大石邸絵図面(おおいしていえずめん)


【概要】
 原題は「大石内蔵助良雄邸宅図」、兵庫県赤穂市花岳寺所蔵。本図は花岳寺第22世住職の釈種蓬仙和尚が昭和6年(1931)に作成したもので法量は縦154p・横123pである。邸内の敷地・各部屋の間取等が詳細に記されている。蓬仙和尚が本図の空白に記した由来によると、蓬仙和尚が同年11月の東京播州会に出席した際、同会所蔵の大石邸宅図なるものを見た。この図には赤穂大石邸の間取を明記したものであったのでこれを借覧して写した。この写を更に赤穂城請取在番を勤めた脇坂家所蔵の「侍屋敷帳」の記事を書き加え、更に花岳寺伝来の「元禄時代侍屋敷図」によって周囲線を記入するなどの増補を加えたという。これが本図である。なお、蓬仙和尚が見た東京播州会所蔵の邸宅図はもとは京都の人谷森善臣の子息で谷森建男氏(当時東京牛込弁天町に住す)原図のものを建男氏と住所を同じくする西村四郎氏が借りて写したものを東京播州会に寄付したものである。つまり蓬仙和尚作成の本図は写によって補足したのもであり、原図の形態を正確には伝えていないのである。しかし、この図を基に諸史料を参考にして本図を作成したものであり、大石邸の表口・裏行の寸法等は諸史料とも符合するので信頼性は認められる。蓬仙和尚は谷森氏所蔵以前の伝来は不明であるとしながらも、脇坂家に引渡した時の図面、或いはその控ではないかと考えている。本図は赤穂城内三の丸にあった大石良雄邸の全貌を明確たらしめるだけでなく、近世武家住宅の研究に於いても有益な史料であろう。蓬仙和尚が記した由来の原文は次の通りである。

大石内蔵助良雄邸宅圖
播州赤穂浅野藩家老大石内蔵助良雄邸宅圖ニ就テハ由来、屋敷隣接地境界線圖ハ元禄時代か古圖トシテ存セリ、而シテ邸宅内間取・間数及ヒ室ノ名称ハ元禄事変之際脇坂家ヘ引渡シタル赤穂城内侍屋敷張紙帳ニ記載アリ、然レトモ邸宅内間取圖ナルモノ嘗テ存スル所ヲ知ラザリシガ、今年十一月東京播州會ニ出席、同所ニ於テ同會所蔵ニシテ大石良雄邸宅圖ナルモノヲ見タルニ此図始メテ間取ヲ明記セリ、依テ之ヲ借寫シ、是レニ上記脇坂家蔵ノ侍屋敷帳之記事ヲ書キ加へ、當寺傳フル所ノ元禄時代侍屋敷図之周囲線ヲ加ヘタルニ年代之関係上多少ノ相違点有ルガ如キモ、大部分ニ於テ古記ト圖面ト符節ヲ合スルガ如キヲ以テ、直ニ二三ノ参考圖ニ依リテ室名及間数并畳数等ノ記入無キモノヲ補添シ、以テ此圖ヲ作成ス、

附記
間取等ノ割合ハ壹間ヲ壹寸トセリ、但シ曲尺五尺ヲ以テ壹間トスルガ如シ、上記邸宅圖ノ傳来ハ京都人谷森善臣之息、現東京牛込辨天町谷森建男氏ノ蔵スル所、同地西村四郎氏借寫シテ播州會ニ寄附スルモノナリ、其以前ノ傳来ハ不明ナル由ナルモ、予察スルニ脇坂家ニ引渡タル圖面或ハ其控ナルモノガ原圖タリシナルベシ、
     昭和六辛未年霜月      花岳蓬仙誌
     
再附記
若シ邸宅内畳・建具其他ノ詳細及ヒ、今日ニ至ル屋敷地及邸宅ノ變遷ヲ知ラントセバ、蓬仙蔵脇坂家所有「赤穂城内侍屋敷張紙帳」内大石内蔵助屋敷記事及ヒ、蓬仙著「元禄義擧史蹟明鑑」トニ對照スレバ白ラカ明白スベシ

 本図は平成10年(1998)12月、花岳寺にて発見され同寺宝物館において一般公開された。

【所蔵者】
兵庫県赤穂市花岳寺。
[閲覧]軸に表装され、花岳寺宝物館において展示されている。

【刊本】なし。

(008 2000/09/09)
(2000/10/30)

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