるように、 |
| So ist es auch die Lieb', der sie gefällt. | その美に見合う愛(5もまた(唯一無二なのである)。 |
| Hinaus und fort nach immer neuen Siegen, | 常に新たな勝利を求めて出かけて行こう。 |
| Solang der Jugend Feuerpulse fliegen! | 火のような青春の鼓動が激しく脈打ちつづける限り! |
| Es war ein schöner Sturm, der mich getrieben, | 私を駆り立てたのは心地よい嵐であったが、 |
| Er hat vertobt und Stille ist geblieben. | それも衰え、そして静寂が残された。 |
| Scheintot ist alles Wünschen, alles Hoffen; | いかなる願いも、いかなる望みも、死に絶えたかのようだ。 |
| Vielleicht ein Blitz aus Höh'n, die ich verachtet, | もしかすると私が軽んじていた高みからの雷撃が |
| Hat tödlich meine Liebeskraft getroffen, | 私の愛の力に致命傷を負わせ、 |
| Und plötzlich ward die Welt mir wüst umnachtet; | 突然に私のまわりの世界(6が荒廃し闇に包まれてしまったのかもしれない。 |
| Vielleicht auch nicht - der Brennstoff ist verzehrt, | あるいはもしかしたらそうではなく − 燃料が燃えつき、 |
| Und kalt und dunkel ward es auf dem Herd. | そしてかまどの火も消えて冷たく、暗くなってしまったのだ。 |
注:
1) 字義:「享楽の嵐のうちに」。
2) 原文の eines Kusses は単数属格。ここでは死の理由を表すが、同時に上の行と脚韻を踏むための属格でもある。
3) 女性のこと。
4) 原文の mit meiner Liebe は直前の wechselnd の補語である。「自分の愛とともにさまよい歩き」ではないので注意。
5) 字義:「その美のことが気に入る愛」。関係節の主語 sie は前行の Schönheit を受ける。関係詞 der は女性単数与格。
6) 字義:「世界が私にとって荒廃し〜」
1つ目と2つ目の詩節はともに最初の方からの抜粋で、父親の伝言を持って現れた兄弟のドン・ディエゴ Don Diego に対するドン・ファンの台詞である。放蕩の生活を改めて自分の許に帰るよう諭す父親からの伝言を伝えるドン・ディエゴに対し、ドン・ファンは最初の抜粋部分で自分の人生哲学を述べる。それを無意味と批判するドン・ディエゴに対する更なる返答が2番目の抜粋部分である。
3つ目の抜粋部分は夕食のシーンからのもので、友人のマルチェロ Marcello に対して語られたドン・ファンの台詞から取られている。このシーンでのドン・ファンは陰鬱でふさぎ込んでおり、自分を人生の不毛から救い出してくれる敵の出現を待ち望んでいる。この抜粋部分の台詞にもその気分が色濃く反映しており、後に主人公に訪れる運命を暗示する。
(ちなみにこの後、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ Don Giovanni 』では、騎士長の石像が夕食のシーンに現れることになっているが、レーナウ版ではそのかわりに自分が殺した貴族の息子ドン・ペドロ Don Pedro が現れ、ドン・ファンに決闘を申し込む。ドン・ファンはその申し出を承諾し、2人の決闘が行われる。まさに勝利を目前にしたその時、ドン・ファンは突然自分の剣を投げ捨て、自ら相手の一撃を受け入れて命を落とすのである。)
なお、これらの抜粋部分は全てドン・ファンの心理描写、性格描写にかかわるものであり、物語の筋には一切関与していない。楽譜中にも個々の恋愛エピソードと結びつけるような記述は存在しない。ただ、便宜的に特定の動機に対して「ドン・ファンの主題」「女性の主題」と呼ぶことがしばしば行われている。
曲は自由な形式に依っている。基本ソナタ形式であるとも、ロンド形式であるとも言われるが、重要な主題が曲の中程で新たに導入される点など、曲の構成にもシュトラウスの創意工夫が随所に盛り込まれている。
曲は最初、弦による駆け上がるかのような16分音符の動機で開始され、すぐに全管弦楽に引き継がれる。一旦下降する旋律が管から弦のリレーで奏された後、ティンパニによるリズム動機が一瞬だけ出て、ドン・ファンの第一の主題がヴァイオリンによって勢いよく提示される。以降この主題や導入部に含まれていた様々な動機が複雑に絡み合ってクライマックスが形成される。
一瞬の総休止の後、音楽は次第に静まり、新たに気まぐれな主題が弦から管のリレーで奏される。そこに後の恋愛エピソードで重要な役割を演じる幅の広い旋律が一瞬だけ顔を出し、もう1度だけ上記の気まぐれな主題が奏される。(この2度目の出現部分には flebile (「悲しげに」)という書き込みがある。この主題は後の回想シーンで他の恋愛エピソードを象徴する主題と一緒に回想されていることから、やはりいずれかの女性とのエピソードを象徴しているとみられる。)すると導入部の諸動機が今度は短調で奏され、再び総休止で流れが断ち切られる。
冒頭の16分音符の動機をはさんで曲は tranquillo と注記された静かな部分に入る。全オーケストラが ppp で夢想的な響きを奏でる中、グロッケンシュピールの下降とハープに導かれて今度は独奏ヴァイオリンに前出の幅の広い主題が何度か顔を出し、やがてクラリネットとホルンが甘い旋律を歌う。この旋律の前半は既に出た3連音を含む幅の広い動機からできているが、後半部分は半音階的に上昇する動機を豊富に含み、官能的な気分が醸し出される。各パート同士の掛け合いが次第に高潮し、クライマックスに達した所で音楽は急激に力を失い、冒頭の16分音符の動機が再び顔を出す。女性を象徴する旋律はここで完全に勢いを失い、かわって冒頭のドン・ファンの主題が再び主導権を取る。曲は荒々しい頂点を築く。
管によるごく短い経過句を経て、ヴィオラとチェロに新たな主題が奏される。これに対してフルートのソロが軽やかに飛び跳ねるような合いの手を入れる。(この部分にもやはり上述の flebile の書き込みがある。)このやりとりが何度か続いた後、次第に曲は落ち着きを取り戻し、次の恋愛エピソードが準備される。
オーボエが表情豊かに息の長い旋律を歌う。ここは曲全体の中でも最も美しく、女性的な愛情に満ちた場面である。これに先ほど現れた新しい主題の前半部が低弦で弱々しく寄り添う。オーボエの旋律が一旦明確な終止を見せた後、今まで背景に退いていた低弦の主題が次第に力を得、急速に駆け上がる。
弦のトレモロに乗って4本のホルンがドン・ファンの第2の主題を勇壮に提示する。一瞬それまでのオーボエ主題が転がり落ちるように奏されるが、すぐにまたホルンの主題にかき消され、これに曲冒頭の16分音符の動機やその他の主題が絡み、音楽は高潮してそのまま仮面舞踏会を象徴するシーンに入る。ここでは笑い声を表すかのような細かな装飾音を含んだ旋律や、グロッケンシュピールのきらびやかな旋律がきまぐれに絡み合い、軽やかなお祭り気分が演出される。騒ぎが頂点に達したところで曲冒頭の導入主題から派生した主題が力強く奏され、( vivo (「生き生きと」)という指示がある部分。)そこに先ほどホルンで導入された主題が今度はトランペットのソロで絡み、音楽は再び高潮するが、クライマックスで曲調は再びどん底に突き落とされる。
暗鬱な気分の中、今までの恋愛エピソードで出てきた女性の旋律がすべて短調で回想される。そこにティンパニのトレモロに乗って冒頭の16分音符の主題が回帰し、曲は次第に勢いを回復する。やがて冒頭の主題がほぼそのままの形で現れる。そこにそれまでの主題が絡みあい、音楽はやがて何かにせかされているような盛り上がりを見せる。そこに4本のホルンによる第2のドン・ファンの主題が力強く奏され、それは最終的にヴァイオリンに受け継がれる。ヴァイオリンを中心とする弦のパートがこの主題を勇壮に歌い上げる間、3連音を含む上昇音階が各パートに次から次へと受け継がれ、音楽は色彩感に満ちあふれた大パノラマの様相を呈する。一瞬の総休止の後、またもや冒頭の16分音符で開始される導入主題が一瞬だけ奏され、音楽は次第にスピードを上げて高潮していく。
突然、音楽は暗転し、全管弦楽のピアニッシモの和音にトランペットがメゾフォルテで絡んで鋭い不協和音が醸し出される。ヴァイオリンがトレモロで緩やかに下降する間、少しずつ和音を構成する楽器が減り速度も遅くなって、音楽の寂寥感が次第に濃厚になっていく。最終的にはファゴットの持続音とビオラのざわめくようなトレモロだけとなり、それも消えて最後はホの音をピアニッシモで3回繰り返して消え入るように終わる。
この曲の魅力はたくさん、たくさんあるのですが、あえていくつかあげるとすれば、冒頭から聴く人をひきずり込まずにはおかない音楽の途方もない牽引力、符点音符や休符を使いまくりの複雑なリズム、低音から高音まで縦横無尽にかけずり回るかと思えば、半音階的な動きも自在な旋律の妙、楽器の音色を様々に組み合わせた分厚い和音、精緻な複音楽的構造、等々。他にもいろいろあげられるだろうと思います。17〜8分くらいの短い曲にもかかわらず音符や休符の数は半端でなく、音の情報量が途方もなく多い曲、とは言えると思います。極彩色の絵巻物が早送りでスクロールされていくのを必死で追いかけてる感じ、とでも言えばいいのでしょうか、とにかく曲の色彩感には圧倒されます。速いテンポにもかかわらずメロディーは決して1つのパートにとどまることがなく、しかも音の密度の様々に異なる旋律がいくつも同時に奏でられていく訳ですから、少しでもタイミングがずれると大変なことになりかねません...符点リズムと3連音を同時に鳴らしてたりとか、漫然と聴いているだけでは決して気づかないようなことも楽譜の中にはたくさん散りばめられています。
もっとも、曲の最後の部分で醸し出されるあの沈潜した雰囲気も決して軽視してはならないと思います。それまでの色彩感は、すべてあのコーダの持つモノクロームとの対比のためにあったのだ、と言っても過言ではない、それくらいあのエンディングは曲にとって重要なものだと思います。シュトラウスは曲の出だしだけでなく、締めくくり方にもかなり気を使うのが常なのですが、この曲でも、ひょっとするとあのエンディングがやりたくてシュトラウスはあえて『ドン・ファン』を素材として選んだのではなかろうか、とさえ思えてくるのですが...