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程度の差こそあれ、島国で、しかも鎖国なんかしてしうような日本。 時代は変わっても「自分達」とそれ以外を(もしかしたら)悪意もなく線引きしてしまう気質があるようだ、と私は思う。 とはいえ、今のご時世、物理的には地球の大きさが変わっている訳ではなくても、その距離は確実に縮まっている。 それでも尚、日本人は海の向こう側とこちら側を何か分け隔てようと努力を続けているように思えてしまう。 とはいえ、既に、思ってる以上に日本人だって、世界の色んなところで頑張ってたり、国内外でいい関係築いてたりもするんだけどね。 だからこそ今、既にそうしている人としていない人の間に妙な溝があるのかな…?
な〜んて書いてるけど、ひとつも小難しい何かについて書こうとしてる訳じゃない。 そう、そんなに大そうな事ではないんだよ、ってことを綴っていきたいな、ってのが大元の趣旨です。
そう、私には外国人の友人がいる。 それは時にはすっごく気の合う友達だったり、愛してやまない恋人だったりもする。 ただそれだけ。 別段何かすんばらしい事をしてる訳じゃない。 …強いて言えば昔一時期日本語教師のボランティアなんぞした事もあったけど、それだって「趣味」程度。
それを他の日本人の友人・知人に知られる・見られると、10中8・9「わぁー」やら「ふっぅーん」やら良くも悪くも1歩置かれてしまう。 これはどう考えても事実。 私の考えすぎでもなんでもない。
他人ともなるともっと露骨だったりする事もある。
極端な時は、所謂公共の場所で、友人と会話をしているだけで、わざわざ立ち止まり、振り返り、頭のてっぺんからつま先まで眺めつくされたりする。 そういう時の人の目というのは、正直、どうひいき目に見ても、いい意味での目でない事がほとんどだ。
好意的な場合でも、何故かかなりの確率で周りのテーブルでの話題が「英会話学習について」に代わってたりする(笑)。 ま、これは悪い例ではないのでいいのだが…。
私は何かとんでもない事をしているのか?
ただ、趣味やウマの合う「仲間」といるだけなのに??
そう、私が1人で電車に乗っていても、誰も私を差別も区別もしない。 その他大勢の日本人だ。 ところが外国人と一緒にいるだけで、日本人である私までたちまち同じ日本人達から差別、あるいは区別されてしまう。 「常に」なんて言わないけれども、「ほとんど」の場合はそうだ。 時に、横にいる友達に愛想笑いを浮かべたその側から私にだけ汚いものを見るような目を向ける輩もいる。 そう、外国人以上に差別されちゃったりもするのだ。 残念ながら。
世間では、大上段に構えた格好で、「国際化」やら「国際交流」「国際親善」なんて文句が溢れてる。 自分のやってるレベルの事は「コクサイなんちゃら」だなんて意識は毛頭ないんだけど、枕詞に「コクサイ」の付くモノが悪いものではないのであれば、世間の人たちに良かれ悪しかれ特別な目でられる筋合いはないと思う。
反面、悲しいかな、外国人の友達を持っている人たちの中にも、その特別視にあぐらをかいてたり、外国人と接した事のない人たちに対して自分の方から一線引いてしまってる人も少なくなかったりする。 ある意味、彼らも特別な目に晒され続けた結果そうなったのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないけど。 逆に、そういった人と話していても私はたまに居心地が悪くなってしまったりする。 確かに外国人の友達を持つ人でなければ感じる事のない疑問や何かはあるので、そういう情報交換(?)も出来ればな…なんて思うのだけれど、今ひとつうまいこといかないことが多いな。
更にややこしい事を言うと、これは上の双方に当てはまるのだけれども、その友人(外国人)の国籍や人種によって明らかに反応や態度が変わるのも事実である。
私が上で「外国人の友人がいる」と書いたときにどんな外国人を思い浮かべただろう?
ここを訪れてる人の中でも勘のいい人は違った事を想像するかもしれないけど、それでも一般的に「外国人」といっただけで、勝手に話題は「青い目・金髪」を前提とした話になってたりする事が多い。 また、そうではない場合も、ある国籍・人種以外はおよびでないって鼻をくくられちゃったりとか…。
私の友人はアメリカ人あり、ヨーロッパ人あり、アジア人も、アフリカ人もいる。 勿論人種もそれぞれだ。 その時横にいるのが誰かで、周りの反応がはっきり分かれているのは否定できないし、彼ら(友人達)自身も、そういうのは敏感に感じ取ってしまう。 ある人は自尊心を傷つけられ、ある人はそういう人たちを逆に見下げた思いで見たり、それを逆手に取って利用してしまったり…。 横にいて、私自身、何て言っていいのか分からないなんて時も1度や2度ではない。 そして、彼らもどこか歪んだ形でそれに慣れていってしまう。
彼らの中に日本語をも理解出来るヤツもいて(そりゃ日本に住んでりゃしゃべれたっておかしくないでしょ)、なのに何言っても分かんないだろう、っていう先入観の元に不用意な発言をして(「うわー、見てあのガイジン、でかーい」とか←でかいくらいならまだよいのだけど…)、そのせいで彼らは傷つけられてたりすることもあるんだよ。
いずれにしてもなんか間違ってる…と思ってしまう。
そもそも、「コクサイ」っていう枕詞が付いている限りは、国内・国際ってカテゴリーできっちり分け隔ててるってこと。 結局は大抵の日本人は精神的鎖国状態のままなんじゃないだろうか…。 勿論、いろんな場面で国内・国際っていう分類があって然るべきってことは否定しない。 けど、私が言いたいのは、政治やら経済やらっていう小難しい範疇ではなくって、個人レベルでの人と人との関係を、わざわざ「コクサイ」なんて言葉をくっつけて分類する必要はないんじゃないかな? ってこと。 どうせ付けるんならお互いをより思いやる気持ちを育んでくれそうな「異文化」くらいじゃないかなぁ。
「じゃあ、そういうアンタが、ここでこんなテーマを取り上げること自体、矛盾してるんじゃないの? 特別な事じゃないって言うんなら」って思うかもしれない。
わざわざこういう事について書こうと思い立ったのは、結局のところ、どうあがいても特別視されてしまっているのが事実なのであれば、それを逆手にとって、なーんにも特別な事じゃないんだよ、って言える立場なんじゃない? って思ったから。
なので、私と私の友人達との話を通じて、「へ? そんなことね。」って感じで「コクサイ」っていう色眼鏡の色を少しでも薄めてもらえれば…。 ってそんな気持ちで取り上げる事にしました。 |
Article : Feb. 01. 2001 |
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