Richard Strauss (1864〜1949) は19世紀後半から今世紀半ばにかけて活躍したドイツの作曲家で、しばしば「ロマン派最後の大家」と称されています。作曲家の中ではかなり長命な方 (享年85歳) で、しかもごく若いうちから最晩年に至るまで、常に意欲的に新作を世に送り出し続けた点でも傑出した作曲家だったと言っていいでしょう。その作品は主として、
の3つに大別することができます。この中では、歌曲は若いころから最晩年に至るまで (一時期作曲ペースの落ちた期間はあるものの) 生涯にわたりほぼ一貫して作曲され続けます。それに対してオペラの作曲が本格的になるのは中期〜晩年にかけてであり、逆にオーケストラ作品の中心を為す交響詩は主として人生の前半である20代から30代の終わりにかけて作曲されています。 (もっとも、バレエ音楽や祝典曲、自作の編曲、委嘱作品等々の形でその後もオーケストラ曲の作曲は続けられていました。) また協奏曲や室内楽の作曲時期は、10代から20代にかけてと、60歳代以降の2時期に分割されています。特に70代以降に生み出された、いわゆる「小春日和」の作品群の中には、今日も音楽家にとって貴重なレパートリーとなっている曲が何曲も含まれています。
このように膨大な作曲量を誇り、作曲分野も多岐にわたっていたシュトラウスですが、しかしその割には、取り上げられる曲は主として生涯の中盤までに書かれた交響詩作品や一部のオペラに集中し、それ以降の曲はあまり積極的に取り上げられていないように思われます。これは一つには、まだ死後たかだか50年ちょっとしか経っておらず、その作品群全体の評価がまだ進んでいないという点があるためと思われますが、他方で、シュトラウスの曲が途方もなく複雑で技巧的に書かれているため、頻繁な演奏、上演を拒んできたという側面もあります。しかし何よりも、当時からシュトラウスの、特に交響詩時代以後の曲をあまり高く評価してこなかった批評界の影響も無視することはできないでしょう。
シュトラウスの作品を時代を追ってみてみると、途中で何度か大きな作風の転換を経験していることに気付きます。 (詳細については専門書や解説書を読んでみて下さい。) その中でも最大の転換は、おそらく舞台作品において『エレクトラ』から『ばらの騎士』へと至る際にこうむった変化であり、『サロメ』『エレクトラ』あたりまでの作風がとにかく大胆でその時代の最先端をゆく前衛性を持っていたのに対して、『ばらの騎士』以降の作品はどれもみな非常に分かりやすく明るい筋立てを持ち、音楽的にも、基本的には技巧的でありつつも、それでいて耳に心地よい旋律や和声を主体に構成されていくようになります。実際、後期にいくほどモーツァルトの時代に先祖帰りしたかのような作風の作品さえ生み出されるようになっていきます。この一見退歩ともとれる転換により、刺激的な音楽を期待していた多くの聴衆や、前衛作曲家としての役割を担うことを期待していた音楽批評家を失望させることになったとしてもある意味無理からぬ所があります。
加えてシュトラウスは、現在非常な人気を獲得しているマーラーやブルックナーなどのように、自分自身の内面世界に忠実に、その精神の命ずるまま自由に作曲の筆を進めた作曲家たちと異なり、あくまで自分ではなく聴衆を楽しませることに自分の持てる技巧のすべてを費していた職人的な作曲家です。そう簡単に自身の内面の感情をさらけ出した作品は生み出さず、かわりに特定の文学作品や他人の書いた筋書きを下敷きにした描写音楽、加えて他人からの依頼に基づいて作曲された機会音楽 (祝典曲など) などを中心に作曲していました。実際、しばしば演奏されすでに高い評価を得ている管弦楽作品のほとんどが『エレクトラ』以前に書かれたものであることは非常に示唆的であり、その後唯一のライバルと互いに認め競い合っていた4歳年上のマーラーが1911年に死去するに及んで、同年初演された『ばらの騎士』以降、緊張の糸が途切れたかのように前衛的な作風からは距離を置いた作品を多く生み出して行くようになります。その後シュトラウス自身が音楽史の表舞台から姿を消すに及んで、その作品も、中には音楽史上無視しがたい作品も少なからず含まれていたにもかかわらず、大した脚光を浴びることもないまま現代にまで及んでいるというのが実情です。
(上記の点についてちょっと補足しますと、もともとシュトラウスは、場合によっては一曲ごとに曲調をがらりと変えて作曲することも珍しくない作曲家でしたから、時には保守的な内容の作品を (あたかも気分転換でも楽しむかのように) 書くということもままあったように思われます。『エレクトラ』にしても、確かに当時としては極めて斬新で革新的なオペラだったのですが、扱われているテーマ自体が過激だったわけですから、それを表現するためにあのような前衛的なスタイルが選ばれたのはむしろ必然だったとも言えます。同様に次作の『ばらの騎士』の擬古典的スタイルについても、むしろ『エレクトラ』でそのような過激さや血なま臭さを追求し尽くし、一種の飽和状態に達したからこそ成立し得た表現方法だったのではないか、という見方も出来るわけです。シュトラウスの作曲活動の変遷について語る時、そのようなちょっとした方向転換をしばしば繰り返していたことを勘案する必要があります。実際、その後のシュトラウスは、『エレクトラ』のような陰惨さに立ち帰ることこそなかったものの、それでも大編成を要する大胆な作風の音楽は、それ以降も実は何度か書いています。 (『ヨゼフ伝説』、『講和記念日』など。個人的には『パレルゴン』もここに加えていいと思います。) その時代の最先端の音楽から見れば、シュトラウスの過去を指向するかのような作曲姿勢は時に退歩と映ったかもしれませんが、逆にシュトラウスのスタンスから見れば、もともと前衛でいようなどという気は (若い頃を除けば) さらさらなかったわけであり、むしろ音楽史の潮流の方が勝手にシュトラウスの目指す方向性から離れていったのだ、という見方すら可能であるように思えます...少なくとも私達は、シュトラウスが絶えず変化していく時代におもねることなくその作曲姿勢を保持し続けたことに、むしろもっと感謝してもいい位なのではないでしょうか。 2005/4/4 追記。)
とは言え、当時ならまだいざ知らず、死後すでに50年以上経った現代においては、音楽的に最先端であったか否か、音楽史の発展において重要な貢献をもたらしたか否かというような批評家的基準を作品評価において気にする必要は全くなくなったと言っても過言ではないでしょう。 (もっともこのことは、そのような足枷にとらわれず、純粋にその作品自体が持つ芸術的、美的価値という観点から作品を再評価する必要性が逆に高まってきていることをも同時に意味します。) その良さを味わうには何度も何度も繰り返し聴かなければならない渋めの作品も多いとはいえ、昨今の CD や DVD 等の普及によって、この点をめぐる状況だけはここ数十年の間に劇的に改善されてきていると思います。シュトラウスは曲の美しさ、卓抜した描写力、超絶的な作曲技巧、更には音楽を聴く楽しさ,エンターテインメント性さえも作品の中で両立させた稀有な作曲家です。このページも、少しでもその音楽の魅力について皆さんに知っていただく一助となるならば幸いです。