原田左之助(はらだ・さのすけ)
1840(天保11)〜1868(慶応4)
伊予松山藩脱藩者、種田宝蔵院流の槍術の使い手。15〜6歳の頃江戸へ出て松山藩の中間となり、その後出奔、天然理心流道場試衛館の食客となる。
文久3年、近藤らと共に上洛。新選組創始メンバーで幹部を務める。
十番隊組長として、池田屋事件、三条制札事件、油小路の闘いなど数々の大きな事件に出動。
特に三条制札事件では十番隊を率いて巧妙な待ち伏せ作戦を展開、自ら第一番に斬り込んで犯人である土州の志士を次々と倒したという。
鳥羽伏見の戦いを経て江戸へ引き揚げ・甲州鎮撫失敗の後、散りぢりになりがちだった新選組をなんとかまとめようと奔走するも、ついに永倉らと共に近藤・土方と袂別。
靖兵隊を組織して会津で官軍を迎え撃つつもりだったが何故か途中で江戸へ引き返し(永倉曰く「妻子への愛着断ち切れず」)、官軍に囲まれ隊に戻れずやむなく上野・彰義隊へ加わり、銃で撃たれ戦死。享年29歳(現行年齢では28歳)

◆左之っちメモ

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