沖田総司房良(おきた・そうじ)
1842(天保13)〜1868(慶応4)
天保13年(1842)、江戸にて生まれる。幼名は惣次郎春政。父は江戸詰めの白河藩士。
9歳で近藤勇の道場、試衛館の内弟子となり、剣の腕を磨く。
文久3年(1863)、近藤ら試衛館の仲間と共に浪士組に参加、上洛。新選組の創始メンバーとなる。
池田屋事件では近藤隊に配属、一人を斬り倒すも病気のため昏倒、戦線離脱する。この時喀血したと伝えられているが定かではない(虚構とする説が最近では有力)。
一番隊の組長として多くの討幕派を斬る傍ら、芹沢派の粛正、山南敬助の切腹、その他たくさんの同志の処罰も引き受けた。
慶応3年(1867)、屯所が西本願寺から不動堂村へ移った頃から持病の労咳(肺結核)が悪化。翌年勃発した鳥羽伏見の戦いには参戦できず、江戸引き揚げと同時に療養生活に入る。慶応4年(1868)5月30日、千駄ヶ谷の植木屋の離れで息を引き取った。享年27歳(現行年齢では26歳)。

そーちゃんメモ

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