104年かかった標準化

松浦四郎


<標準化と品質菅理>の Vol.45.1992.10 に松浦先生が 92〜93p. にのせた文章を先生のご好意で転載させていただきます。ことし5月21日に岩手県二戸市であった田中舘愛橘四十年祭記念の NRKK 第43回二戸大会での先生のお話にもありましたが,”正しいことはいつかはみとめられる。ただしそのためには長い年月がかかるという”歴史の証明だろうと思います。

IS0 3602 のでぎたことを,ゆっくりかみしめていただきたいものです。



 標準化はもとより息の長い仕事であるが,ここに挙げる例は,1885年から1989年まで104年間の論争と曲折のすえ,やっと出来あがった規格である。

 それは国際規格 IS0 3602:1989 「日本語(カナ文字)のローマ字化」で,内容は日本語のカナ文字をローマ字書きするときのローマ字つづり方の標準化である。審議専門委員会は TC46 (Documentation) SC2, WG7で,国内委員会は情報科学技術協会,所管は文部省文化庁国語課。

 日本に初めてローマ字をもたらした人は,今から443年前の1549年(天文18年,KING OF ZIPANGU 信長の若いころ)スベインの宣教師ザビエル Xavier であって,そのローマ字つづり方は QVX を使ったポルトガル式であった。その後オランダ式のつづり方が蘭学者の間で盛んに用いられ,さらに1867年(慶応3年)になってアメリカ人ヘボン Hepburn が大きな”和英語林集成”を出版してから,英語のつづり方をまねしたヘボン式が現れたのである。

 明治の初めころ,漢字と仮名を廃止してローマ字だけを国字にしようとする民間の運動が起こり,いくつかの方式のローマ字つづり方が提唱され,それらの優劣をめぐって,いろいろ議論されたが,結局,英語におけるつづり方に従った「ヘボン式」と,日本語の性質に基づいた「日本式」の二つが最後に残った。そしてそれぞれの支持団体の間で激しい対立が続いたのである。

 ヘボン式は英語式とも言われ,sh ch tch ts j f などを所々に用いる不規則なもの。日本式は,1885年(明治18年)に東京大学の田中館愛橘が初めて提唱したもので,日木語の音韻租織を構成する五十音図の各行に,それぞれ1個のローマ字を当てがう(例えばカ行に,k,サ行に s,ザ行に z,タ行に t,ハ行に h など)規則正しいつづり方である。

 日本式ローマ字つづり方は1920年から1940年にかけて,世界の多くの言語学者・音声学者からの賛成を得ることができた。文部省で英語教育を指導したイギリス人の言語学顧問 H.E.Palmer,ロンドン大学教授で万国音声学協会長の Daniel Jones,コペンハーゲン大学教授で世界的言語学者 Otto Jespersen, ウイーン大学教授 N.Trubetzkoy を初めとして,イギリス,フランス,ドイツ,オランダ,スぺイン,ロシア,アメリカなどの著名な言語学者約20人から,日本式つづり方を強く支持する論文・書簡が田中舘博士に寄せられている。

 これら優れた世界的言語学者が日本式つづり方に賛成した根拠は,日本式がこの世紀の初めころ発見された phoneme(音素)と,それを国語の表記に適用した phonology(音韻学)の理論を実際におこなった”模.範的実例”である,と認められたからである。ここに,音素とは言葉の意味の区別を来たさない幾つかの似寄り音のグループ(例えば si 音 と shi 音)の意であり,音韻学の原理とは,国語を表記する場合に,1音に1字を当てがうのではなく,1音素に1字を当てがう(例えばサ行にS,タ行に t)やりかたである。

 だから ”ヘボン式で音声学上 ta chi tsu と書いて良い所を日本式で ta ti tu と書くのが音韻学上正しい。日本式は,国民が発音におのずと出すある音声の変形を書き入れないことによって,動詞の変化,自動詞他動詞の関係,清音濁音の関係などを甚だ簡単に表している”と Jespersen は指摘する(1933年)。この phono1ogy の理論がヨーロッパ で確立されるよりもずっと前(1885年)に日本ですでに実行されていたことは大きな驚きとされている。

 さて,文部省は日本式が世界の学者に賞賛されているこの情勢を重く見て,昭和5年に臨時ロ−マ字調査会を設立してローマ字つづり方の標準化に着手した。調査会の官制によると会長は文部大臣で,委員には日本式論者,ヘボン式論者及び中立の委員が任ぜられ,5年半の長期にわたって激しい論争が展開された。すなわち会議を開くこと39回,委員・臨時委員に任ぜられた者延ベ125人,会議の時間合計96時間,議事録は約65万字に及ぶ,実に大がかりな審議であった。

 その結果1937年(昭和12年)に日本式を少し手直し(ダ行)したつづり方が決まり,内閣訓令第3号として定められ,日本の官庁は漸次これに従うことになった。この標準化されたつづり方は「訓令式」といわれるもので,田中舘博士が初めて提唱した1885年から実に52年もかかったのである。

 その後太平洋戦争に敗れた日本は,アメリカ軍を主力とする進駐軍に占領された。そしてヘボン式つづり方を強制しようとする GHQ からの強い圧力をかけられた文部省は昭和23年に,またまたローマ字調査会を設けて調査を行い,その結果を1954年(昭和29年)内閣告示第1号として公布した。その内容は,さきの訓令式つづり方を第1表として掲げ,その次にヘボン式を第2表として掲げ,それには次のような条件が付けてある。

“国際的関係その他従来の慣例をにわかに改め難い事情にある場合に限り,第2表に掲げたつづり方によってもさしつかえない。” 条件付きとはいえ結局「訓令式」と「ヘボン式」
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ISO 3602 抜粋
a i u e o ya yu yo
sa si su se so sya syu syo
za zi zu ze zo zya zyu zyo
ta ti tu te to tya tyu tyo
da zi zu de do zya zyu zyo
ha hi hu he ho hya hyu hyo
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の両方を認めたことになった。つまり double standard(二重規格)である。こうなると,さきの昭和12年の訓令による漂準化は,わずか17年後に廃止されて,明治・大正時代の混乱に逆もどりすることになった。.”従来の慣例を改め難い場合”などと考えていては,とても標準化はできない。

 とにかく内閣告示によってヘボン式は認められたが,小学校でのローマ字教育は依然として訓令式のほうが優勢であった。また,第2表としていわば例外的に認められたに過ぎない状態を不満としたアメリカの人たちは,こんどはイギリスを抱きこんで ISO に働きかけ,訓令式を排除してヘボン式だけを国際規格に採用させようと狂奔した。

 しかし ISO TC46 における各国の専門家による周到な審議の末に,日本語を書くためのローマ字つづり方は日本語の性質に合致したものが適当であるとの結論に達し,ヘボン式を排除して完全な訓令式だけの国際規格が1989年に成立しれ。すなわち1885年田中館愛橘が標準化しようと提唱したローマ字つづり方が104年後にようやく国際標準となったので ある。

 田中館博士は,またメートル法による計量単位の世界的標準化に努力した。彼は1907年(明治40年)東洋人として初めて国際度量衡委員となり,以来1931年まで24年間にわたって,ほぼ1年おきにパリに赴いて委員会に出席しメートル法の世界的普及のため働いてきた。

 わが国は1886年(明治19年,日本式ローマ字の生れた翌年)にメートル法条約に加盟したが,国粋主義者らによる反対が強くてメートル法を実施するようになった1959年(昭和34年)までに,73年を要したことになる。これまた息の長い標準化であった。

 アメリカは世界中の国々がメートル化しているのに,いまだにヤード・ポンドで頑張っている。他国のローマ字つづり方に干渉するより,自国の計量単位の国際的標準化への非協力を反省すべきだ。 (法政大学名誉教授)


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