土方歳三義豊(ひじかた・としぞう)
1835(天保6)〜1869(明治2)
天保6年(1835)、武州多摩石田村の農家に生まれる。四男だったため跡継ぎになれず、奉公に出されたり、土方家秘伝の薬「石田散薬」の行商をしたりと若いうちは苦労をしていた。24歳の時、天然理心流の門人となる。
文久3年、近藤らと共に上洛。新選組の副長となる。芹沢派粛正後は「鬼副長」として厳しい規律で隊をまとめ上げる。
元治元年6月、探索方の報告を受け討幕派の古高俊太郎を捕縛。足の甲に五寸釘を打ちそこにろうそくを立てて火をつけるという拷問の末、討幕派の京都御所放火計画を自白させる。そして討幕派が集まっているという池田屋を襲撃、池田屋事件が起こった。この時土方隊はもう一つの旅籠四国屋へ向かい、その後池田屋へ応援に駆けつけた。
慶応元年、屯所を西本願寺に移したのは勤王派に肩入れしている西本願寺に金を出させるという土方の作戦だった。
鳥羽伏見の戦いでは負傷した近藤の代わりに新選組を率いて戦うも惨敗。
甲州鎮撫失敗、下総流山で近藤が単身投降した後も戦い続け、関東、会津と転戦し、榎本武揚らと共に箱舘で官軍に最後まで抵抗。明治2年(1869)5月11日、箱舘一本木にて戦死。享年35歳(現行年齢では34歳)。

◆歳さまメモ

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