片山伯仙(かたやま はくせん) 1900〜1988


 大正〜昭和時代の義士研究家、赤穂花岳寺第23世住職。
 明治33年4月、兵庫県佐用郡上月町にて農菊治の三男として誕生した。本名は静雄という。明治44年9月、12歳で赤穂花岳寺第22世釈種蓬仙和尚の弟子となり、同師の得度をうけて「静雄」を「伯仙」と改めた。大正4年4月山口県防府市多々良曹洞宗第四中学林に入学、同10年3月卒業。大正10年4月、曹洞宗大学(現駒沢大学)に入学、同15年3月卒業というように幼少から青年期までは仏道に入り、ひたすらに修行を続けたようである。しかし、2年後の昭和2年には松江歩兵第63部隊へ幹部候補生として入隊し、同3年8月予備役見習士官除隊、同6年3月に陸軍歩兵少尉に任じられた。
 その後も禅の道に精進し、昭和4年3月に曹洞宗大本山永平寺に安居し、『傘松』編集部書記に就任し、同5年7月に本山を送行した。そして昭和7年5月曹洞宗宗務院に奉職し、上野舜頴総務秘書を勤めた(同9年1月辞職)。
 昭和9年2月より兵庫県三木市友松寺住職に就いていたが、昭和10年3月に本師釈種蓬仙和尚が遷化したため、5月に赤穂花岳寺第23世住職となった。花岳寺在任中は寺務以外にも司法省より司法保護委員を命ぜられたり(昭和14年9月)、法務省保護司として30年も勤め、また赤穂市保護司会長や赤穂市で運営している赤穂義士会の常任理事にも附いた。この間の赤穂事件関係の事績としては数点短編を出版しているが、これは花岳寺所蔵の史料を駆使したもので、大変参考になる。また、研究態度としては先代からの伝統であろうか、義士を大切にしている感が随所に認められる。特に戦後まもなく『赤穂浪士研究の再出発』(昭和22年)を発刊したことは戦後の義士研究の上では特筆されるべきである。これも短編であるが、戦前の学説等を整理して今後の課題を提起した点で義士研究史上重要であり、また、これ以後伯仙の義士研究は活発となる。立場上、義士擁護の点もあるがそれは花岳寺代々の伝統であるから仕方のないことである。しかし、この書をもって伯仙の新たな義士研究の出発点となった。
 昭和40年から『赤穂義士会報』の編集を担当した。この頃の伯仙の著作は大体が『赤穂義士会報』に収められており、赤穂市民たちに対して平易で高度な内容の文章で赤穂事件を説き、史跡などの落穂的なものも簡単ながらもしっかりとした内容で触れている。これらは今日でも参考になる。
 昭和54年10月に花岳寺住職を辞して隠居し、63年1月11日88歳で遷化した。その研究態度は真面目でコツコツと資料や論文を書くといったタイプの義士研究家であった。

主要著作 発行年 出版社
赤穂浪士研究の再出発 昭和22年 花岳寺
義士研究叢書第一編 浅野長矩論 外四篇 昭和30年 花岳寺
義士研究叢書第二編 大石良雄と良雪和尚 昭和31年 花岳寺
仙珪和尚日誌 抄(編) 昭和42年 花岳寺
赤穂義士の手紙 昭和45年 「赤穂義士の手紙」刊行会
子葉大高源五 昭和47年 花岳寺
子葉大高源五(復刊・改訂版) 平成7年 花岳寺

主要論文等 年代 所収誌等
浅野家三代の墓 昭和40年 『赤穂義士会報』1号
研究の醍醐味 昭和42年 『赤穂義士会報』2号
新義士読本 昭和43年 『赤穂義士会報』3号
新義士読本 昭和44年 『赤穂義士会報』4号
新義士読本 昭和45年 『赤穂義士会報』5号
新義士読本 昭和46年 『赤穂義士会報』6号
赤穂人気質 昭和46年 『赤穂義士会報』7号
吉良家の忠死者 昭和47号 『赤穂義士会報』8号
故なき誹謗 昭和48年 『赤穂義士会報』9号
大石の浅野家再興運動 昭和50年 『赤穂義士会報』10号
ふるさとの名家老 大石内蔵助良雄 昭和51年 『赤穂義士会報』11号
昔の義士会活動を偲ぶ 昭和52年 『赤穂義士会報』12号
赤穂浪士の名書簡 昭和52年 『歴史と旅』昭和52年12月号(秋田書店)
寺坂吉右衛門 昭和53年 『赤穂義士会報』14号
浅野長矩論 昭和55年 新『義士魂』14号
浅野長矩論(二) 昭和55年 新『義士魂』15号
吉良の傷 昭和55年 『歴史への招待』5巻(日本放送出版協会)

【参考文献】片山伯仙『赤穂義士の手紙』(昭和45年、同刊行会)

《附記》本項目は片山師と面識がある赤穂高光寺住職三好一行氏と兵庫県の義士研究家で花岳寺藩史寺史会の久下守彦氏より資料の提供を受けました。ここに記して感謝の意を表します。

(042 2001/04/18)
(2001/04/26)