◆そーちゃんへの想い◆

2000年4月、突然「新選組・沖田総司」にハマる(笑)。きっかけは渡辺多恵子さんのマンガ『風光る』(小学館・別冊少女コミック連載)。元々私は幕末には興味があって、関連のドラマや時代劇をよく見ていました。その中での新選組のイメージと言えば「人斬り集団」、沖田総司は「夭折した薄幸の天才剣士」。ところが『風光る』で描かれている沖田総司は全然違ったのです。冗談好きでいつも笑っていて、屈託のない若者なのです。思わず「そーちゃん」と呼んでしまいたくなるような愛すべきキャラとなっていて、イッパツでホレてしまいました。

ここで『風光る』というマンガのファンで終わらないところが私です。「もっと新選組のことを知りたいぞ」という衝動に駆られ、手始めに司馬遼太郎氏の著書『燃えよ険』と『新選組血風録』を読み、すっかり「新選組」へのイメージが一新。「新選組ってなんて熱く、哀しく、切ない集団だったんだ...」こうなるともう熱はヒートアップする一方。小説やマンガという創作の中の新選組だけで飽きたらず、史実の新選組にもっと近づきたいと思い、書店で「新選組」と書かれた背表紙を見つけるたびに手にしてしまうという末期症状に陥ったわけです。

で、何故新選組の中でも「沖田総司」にハマってしまったのか?
それはたぶんに彼の
清冽な生き様に深く感動してしまったからでしょう。
早くから天才剣士と呼ばれ、そうそうたる剣客が居並ぶ新選組において、十番まであった隊の
「一番隊組長」つまり副長助勤の筆頭であったほどの腕前の彼が、どの小説や書物でもギラギラと殺気立った人殺しだったとは記述されていません。
むしろ、若くして労咳(肺結核)という病魔に冒され、常に死と向き合いながらそれでもいつも笑顔を絶やさず、混沌たる時代の流れの中で、死の瞬間までひたむきに生きていた沖田総司という青年の姿が、次第に
私の中でリアルな物として育ってきたのです。

私が想像するに、総司には「野心」というものがなかったのではないでしょうか?
新選組とは、幕府の京都守護職であった会津藩預かりのいわば「警察隊」で、主な仕事は尊皇攘夷を掲げて倒幕を企む「不逞浪士」を取り締まることでした。が、局長である近藤勇の本懐はあくまで「攘夷」です。勤王志士との違いはそれを天皇と幕府が手を結んで(公武合体)成しとげることを理想とした、という点です。そして新選組はその為に多くの浪士たちを斬ってきたわけですが、総司が人を斬るときに、高い政治理念を掲げて偉ぶっていたようには思えないのです。ただ、
「剣士」として、目の前に起こる一瞬一瞬の出来事にひたむきにぶつかっていただけ、という気がしてなりません。

新選組という組織は厳しい鉄の規律でその力を高めました。その為にたくさんの同志が「隊規違反」で処罰(=切腹、斬首など)されています。幹部であった総司は、もちろんその介錯人や討手を何度も命じられました。不逞浪士だけでなく同志さえも斬らねばならないという現実に、心優しい(と私は思っている)総司は心を痛めたことでしょうが、総司の信ずるところの理想の為に笑ってその役を引き受けていたのでしょう。

そういったことを、いろいろな書物の行間から感じ取るにつけ、幕末という激しく熱い時代に刹那的にひたむきに生き、風のように駆け抜けた沖田総司という人物への憧憬はますます強くなっていく私なのであります。
私と総司は、まだ出会ったばかり。これから総司がどんな姿を私に見せてくれるのか、楽しみです。

2000年7月

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