任栄哲先生公開講演会

「韓国人からみた日本語」

韓国中央大学副教授の任栄哲(イム・ヨンチョル)氏

大阪樟蔭女子大学円形ホール(1997年3月5日)


☆『日本語研究センター報告』第4号に掲載されたものを転載した。

 以下は、1997年3月6日水曜日の午後3時から5時にかけて、大阪樟蔭女子大学円形ホールで、大韓民国中央大学校副教授任栄哲(イム ヨンチョル)氏によっておこなわれた、公開講演会「韓国人から見た日本語」の記録である。

任氏は、1984年から日本に留学され、1990年に大阪大学にて学術博士を取得、現在、大韓民国中央大学校副教授として活躍しておられる。日本語研究センターの共同研究員でもある。著書として、『在日・在米韓国人および韓国人の言語生活の実態』(1993年、くろしお出版)がある。これは、アメリカ、日本に在住する韓国人と、(韓国に在住する)韓国人の3者を、社会言語学的観点から調査、比較したものである。

講演会では、前半に、韓国における「日本語」の歴史について、そして、後半に、上記の調査結果をもとに、韓国人の抱いている日本語に対するイメージについて、お話しいただいた。この記録は、任氏自身が作成された読み上げ原稿を提供していただき、掲載にあたって、田原が当日のハンドアウトの内容を盛り込みつつ、見やすい形にした。


1997.3.5(水)

韓国人から見た日本語

大阪樟蔭女子大学日本語研究センター共同研究員

中央大学校副教授 任 栄 哲

ただ今、ご紹介いただいた韓国の中央大学の任でございます。本日は、この大阪樟蔭女子大学でお話をする機会をお与え下さり、光栄の至りに存じます。
まず、お話に入る前に前もって、断っておきたいことがあります。それは私の母国語である韓国語からの言語的干渉のことです。まず、わたしの発音に関することですが、たとえば、よその国の意味のガイコクという発音が「カイコク」になってしまう、いわゆる濁音と清音の区別がつかない場合が多いかと存じます。もちろん、このような特徴は普遍的に韓国人によくみられる傾向として、その理由は韓国語はことばのはじめの部分つまり語頭には濁音がこないということから、影響されて起こる言語現象です。そして、長音を短く発音してしまったり、短音を延ばして発音してしまったり、さらにはアクセントとかイントネーションのことなど、いろいろとおかしくて、耳ざわりの日本語が聞こえて来ることかと存じますが、ご勘弁願いたいと思います。
では、本日の演題の「韓国人から見た日本語」の方に入らせていただきます。近年、日本経済の発展に伴い、国際的に日本への関心が高まり、全世界で日本語を学ぶ日本語の学習者の数が急速に増えつつあります。もちろん、隣の国の韓国もその例外ではなく、日本語教育に関しては世界で最も盛んな国の一つで、たとえとしては悪いかも知れませんが、お相撲さんの番付にたとえますと、東の横綱「韓国」と言えるかと存じます。しかしながら、皆さんが、毎日、空気かお水のように使っていらっしゃる日本語という言語は、韓国人にとっては、かつては強制的に学ばなければならなかった言語で、民族のことばである韓国語にとって替わって、日本語が一時は「国語」とされたこともあった言語でもあります。
そこで本日は、韓国における日本語の歴史がどうであったかということと、学校や社会の中での日本語教育の現状、そして韓国人がいだいている日本語に対するイメージ、要するに「好きか嫌いか」、「柔らかく感じるのかどうか」、さらには歴史的にも複雑ないきさつのある日本語を、なぜ韓国人は学ぼうとしているのか、また学んでいるのか、その辺のことについて、簡略に皆さんのお耳に入れて、ご批判をいただければと、思っております。どうぞ、よろしくお願い致します。
では、皆さんのお手元のレジュメをご覧下さい。日本語教育の歴史について、五つの時期に時代分けして、簡略にご説明申し上げたいと思います。

1.韓国における日本語教育の歴史と位置づけ

1.1「外国語」教育期(1905年以前)
1414年 司訳院傘下 倭館
1891年 官立日語学堂 岡倉由三郎

まず、1.1の「外国語教育期」からですが、当時の朝鮮李氏王朝は、1414年以来、翻訳とか通訳を担当する役所の司訳院の傘下に倭の学生をおきまして、そして、主に釜山などのような港に「倭館」を開設しました。しかし、倭学生というのは、まったく外交上の事務の必要性のために設けられた官職のようなものでありまして、この「倭舘」において本格的な日本語教育が行われたとは、とてもではないけど無理な話で、韓国において正式の日本語教育が実施されるようになったのは、いまから約100年前の1891年5月で、岡倉由三郎氏をお招きして当時の漢城、現在のソウルですが、そのソウルに設立された官立日語学堂をもって、その始まりであると言われております。

1.2「第二国語」教育期(1906-1910)
1906年 朝鮮総督府設置 伊藤博文の模範教育 内鮮一体

そして、第2期の「第二国語教育期」に入らせていただきますが、日露戦争が終った直後の1905年の11月に、韓国と日本の間で締結された「第二次韓日協約」によって韓国(その当時の国の正式名は大韓帝国でした)は、非常に残念ながら、日本の保護をうける国となってしまいます。それから、翌年の1906年の2月には、植民地を支配・統治する朝鮮総督府が設置され、当時の伊藤博文総督の指揮の下で、いわゆる「模範教育」が推進されますが、この模範教育の核心をなす手段とされたのが、ほかならぬ「日本語」教育でした。
したがって、この時期になると、もはや日本語は、韓国の「第二国語」の地位を固めたといってもよいでしょう。そして、このような模範教育は、韓国と日本が一つの国となった「韓日併合」、皆さんのご理解のため「日韓併合」という用語を使いますが、その「日韓併合」のあと、日本語が韓国語のかわりに「国語」となり、その日本語によって、内地の日本と外地の朝鮮を一つにしようとする「内鮮一体」の同化教育が進められるにあたっての基礎を固める下地となったのです。もちろん、このような日本語教育のあり方に対して、韓国人は激しい反発と拒否反応を示したことは言うまでもありません。ちなみに、朝鮮総督府の建物は去年完全に撤去され、その跡形も残っていません。

1.3「国語」教育期(1910-1945)
1938年 新教育令の制定 忠良ナル臣民 皇民化教育
1939年 創氏改名

次に、第3期の「国語教育期」に入らせていただきたいと思います。先程も申しましたように1910年8月22日の韓国と日本の「日韓併合」は、同時に、日本語の国語化を意味しました。以後、1945年8月15日の終戦、韓国では解放と言いますが、日本から解放されるまでの35年間は、韓国における日本語教育は、「国語である日本語」の普及であったと言っても過言ではありません。つまり日本語を常用することこそが、大日本帝国の「忠良なる」皇国臣民としての資質を高める道だとして、究極的には韓国社会から韓国語を追放しようとまで思い詰めるに至るのであります。
たとえば、当時、日本語を使わずに、韓国語を使った場合は、罰金、体罰が加えられ、時には学校から追い出される停学処分まで受ける場合もあったと伝えられています。そしてこのような「内鮮一体」の皇民化言語政策の目標は、民族の魂を奪いとってしまい、さらには民族語としての韓国語を抹殺することにあったわけです。不幸なことに、このような皇民化教育は、一部の韓国人の考え方まで日本流に変えるという悲劇的な結果をもたらしてしまいました。
その証拠として、現在60才以上の韓国人で、植民地時代に教育を受けた人の場合、たとえば、数を数える時とか、暗算をする時などに、つい日本語でしてしまうとか、文章を書く時に、無意識のうちに、まず日本語で発想をし、それを韓国語に移しかえるといった現象が見られます。また、韓国も最近カラオケ・ブームと言いましょうか、非常にカラオケが繁盛しておりますが、そのカラオケなどへ行くと、歌を歌う時も日本の軍歌を歌うとか、昔の植民地時代はこうこうだったよといって、懐かしく思う深層心理的な作用が見られます。ちなみに、日本人が韓国文化に接して、または韓国を訪れて日本と実に似ている、いや全く同じだと感じるものの多くは、日本人が、かつて韓国に強制的に持ち込んだものが少なくありません。
では、ここでちょっと、脇道にそれますが、韓国語抹殺の言語政策とともに「内鮮一体」の同化政策のもう一つの不気味な顔であった「創氏改名」ついて、ついでながら申しあげておきたいと思います。その創氏改名は、皆さんもご存じであろうと思いますが、1939年から1945年の日本の敗戦まで、約7年間にかけて実施されたわけですが、それは日本から持ち込まれた「氏(うじ)」の制度が、韓国伝来の「姓」の制度と衝突を起こし、韓国社会に激しい摩擦を引き起こしたものであります。

@韓国姓の上または下に一字を加え、複字姓にしたもの
田→福田、辺→渡辺、林→大林、張→張本、高→高橋
A本貫あるいは出身地の地名の全部または一部を取り入れたもの
李→光山、申→平山、清州韓氏→清原
B祖先の由緒縁起によるもの
全州李氏→国本、宮本
C韓国姓の扁、旁を分解あるいは除去したもの、逆に扁、旁、冠を加えたもの
黄→横山、張→弓長、呂→宮田
D韓国姓そのものを日本音に読み替えて用いたもの
林、桂、柳、南

では、その当時、創氏改名による新しい名字がいかにして作られたのか、そのメカニズムのことを少し申し述べてから4番目の「日本語撲滅期」に入らせていただきたいと存じます。レジュメをご覧いただければ、おわかりいただけると思いますが、まず@は、韓国姓の上または下に一字を加え、複字姓にしたもので、たとえば、「田」という名字をもっていらっしゃる方の場合は、元々の自分の姓に「福」という字を加えて「福田」さんにするという方法です。ほかの例としては「邊さんが渡邊さん」、「林さんが大林さん」、「張さんが張本さん」、「高さんが高橋さん」などがあります。次にAは、自分の本貫、あるいは出身地の地名の全部または一字を取り入れたものですが、例えば、自分の本貫が「光山」である李さんが光山にする、といったものです。Bは、先祖の由緒縁起によるもので、「全州李氏」の場合、「国本さん、あるいは宮本さん」にするというものです。これは、李氏朝鮮王朝という「国」を建てたのがこの全州李氏で、国の本であるとか王宮の本であるという意味からです。Cは、韓国の姓の扁、旁を分解あるいは除去したもの、あるいは逆に扁、旁、冠を加えたものです。黄さんの場合は木扁を加えて「横山さん」にする、張さんの場合は弓扁を分解して「弓長さん」にする、呂さんはうかんむりを被せて「宮田さん」にする、といった具合です。最後のDは、朝鮮姓そのものを日本音に読み替えて用いるもので、「林、桂、柳、南」などがあります。
日本民芸運動の指導者としてよく知られている柳宗悦「やなぎ むねよし」という方がいらっしゃいますが、柳という名字は韓国にもありますので、私は、留学した当初、「やなぎむねよし」さんという方は、韓国人であると思いこんでいました。また、私自身のことなんですが、ある病院の窓口で「ニンエイさん、ニンエイさん」(任栄+哲)と日本語読みに呼ばれたことがありました。
ここまで、創氏改名について述べて来たことを、簡単にまとめて見ますと、自分の祖先伝来の姓や本貫を取り入れながら、形の上では日本の氏名となるべく近似するように心を砕いたあとが見えて来ます。そして創氏改名において、韓国人がいろいろと奇抜な名前を付けて、遠回しに抵抗の意を表したという話が広く語られていますが、その中から、有名な話を二、三紹介したいと思います。
韓国の民謡・童話・詩などを、流暢な日本語に翻訳して日本に紹介し、日本でもよく知られている人物として、金素雲という方がいらっしゃいますが、その金素雲さんは、耽美主義文学運動を起こした詩人兼歌人の北原白秋に教えを受けた有名な文芸家で、自分の名前を鉄甚平(てつ じんぺい)に創氏改名したと言われております。ところがその「てつ じんぺい」という名前には深い意味が込められています。どういう意味が込められているかというと、「金、つまり自分の名字であるキムを失ったとしても甚だ平気である」という、からかいの念が込められていたというのです。また、「南」という名字にからんだ話には、当時の「南次郎」朝鮮総督の上を行くつもりだったのか「南太郎」と創氏改名したいと申し出て、当局からたしなめられたという笑い話も伝わっております。
一つの民族を他民族と区別する指標としては、いろいろなものがあると言われています。しかし、最も基本的な指標は言語の共通性であります。世界には3000とか5000とかいう言語があると言われておりますが、固有の文字を備えている言語はそう多くありません。韓国語は、固有の文字であるハングル文字を持っています。日本は植民地支配の期間を通じて韓国語を抹殺して、日本語を国語と強制し、創氏改名を通して日本化(=同化)を成し遂げようとしたのです。
1.4 日本語撲滅期(1945-1960)
1948『ウリマル ドロチャッキ(韓国語収復)』 韓国語の醇化運動では、ふたたび話を元に戻しまして、4番目の「日本語撲滅期」に入るわけですが、この時期は反日が最大の国是とされ、日本語教育など思いもよらなかった時期です。1948年6月、当時の文教部、日本の文部省にあたる政府の機関ですが、その文教部によって『ウリマル ドロチャッキ(韓国語の収復)』という本が発行され、植民地時代の残りかす(残滓)としての日本語を徹底的に排除し、自分の民族の言葉を回復しようとする韓国語の醇化運動が、官民一体となって展開された時期です。この韓国語の醇化運動は、いまもなお続いております。

1.5「第二外国語」教育期(1961-現在)
1961年 韓国外国語大学に「日本語科」設立
1962年 国際大学に「日語日文学科」設立
1965年 韓日国交正常化
1972年 朴正煕大統領の門戸開放政策により、高校の第二外国語として、独仏中西4カ国語に「日本語」が追加される

最後の、第5期の「第二外国語教育期」になりますが、1961年朴正煕大統領政権の登場とほぼ時を同じくして、韓国外国語大学に「日本語科」が開設されます。続いて1年遅れて、翌年の1962年に国際大学に「日語日文学科」が開設されました。これは韓国において日本語教育が16年ぶりに、再び表舞台へ登場した事件ですが、その波及効果は本当に微々たるものであり、本格的な日本語教育の再開は、1965年12月の韓日・日韓国交正常化を待たねばなりませんでした。
韓国と日本との国交正常化は、日本の経済的・文化的韓国進出の再開でもあり、日本語教育は、経済的な要求に応ずるという形で再開されたのです。1972年、当時の大統領であった朴正煕大統領が、文化的な面でも、日本に対して門戸を開放しなければならないという「対日門戸開放政策」をとりますが、その政策の一環として、それまで独語、仏語、 中国語、 西語の4カ国語であった高等学校の第二外国語の科目に「日本語」を追加させたということです。しかし、この措置に対しては、日本に文化的に再植民地化されるのではないかという懸念の声と、非難が非常に高く、朴大統領自らの説得が必要になってきました。朴正煕大統領の談話を紹介します。
「過去の韓日関係の故に日本語を忌避する傾向があるが、精神さえしっかりしていれば、日本語を学んだからといって日本人になるものではない。したがって、民族の主体性および闊達な大国民の度量が必要である」云々。
となっており、敢えて国民の説得に当たらねばならなかったことが、その間の事情を端的に示していると思われます。ちなみに、朴大統領は植民地時代の日本の陸軍士官学校の出身です。


2.韓国における日本語教育の現状

2.1 高等学校

ここまでは、主に日本語の韓国における位置を五つの時期に分けて述べて来ました。では、次は、2の「韓国における日本語教育の現状」に入らせていただきます。

表1 高校における第二外国語学習者数

日本語 独 語 仏 語 中国語 スペイン語
人文系
(%)
324,750
(27.8)
504,767
(43.2)
288,373
(24.6)
42,312
( 3.6)
9,103
( 0.8)
1,169,305
(100/67.2
実業系
(%)
481,487
(84.5)
39,414
( 6.9)
28,363
( 4.9)
19,140
( 3.5)
1,263
( 0.2)
569,667
(100/32.8

(%)
806,237
(46.4)
544,181
(31.3)
316,736
(18.2)
61,452
( 3.5)
10,366
( 0.6)
1,738,972
(100.0)

(『教育統計年報』1993より任が作表)

表1の高校における第二外国語学習者数をご覧下さい。ご覧いただければ、おわかりになると思いますが、人文系と実業系とに分かれています。人文系ではドイツ語の選択が最も多く、ドイツ語に次いで日本語が2番目です。しかし、実業系ではかなりの差があって、トップを日本語が占めています。これはなぜでしょうか。多分、社会に進出してからの就職に対する期待感とか、企業などで望む即戦力だとか、韓国の産業構造の日本依存など、要するに、経済的ニーズに答えるため、日本語を選択する学校が多くなっているのだと思います。そして、人文系と実業系を合わせた全体から、韓国の高校における第二外国語学習者の数をみると、日本語がドイツ語、フランス語を大きく引き離し、半分近くを占めて、断然トップであるということが一目でおわかりいただけると思います。

表2 高等学校における日本語科目開設校数(地域別)

地域 ソウル 京畿道 江原道 忠清道 全羅道 慶尚道 済州道

119
(13.5
189
(21.5
54
( 6.1
73
( 8.4
122
(13.8
304
(34.7
17
(2.0)
878
(100)

(『韓国の日本語教育実態』1994)

次に、表2の高等学校における日本語科目の開設学校数を、地域別にみてみますと、韓国の全国の人口の割合などを考えあわせても、慶尚道に偏り過ぎているという感じがします。慶尚道とか全羅道とか、韓国の地名がおわかりにならない方が多いかと存じますが、レジュメの図3をご覧ください。慶尚道はDです。地理的に日本に最も近いところです。後ほど、3.4「日本語のイメージ」のところでも述べますが、ここで韓国の地域名をご参考までに説明させていただきます。
@がソウルで韓国の首都です。1千2百万人が住んでいる大都会で、関空から飛行機で1時間半で行けます。ソウルをとり囲んでいる地域がAの京畿道です。その東の隣りが江原道で、Bです。Cが忠清道、Dが慶尚道で、暗殺された朴正煕元大統領をはじめ、現在、収監の身となっている全斗換元大統領、および盧テウ前大統領、そして金泳三現大統領の出身地が、このDの慶尚道で、偉い人の最も多い地域です。Eは全羅道で、なんとなく対抗意識の強い地域で、日本で拉致され、一時、韓国と日本の間で微妙な外交問題になってた金大中氏の地元です。最後に、済州道は韓国の最南端にある島で、Fです。
話がやや横道にそれましたが、ちなみに、韓国の高等学校の数は、約1850校くらいあると言われていますが、そのうちの878校で日本語が選択されています。つまりこのことは、半分近くの47%の高校で日本語が教えられているということと、そのうちの35%を慶尚道がカバーしているということです。このような地域差は、よくわからないので、はっきりとは言えませんが、後ほど申し上げる韓国人の日本語に対するイメージの形成などにも、なんらかの形で影響を及ぼしているのではないかと思っております。

2.2 大学校

表3 大学校における日本語科目開設校数(教育機関別)

総 数 開設校 学 科 学生数
専門大学
大学校
大学院
128
142
50
60
36
74
65
36
38,611
11,579

(『韓国の日本語教育実態』1994)

さて、高校に次いで、大学での現状はどうなっているでしょうか。それを表3から見てみたいと思います。専門大学128校のうち50校と、142の大学のうち60の大学に日本語関係の専攻学科が開設されています。そして約5万人の大学生が日本語を専攻しているということです。正確な統計資料は持っていませんが、一般教養科目として日本語を選択し、日本語を習っている大学生数は、85,189人くらいであると推定されています。最近の大学における第二外国語教育の動向として、日本語を選択する学生は毎年増えていますが、一昔前の花ざかりのドイツ語とフランス語の方はどんどん減って行く傾向が見られ、私が悪いわけではないのですが、ドイツ語科とフランス語科の先生には申し訳無く思っている次第でございます。英語と日本語だけを勉強して、押し寄せてくる国際化社会の波にうまく乗っていけるんでしょうか。必ずしもそうではないと思います。もっとバランスのとれた外国語教育にならないといけないと思う次第でございます。
2.3 大衆媒体

次に、2.3の「大衆媒体」のことについて簡単に、その現状だけご報告申しあげますと、ラジオとテレビでは日本語講座の時間が、ちゃんと設けられていて、毎日定期的に放送されています。新聞には、1994年4月から衛星放送の番組案内と、英語コーナーと並んで、日本語コーナーが設けられており、毎日全国津々浦々、至るところで紹介されています。ちなみに、日本の衛星放送のパラボラアンテナの普及台数は、1995年現在、約66万台であると推定されています。
ところで、いままでご報告申し上げたテレビやラジオ、衛星放送と新聞などの以外に、町の私設の日本語学院(塾)、それから会社での社内集合教育とか委託教育、大手企業の研修院などでの集中教育、また通信教育等も非常に活発に行われています。そして見逃せないこととして、生涯教育の掛け声が盛んになる中で、一般市民を対象とした新聞社などのカルチャー・センター、あるいは大学付設の短期間の語学センターの公開講座にも、結構多数の人々が集まっていることがあげられます。
以上、主に教育機関を中心に、韓国における日本語教育の現状について申しましたが、ここで少し、これまでの話をまとめておきましょう。韓国における日本語教育が正式に学校教育として実施されたのは1961年からのことです。このようにみてきますと、韓国における日本語教育は、わずか35、6年間の歴史しか持っていません。他の学問分野に比べると、ほんとうに短い期間ですが、しかし、量的にも質的にも他の分野に引けを取らぬほど急成長しているということは、間違いのない事実です。

3.韓国人の日本語に関するイメージ

いままで見て来たように、日本語という言語は、韓国人にとって思えば不思議な歴史的ないきさつを持っている言語であるとともに、今日、かなりの学習者がいるということが見えて来ました。では、このような複雑な歴史をもっている日本語に対して、韓国人は果して、どのようなイメージをいだいているのでしょうか。その辺のことについて韓国人の日本語に関するイメージから見てみたいと思います。あらかじめお断りしておきたいのですが、話の内容は、主に、私がおこなった調査結果に基づいて述べることに致します。

表4 外国語といったら(国別)

英 語 日本語 仏 語 中国語 独 語 露 語 韓国語
韓 国
日 本
93.0
94.9
76.0
.
36.0
74.8
31.6
20.5
29.4
66.3
.
6.0
.
0.8

図1 外国語といったら(年齢別)

(『在日・在米韓国人および韓国人の言語生活の実態』1993)

3.1 外国語といったら

はじめに韓国人と日本人の外国語に対する意識を調べるために、外国語という言葉を聞いたとき、どんな言語が頭の中に思い浮かんでくるかについて、たずねてみました。その結果が表4と、図1です。
まず、表4の国別の比較ですが、韓国の結果から見ますと、韓国人にとって日本語という言語は、トップの英語の次に思い浮かぶ「外国語」であることがはっきりとわかります。次は、日本人の結果ですが、日本人がいかに西欧のことばに向いているかがよく分かります。やや寂しくて皆さんには、お見せしたくない統計的な数字ですが、韓国語を思い浮かべる日本人の割合をみますと、なんと0.8%以下で、最も近い隣の国である韓国語を思い浮かべる日本人はほとんどいないというのが現状のようです。
つまり、このことは、日本人は韓国語に目もくれないのに、韓国人は日本語、日本語といってひたずら片思いをしているということであり、日本語という言語は韓国人の意識の上にちゃんとのぼっているということでしょう。これでは、とてもじゃないけれど、太刀打ちできない、一人相撲みたいな、一方的な関係にあることがはっきりと浮かび上がってきました。
この結果は、言うまでもなく「言語の経済力」と関係あることで、致し方のない厳しい状況で、韓国人は現実を沈着冷静に受け止めて、頑張らなくてはならないと思います。やはり、韓国が一日も早く日本と堂々と肩を並べるような経済大国にならないと解決策は見えてこないと思います。はたしてそのような見込みはあるのでしょうか。そして、日本の経済はいついつまでも永遠に繁栄し続けるんでしょうか。関連して、日本人の欧米指向の裏腹になっている韓国語に対する先入観ですが、日本では年令があがるにつれて、欧米語は文化的な香りの高い、あざやかで、すばらしい言葉であると思っている人が多い反面、韓国語というとどことなく暗く、さえない言葉というイメージを持たされているようです。
次に、韓国の年齢別の結果を表した図1から読みとれることですが、英語はどの年代でも9割前後の高い割合になっています。日本語は10代だけが低いんですが、20代以降60代までは、ほぼ同じ割合で、しかもかなり高い割合です。このような結果に対して、フロアーにいらっしゃる方の中には、内心目を細くする方もいらっしゃるかと思います。
中国語は10代から20代、20代から30代へと年代が進むにつれて、割合が増えて行く右上がりのパターンであるのに対して、ドイツ語とフランス語はその逆で、年代が進むにつれて減って行く右下がりのパターンであります。つまり、中国語は老年層に、ドイツ語とフランス語は若年層に多いんですが、これはいろんなことを示唆してくれる興味深い結果であると思います。ちなみに、1992年8月24日の韓国と中国との外交関係樹立以降、中国語の学習者は着実に伸びています。

3.2 日本人・日本語との接触

次は、日本人・日本語との接触ですが、正確な統計は持っていませんので、よくわからないんですが、約100万人くらいの韓国人が毎年日本を訪れています。それに対して、約130万人前後の日本人が韓国を旅先として選んでいます。つまり、このことは、日本人や日本語との接触がかなり頻繁に行われているということの証で、相互理解のためにも望ましい傾向であると思います。

3.3 日本語の学習経験・日本語能力

それから「日本語の学習経験・日本語能力」のことですが、学習期間の長短に関係無く、おおざっぱに日本語学習経験者を見ますと、約4割の人々が日本語を学習した経験があると答えています。とにかく日本語の学習者が多いということで、これもまた否めない事実であります。さらに肝心なことは、かなりの人々が日本語ができると自己評価しているということです。確かに韓国語と日本語は、文法の面、語彙の面、漢字など、いろんな面で、非常に類似点の多い言語であることは間違いありません。
でも、韓国人にとって日本語はやっぱり外国語ですから、韓国人が日本語を覚えるということは、朝飯前みたいな、そう簡単なものではありません。やっぱり骨折るわけなんですね。しかし、私の短い経験と印象から言わせてもらえば、一般的に、多くの他の言語に比べて、日本語は韓国人にとって、総体的に易しい言語であるということは間違いありません。その証拠が、現在、みなさんの目の前にいるわけで、日本語が習得しがたい、難しい言語であったとしたら、私なんかはとてもじゃないけど、習得できなかったと思っております。

3.4 日本語のイメージ
・ことばのイメージ(マクロ的およびミクロ的ことばのイメージ)
・日本語(個人差、男女差、地域差)

・「好き」の地域差:江原道・全羅道<ソウル・京畿道・忠清道<済州道・慶尚道

・「嫌い」の地域差:江原道・全羅道>ソウル・京畿道・忠清道>済州道・慶尚道

・日本語は軽快でやや柔らかく感じるが、好きではない
次は、日本語のイメージに入らせていただきますが、日韓両国の間で行われた社会調査の中には、韓国と日本の両国民に対するイメージ、好きだとか嫌いだとか、感情的だとか合理的だとか、いろいろと異民族に対する好悪、要するに好き嫌いに関する調査研究が数多くあります。また、韓国語と日本語の両言語の比較・対照研究も数多くなされています。しかし、両言語のイメージに関する科学的・計量的な本格的調査研究は、いままでほとんどありませんでした。
そこで、私は研究の必要性を10年ほど前から感じて、方言のイメージなどことばのイメージの評価によく用いられる、ほぼ対義語・反対となる評定語をペアにしたものを用いて、「日本語に対してどのようなイメージを持っているか」について調べてみました。このような外国語に対するイメージを、私は本当に自分勝手に「マクロ的(巨視)ことばのイメージ」であると名付けております。
それに対して、どこそこの方言はきたないとか、きれいだとか、きどっているように聞こえるとか、あるいは、皆さんがお使いになっていらしゃる関西弁は柔らかいとか、方言コンプレックスをもっていると言われている東北地方のズーズ弁は、聞き取りにくいとか、などと言われておりますが、このように一つの単一の言語のなかの方言に対するイメージを私は「ミクロ(微視)的ことばのイメージ」であると、名付けております。この用語はまだ学問的に検証されたわけではありません。のちほど教えて下さい。
ところが、言語のイメージの調査のために、一口に簡単に片付けて「日本語に関する」イメージと軽々にいっておりますが、人間千差万別ですから、人による個人差もあり、また、男女差もはたらくわけでありますし、日本全国にはいろいろな方言を使っている人がいて、各地域の方言による地域差などもありますので、よっぽどつかみにくいんですが、やや漠然とはしていますが、いっしょくたにして、一般的な日本語に対して、どのようなイメージを持っているかを、調べてみることにしました。
まずはじめに、図2から、韓国人の日本語に対するイメージの全体をみると,プラスの評価では、「柔らかい」が33.2%で最も多く、以下、「軽快」が30.1%、「聞きやすい」が26.0%、次いで、好き、能率的、きれいの順になっております。これに対して、マイナス評価では、「聞きにくい」が34.5%で、以下、「嫌い」が33.5%、「汚い」が31.9%、堅い、重苦しい、非能率的の順になっており、全体的にマイナスの評価が多いということがわかります。しかし、「軽快」の割合を見ると、これとペアになる「重苦しい」をかなり上回っています。一方「嫌い」と「汚い」は、これとペアになる「好き」と「きれい」を、それぞれ13.6%と、15.3%上回っていますが、この点は注目されます。

図2 日本語のイメージ(全体)

イメージの評定語に関する、細かい話を一々している時間はないことが歴然として来ましたので、残念ですが、やや話をはしょって、「好きか嫌いか」という評定語だけに焦点を当てて、少しお話ししてみようかと思います。
どこの国の人達にも、好きな外国語や学びたい外国語、話したい外国語があります。たとえば、ある特定の言語に対する態度と偏見は、その言語の実用性・その言語の国際性・その言語の文化的な背景に基づいていると言われています。また好意をもたれている国と、文化大国の言語の学習者は多く、学習の効果も高いと言われております。そのような問題意識のもとで、韓国人の日本語に対する「好き−嫌い」をみますと、先程も図2から申し述べましたように、「嫌い」が「好き」を13.6%も上回っており,日本語を「嫌い」だと思っている人がかなり多いことがうかがえます。
話がやや堅くなりますが、属性別に、その特徴だけを見て見ましょう。年齢別では,年代が10代から20代、20代から30代へと、進むにつれて「好き」の割合が徐々に増えて行きますが、逆に「嫌い」の割合は、段々と減っていく傾向がみられました。なお、「好き」は高年層の60代で、「嫌い」は10代で、その割合がもっとも高いようです。その中でも、特に、60代では「嫌い」よりも「好き」の割合が高くなっています。
つまり、年代が進むにつれてプラス評価が増え,マイナス評価が減って行く傾向が見られました。しかし、ここで注目しなければならない問題があります。その問題はなにかと言いますと、植民地を経験していない若年層にマイナス評価が多く、植民地時代の苦い体験が身に染みていると思われる老年層でプラス評価が多いという点であります。それはまさに若年層は教育などの影響を受けて、マイナス評価に傾き、老年層は日本人、日本文化への懐かしさのためかどうかよくわかりませんが、プラス評価に傾いています。日本は嫌いだ、でもその当時の太郎さんとかその当時の花子は懐かしい人で、いい人だったということなどが反映されて、このような結果になっているかも知れません。
学歴別では、好きは高学歴者、嫌いは低学歴者に多く、階層意識別では、上流階層ほど好きの割合が高いことがわかります。職業別では、「好き」は経営・自営業者に多く、「嫌い」は生徒・学生に多いのですが、ここでやや気になることは、これから韓国を背負って行く、また日本人との交流が多くなると予想される若い年層の生徒と学生に、嫌いの割合が高かったという点です。
地域別は、図3と図4です。図の見方ですが、偏差値のランクが高くなるほど濃くなるように塗り分けしてあります。すなわち、図3では、濃くなるほど「好き」だという評価を下しているのに対して、図4では、濃くなるほど「嫌い」だという評価を下しているということになります。

図3 好き_________________________図4 嫌い

地域別では、プラス評価でも、マイナス評価でも、大体三つにグループ分けできると思います。日本語に対して好意的なグループには、Dの慶尚道とFの済州道であります。非好意的なグループにはBの江原道とEの全羅道です。そして、ちょうどその真ん中当たりのグループに@のソウル、Aの京畿道、Cの忠清道があります。
ところで、なぜこのような地域差が生じたのでしょうか。その地域差をもたらす原因について少し考えてみたいと思います。現在日本には7、80万人の在日韓国・朝鮮人が住んでいます。その在日の方々の出身地を外国人登録上の本籍別でみると,好意的なグループの慶尚道・済州道が80%を占めています。この在日の人々との人的交流をはじめ、両国の経済的関係の緊密化による人的交流、さらに、空路・海路などの地理的隣接による交通機関の発達、日本企業などの韓国内への進出などが日本語に対するイメージに影響を及ぼすものと思われます。時間の都合により詳しくは申し述べませんが、柔らかいか堅いか、軽快か重苦しいかの標準偏差値も好き嫌いの結果とほぼ同じ傾向を示しました。
以上、韓国人の日本語に対するイメージについて、さまざまな属性と関連づけて分析を試みました。その結果、次のようにまとめることができると思います。すなわち、全体として、韓国人の日本語に対するイメージは「軽快でやや柔らかく感じるが、好きではない」というものであります。

4.社会言語学的要因とイメージの喚起度

・言語のイメージ 言語の内在的条件:言語の構造的側面
言語の外在的条件:感情・接触・志向・憧れなど

さて、次に「社会言語学的要因とイメージの喚起度」ですが、われわれが、言語そのものから受ける感じには、言語の内在的特性とは全く別の条件が働いているといわれております。つまり、その言語を使用する民族に対する感情、その言語の使用者との接触の状況、その言語社会の風習やその社会への志向、文学作品に対する憧れなどがイメージを呼び起こすのに影響を及ぼすわけなんです。
そして、いま取り上げた言語の外的条件に対して、言語そのものに内在する物理的性質や機能的性質も、言語のイメージに対して依然として無視できない役割を演じます。たとえ耳にした外国語の意味が分からなくても、リズムは、その言語に対する好き嫌いに影響を及ぼします。また、言語の構造や文字の視覚的印象も同じ影響力を持ちます。皆さんは、ハングル文字に対する印象はどうなんでしょうか。とても不思議で、グロテスクに感じている方がいらっしゃるかも知れませんね。韓国を訪れるほとんどの日本人が、韓国に来るたびごとにハングル・ノイローゼに見舞われると訴えています。
中国と一緒に同じ漢字文化圏に属する国であり、他のどの国よりも一番近い隣の国であって、人々の容貌はうり二つといえるくらいによく似ているし、身なりも、都市の様子も、自然の風景も、他のどの国に比べて、もっとも親しみを感じさせるお国柄でありながら、空港に降り立ったとたん、かなり激しい違和感を覚えるのは、このハングル文字一点張りのでかでかとかかげられた看板であるという方々がかなりいらっしゃいますね。多分逆に、韓国人は日本の横文字のかんばんの多さに驚くだろう思います。つまり、このようなことは言語の内的構造以外に外的要素もイメージの形成に影響を与えるということでしょう。
では、いままで述べてきた日本人や日本語との接触があったのかなかったのか、日本語の能力がどのくらいであるのか、日本語の学習の経験の有無などを社会言語学的要因と私は言いますが、このような社会言語学的要因と日本語に対するイメージとは、果してどのような相関関係があるかについて表5から明らかにして行きたいと思います。

表5 社会(言語)的要因とイメージの喚起度(%)

「無回答」は表から除いてある

なるべく面白くやろうと努めますが、全くそのようなセンスの持主ではないので、すぐかたくなってしまいまして本当に申し訳ございませんが、表5のなかの+、−、0のそれぞれの記号は、イメージの方向を示すもので、+は「好き」、−は「嫌い」、ゼロは「どちらともいえない」の意味です。さらに、表の中に「有」とか「無」とか書いてありますが、それは、たとえば「日本人との接触」で言えば、接触のある人は「有」であり、接触の無い人は「無」で表しました。
表をご覧いたたければ、おわかりいただけると思いますが、「日本人との接触」の有無と「好き−嫌い」の評価との関連については、次のようなことが指摘できると思います。つまり、日本人との接触があると答えた「有」のグループでは、日本語が「好き」と思う人の全体の平均の19.9%をかなり上回る34.1%に達しています。これに対して、「好き」とペアになる「嫌い」では、逆に日本人との接触があると答えた「有」のグループでは、「嫌い」と思う人の全体の平均の33.5%をかなり下回る18.6%となっております。
もちろん、人間同士お互いに接触が多いからと言って、必ず好きになるとは限らず、そうでもない場合も多いし、かえって嫌いになってしまう場合もあるかと思いますが、この結果は要するに、日本人との接触のある人は、接触のない人に比べて、日本語に対してプラス評価を下していることが明らかであります。
以下、日本への旅行経験があるかどうかの「日本への旅行経験」とか、日本語をならったことがあるかどうかの「日本語の学習経験」、また、「日本語の能力」などでも「有」のグループの方が、それぞれ、日本語の学習経験や日本語の能力がないという「無」のグループよりも、プラス評価の割合が高いということがはっきりわかります。
以上、韓国人の日本語に対するイメージを喚起するのに際して、社会言語学的要因が、大きく関与しているということがわかりましたが、このような調査結果は、これからの韓国と日本の言語政策の立案にお互いに役に立つと思われます。たとえば、どの年代、どの地域、どの階層を管理したらいいかという言語管理ランケージ・マネジメントという新しいものがはっきりと目の前に浮かびあがってくると思います。そこのところをお含み下さい。

5.なぜ日本語を学ぶのか

・言語の経済力
・異文化理解

話が、やっと最後のほうに、たどり着きましたが、いままで皆さんに申し上げたように、韓国人は日本語が好きでもないし、歴史的に見てもいろいろと複雑な気持ちをもっている言語であります。そして、日本語という言語は日本を一歩離れるだけで、他の国ではほとんど通じない、まあ、ことばが悪くて皆さんに叱られるかも知れませんが、「内弁慶のそとみそ」みたいな日本語を、そして国際的に通じる国連の公用語にもなっていない国際性に欠けている日本語を、なぜ、あれくらいの韓国人が、精一杯力を入れて、必死になって学ぶかということでありますが、皆さん、その理由はいったいなんなのでしょうか。もちろん、その理由は、人によって、または国によって、いろいろと複雑多様にからみあっていて、枚挙にいとまがないと思いますが、唐突に、思いつくままに二つだけあげさせていただき、今日の話を締めくくらせていただきます。

その一番目は、外国語習得にはいつもついてまわる問題として、実用か、教養かという問題がありまして、その論争が今も繰り返されていますが、やっぱり日本が全世界に強大な影響力を及ぼす経済大国になった、そこで、日本との貿易、日本人を相手にする商売や仕事、そして、日本がどのように経済的に成長発展したか、それに対して、ひそかに勉強して、国の発展に役立てたいという経済の実用的な側面などがあるかと思います。

一時、韓国でロシア語科を受験する学生が急に多くなりました。折々の世界の情勢の変化に伴って、国民の方からも、敏感にどの語学が今一番有用かを判断する思いが働いているわけです。つまりこのことは、日本が経済大国ではなくて、もしかして、勿論しばらくのあいだは、あり得ないことだと思いますが、経済小国にでもなれば、日本語なんかに誰が関心を持ってくれますか。多分韓国人をはじめ全世界の人々は日本語なんかに目もくれないと思います。

日本の経済成長がせめて今のペースか、もっと盛んになれば、日本人が、日本語なんかやってもなんの役にも立たないし、時間的にも経済的にも無駄であるから絶対にやらないでと、いくら酸っぱく宣伝、お願いしても、日本語はどんどん世界へ広まっていくと思います。これはもう世界の言語の繁栄と衰退の歴史を見ても火をみるよりも明らかです。ちなみに、イギリスが400年かかって、僅か人口400万のシェークスピア時代の英語を全世界の共通語に、事実上、世界語にしましたが、その背景には産業革命というものがあってこそ可能になったようです。

縮み志向の日本人と言われたことがありましたが、今の経済力をもとにしてイギリスが400年かかったことをその10分の1に縮み、向こう40年間で国際語になり得ないでしょうか。つまり、ここで申し上げたいことは、言語と経済力とはいくら切りはなそうとしても切りはなせない関係で、言語の普及には経済力がものを言うということでしょう。

そして二番目は、日本語を通して日本文化と接触すれば、日本人や日本文化の良い所も、悪いところもいよいよ多く、はっきりと見えてくるであろうということであります。つまり、押し寄せて来る国際化時代に、日本人とか日本文化を改めてとらえ直すことができるのは、いうまでもなく日本語を通して可能になるからであります。

時間の関係もあって、韓国人からみた日本人の言語行動、例えば、挨拶行動、相槌、依頼、断り、非言語行動などについて詳しく触れることができなかったことは、ただお詫びせねばなりません。別の機会に譲りたいと思っております。冒頭でもみなさんに申しあげましたが、正確ではない日本語で皆さんのお耳を汚してしまいましてまことに申し訳なく思っている次第でございます。本当に、長時間のご静聴、どうもありがとうございました。

【参考・引用文献】

井上史雄(1977)「方言イメージの多変量解析(上・下)」『言語生活』311,322号 筑摩書房
国立国語研究所(1984)『報告80 言語行動における日・独比較』三省堂
真田信治・杉戸清樹・渋谷勝己・陣内正敬(1993)『社会言語学』おうふう
真田信治・任栄哲(1993)『社会言語学の展開』時事日本社 ソウル
任栄哲(1993)『在日・在米韓国人および韓国人の言語生活の実態』くろしお出版
森田芳夫(1982)「韓国における日本語教育の歴史」『日本語教育』48号 日本語教育学会