永倉新八載之(ながくら・しんぱち)
1839(天保10)〜1915(大正4)
江戸・松前藩邸長屋に生まれる。神道無念流を学び剣術修行に励むが18歳の時脱藩、武者修行をしているうちに近藤らと親交を結ぶようになり、試衛館の食客となる。
文久3年、近藤らと共に浪士組に参加、上洛。新選組創始メンバーとなる。
元治元年の池田屋事件では近藤隊に配属、病気・負傷の為戦線離脱した沖田・藤堂の穴をカバー
すべく、奮戦する。
その後も禁門の変、油小路の変など大きな事件には必ず出動している。
鳥羽伏見での敗戦・甲州鎮撫失敗の後、近藤、土方と袂別。新たに靖兵隊を組織。関東、会津で官軍相手に善戦するも、会津若松城が官軍の手に墜ちたことを聞き、江戸へ帰る。
維新後、松前藩への帰藩が叶い、藩のフランス伝習隊に歩兵教習をする役を担った。さらに明治3年、故郷松前の藩医杉村松柏の養子となり、杉村義衛と名を改めて樺戸監獄の剣術師範などを務め、大正4年(1915)1月5日、天寿を全うした。享年77歳。

◆新八っつあんメモ

※「そーちゃんと仲間たち」に戻るにはこのページを閉じて下さい。