1926〜27年2月14日完成.
1928年1月16日,ベルリン,指揮 Bruno Walter ,ピアノ独奏 Paul Wittgenstein
(同年3月11日,ウィーン, Franz Schalk 指揮 Wiener Philharmoniker と書いた資料もあり。)
Passacaglia の形式を取り入れた1楽章形式のピアノ協奏曲。短い導入部に間奏曲、長大なコーダを持ち、間の部分はおおまかに4つの部分に分けることができる。
曲は金管のファンファーレ (たった3小節!) によって厳かに開始される。続いてピアノソロの短いカデンツァをはさんでチェロとコントラバスのピチカートによる Passacaglia 主題 (4分の2拍子、8小節) がゆっくりと奏でられる。 ( Passacaglia 主題は単純な下降音形と、上下に跳躍しながら少しづつ上昇する音形とから構成されている。曲中ではこれが低音部によって何度も繰り返され、その上にオーケストラとピアノパートが次々と変奏曲を組み立てていく。)
Passacaglia 主題の提示に続いて変奏曲部分が始まる。変奏曲は、最初は低音楽器のみによって控え目に、 Passacaglia 主題に寄り添うように歌われ、変奏が進むに従って段階的に高音パートも付け加えられていく。第2部は3拍子に変わり、交響曲のスケルツォ楽章のように舞曲的な性格を持つ。緩徐部ではピアノソロにハープ、グロッケンシュピール、チェレスタなどが加わって夢想的なメロディーが歌われる。曲は再び熱を帯び、クライマックスを迎えたところで冒頭のファンファーレ主題が回帰して、ピアノソロの叙情的なカデンツァで始まる長い間奏曲が導入される。
コーダでは再び冒頭のファンファーレ主題が回帰し、行進曲のテンポとなって力強く全曲を締めくくる。
とある資料 ( "Reclams Lexikon der Antike" ) を引くと、 "Panathenaeen" の項目に以下のような説明がありました。多少直訳っぽいですが翻訳してみます。
Panathenaeen,
古代アテネの祭。伝説によれば Theseus の時代に、アテネの守護女神であった Athene の誕生を祝うために制定され、毎年7月の終わりに開催されていた。4年間のうち3年は Hekatonbaion の月 [今の7月後半〜8月前半の期間] の28〜29日に行われ、「小パンアテネ祭」と呼ばれていた。しかし紀元前 566/565 年の Hippokleides の執政官時代以降、この祭は4年に1回とりわけ盛大に祝われるようになった。この「大パンアテネ祭」は Hekatonbaion の21日から28日まで続けられた。これには芝居、競馬、音楽の競技会が含まれ、 Peisistratos 統治下においては更に叙事詩の吟唱会もこれに加えられた。競馬は Agora を横切ってパンアテネ通りの一角 ( Dipylon 門からアクロポリスまで) で開かれた。ペリクレース Perikles は音楽競技の規模を拡張し、そのための専用の劇場 Odeion を設立した。スポーツ競技の賞品はオリーブオイルの入った美しい Amphora で、そのうちの数個 (最も古いもので紀元前 570-560 年) が現存している。1等賞にはそのような Amphora が少なくとも140個は授与された。最終日には、祭はパンアテネ通りをパルテノンまで練り歩く華やかな行列によってその最高潮を迎えた。その際にはアテネの新しい布地であった Peplos が祭礼の光景 Kultbild に取り入れられた。この Peplos は高価な布地で、良家のアテネ子女によって編まれ、 Athene と巨人族との闘いの光景が刺繍されていた。時には生きた人物が刺繍に模写されることもあり、「 Peplos にふさわしい」とみなされることは女の子にとって大変な栄誉だった。布地は大きな Schiffswagen [山車?] に掲げられ、これに Arrephoroi と呼ばれた女の子たちが捧げ物のための道具を入れたかごを持って続き、以下、ジョッキを持った少年たちの一団、オリーブの枝を持った老人たち、車、そして最後尾には若い男たちによる騎馬隊が続いた。 (これらはみなパルテノン神殿の帯状彫刻 Fries に描写されている。) 祭は牡牛の犠牲 Hekatombe とともに終了し、その肉は人々の間で分配された。紀元前5世紀にはこの祭はアテネ市民にとって政治的権勢の誇示という役割も果たしていた。というのもその頃にはパンアテネ祭で祝われていた守護女神 [ Athene ] は、アテネのみならずアテネ - デロス海洋同盟 Attisch-Delischer Seebund の守護女神でもあったからである。その際、同盟参加都市の犠牲の担当分は布告によって規定されていた。 (pp. 461-462.)
シュトラウスがインスピレーションを得たのも、まさにこのパルテノン神殿上部に描かれた行列のレリーフからでした。
曲は『パレルゴン』と同様左手ピアニストの Paul Wittgenstein のために書かれた1楽章形式のピアノ協奏曲ですが、『パレルゴン』の初演評が必ずしも芳しくなかったにもかかわらず、 (しかも『パレルゴン』自体、すでに演奏者にとっては十分に技術的負担を強いる難曲であったにもかかわらず、) シュトラウスは Wittgenstein がその演奏技術をもっとフルに発揮できるようにと、自ら進んで彼のためにこの楽曲を書いています。とはいえこの曲は、少なくとも楽曲構成や性格においては、『パレルゴン』とは対照的と言ってもいいほどに大きく異なったものとなっています。
最初ピアノパートはあまり自己主張をせず、オーケストラと混然一体となってタイトル通りに練習曲のような旋律を弾き続けます。旋律線もどちらかというと明るめで朗らかなものが多く、『パレルゴン』の旋律に見られるような重々しさ、芯の強さ、感情の表出などはほとんど感じられません。その分コーダ直前に置かれた長い間奏曲は、逆にピアノソロが奏でるカデンツァの叙情性が引き立つ作りになっています。
とにかく『パレルゴン』の「剛」の性格に対して、この作品はあくまでも「柔」の性格によって特徴づけられているとは言えそうです。ある意味今日イージーリスニング音楽、癒し系音楽と呼ばれているジャンルの先駆け的作品と言えなくもないかもしれません。少なくとも、かつてないほどに音楽の持つ「癒し」や relaxation の効果について注目されている昨今、この曲の持つ控え目さ、叙情性についてはもう少し肯定的に評価されてもいいのではないかと思います。とにかく何度も繰り返し聴いてみれば、この曲のおとなしさ、素朴さが逆にクセになってくることだけは保証できます。
なお、 Passacaglia の形式を取り入れた曲としてはブラームスの第4交響曲のフィナーレがまず思い浮かびますが、曲の構成上はむしろ『ハイドンの主題による変奏曲』の方が近いかもしれません。少なくとも、これらの曲がたとえ無意識的にであれ作曲に影響を及ぼしていた可能性はあるかと思われます。というのも第4交響曲のマイニンゲンでの初演にはシュトラウスも出席していたそうですし、『ハイドンの〜』などの曲もシュトラウスは非常に高く評価していたそうですから。ある資料によると、ブラームスの器楽曲の中でシュトラウスが唯一高く評価していたのがこの『ハイドンの主題による変奏曲』だったのだそうです。
ちなみにこの曲のタイトルは、「パンアテーネーエンツーク」と読みます。 (多分。) 日本語では『パンアテネ行進曲』とも訳されていますが、実際に行進曲調になるのはコーダ部分だけですし、タイトルにある "-zug" の部分も、基本的には「行列、行進」の意味です。 (「行進曲」には "Marsch" という別の単語を使います。) なのでこの曲のタイトルも、「パンアテネ祭の行列」、もしくは「行進」、もしくは「パレード」とでも訳した方がまだ近いのではないかと思われます。