ハートウェーブは、ハートランドがお届けする読み物メールマガジンです  ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※              ハ ー ト ウ ェ ー ブ  ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 桃号 98.12.27 ※※※※  ☆こんにちは、上代桃世です。今年最後の発行だね。なんと、1周年だよ。   さて、心機一転の来年は。七草粥の日にハニー号を発行します。   また来年も、よろしくね♪  φ本日のメニューφ   1.首輪   2.どうかな・・・  ″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″  @首輪@   その日は、首輪だった。   えんじ色の、皮でできた細い首輪。直径十センチくらいの、子犬か猫につけ  るようなものだ。   また、覚えはなかった。   この数日、買った覚えのないものが増えている。最初はドッグフードだった。  つぎは骨型のガム。それから犬用ソーセージに、鈴の入った小さいボール。タ  オル地のぬいぐるみと電池式の、自分で転がる歪んだボールみたいなおもちゃ。   なんだかわからないものばかりが、いつのまにか部屋にある。そんな日が、  もう七日ばかり続いていた。  「なんだっていうんだ、いったい……」   首輪は、手の中にあった。帰宅途中、公園の前を通りかかったときに、なに  かを握りしめているのに気がついたのだ。いつ、どうやって手にしたのかも、  わからない。妙なことが続くとはいえ、これまでは、部屋の机に置かれていた  り、ベッドの上にころがっていたりするだけだった。   握りしめているということは、やはり自分で手に入れてきたということなの  か、と思いながら立ちつくしていた。ほそい影が、輪郭を滲ませながら車道へ  とのびる。光をはじいてオレンジ色に輝いていた時計が、徐々に色を失ってゆ  く。ほぅ、と小さく息をつく。足もとを見つめて、公園に背を向ける。  「槙野? なにしてんだ、こんなとこで」   よく通る声がひびいた。聞き覚えのある声に顔をあげると、車道の向こうに  クラスメートがいた。   Tシャツに黒いバミューダ、ナイキのバッシュが、どこか少年くささを感じ  させる。車の影がないのを確認しながら、車道を横切ってくる。左腕と右足に、  包帯が巻かれているのが見えた。   彼、津村健吾は、よく怪我をしている。ときおり学校を休んでは、数日後に  傷だらけになって登校してくる。どこでなにをしてきたのかと訊いてみても、  たいしたことじゃないんだと言って、あいまいに微笑む。明後日で終わる一学  期の間に五回ほど、そんなことがあった。  「久しぶりだな。なんだよ、元気ねぇな」   浅黒い肌に、包帯の白が映える。厚く巻かれた包帯の下に、彼は、どんな傷  を負っているのか。明かされることのない傷は、クラスの中でひそかな噂にな  っていた。   真新しい包帯が彼の身体を覆うたび、散弾銃で撃たれたとかアーミーナイフ  でえぐられた、下水道で飢えたワニに咬まれたのだと囁かれる。そんな噂を、  彼が否定したことはない。そして、笑顔を絶やしたことも。臑から膝下あたり  まで白く覆われている足を、かすかに引きずりながら近づく今も、穏やかな笑  みをうかべている。   額や頬の絆創膏が、紛い物の皮膚のように見える。  「おまえ……犬、飼ってたのか」  「――え?」  「首輪もってるからさ。それ、お前のだろ」  「これは……津村こそ、一週間もなにしてたんだい。また噂になってるよ」  「ああ。ま、ちょっとな。べつに大したことじゃないんだ」   そう言って、彼は乱暴に頭を掻いた。じゃあまた学校で、と言い残した彼と  別れ――細い首輪を握りしめた。   臙脂の首輪。   なぜ、いつから、手にしているのかわからない首輪。   血管が、腕に青く浮きだす。ぱすん、と軽い音がした。濁った緑の、植え込  みがゆれる。投げ捨てた首輪の皮の感触が、なまあたたかく手に残る。足もと  を睨んで、おおきく胸を震わせる。爪痕のついた手をもういちど握りしめて、  ぐっと胸に押しつけた。震えは、手にも足にも広がっていた。    躁鬱病の患者は、鬱期の記憶を失くしていることがあるという。あるいは  『ビリー・ミリガン』のように、いくつもの人格が、別々に記憶を保有してい  ることもある。   槙野は、怯えていた。   自分の中に、自分の知らない何かがある。別の自分が棲んでいる。黒い翼を  翻して、かすかに嗤う魔物のような自分がいる。   自分の中の別な自分が、なにもかもを奪いに来る――   息が乱れる。鼓動が耳の奥で響く。不安がつのる。だがそれをだれに……誰  に、話せばいいというのだろう。逃げ道を、誰が教えてくれるというのだろう。  海外赴任中の父親が家にいたところで、役に立つとは思えない。週に三日のパ  ートにでている母親などは、論外だ。では、誰が?   精神科医。   だがそれは、進学にも就職にも不利になるだろう。心療内科やカウンセリン  グも、変わりはしない。友人、といっても一年半後のライバルに過ぎない。   訪ねる先は……ひとつしかない。   ぐ、と喉が鳴った。   終業式を明日に控えての昼休みに、保健室を訪れる生徒がいるはずはない。  このドアの向こうにいるのは、アメリカ帰りの校医だけだ。   保健室。   ここでなら、診療記録は残らない。入るときも出るときも、人目に怯えるこ  ともない。もしも誰かに聞かれたら、頭痛薬をもらいにいったといえばいい。  疑う者は、ないだろう。   引き戸の取っ手に、手を掛ける。  「じゃあ先生、ありが……槙野? どした?」   一瞬はやく戸を引きあけたのは、津村だった。  「頭痛が、して」   声は、掠れてしまっていた。津村の目が、足もとに向いた。入室を拒むよう  に立ちふさがった彼の手が、ちいさく揺れる。  「困ってるだろう、槙野。俺がなんとかしてやるよ」   かるく肩を叩いて、津村は笑った。  「先生。俺と槙野、早退ね。悪いけど、担任には適当に言っといて。あ、それ  と、宗家には内緒ね。じゃ、あとよろしく。さ、行こうぜ」  「津村?」   「あの先生ね、俺の親戚筋なんだよ。大丈夫、見つかりゃしないって。授業だ  って、どうせ大したことしないだろ? まかせなって。おまえの悩み、俺がな  んとかしてやるよ」   昼間の電車は、思ったよりも多くの人が乗っていた。お年寄りや子ども連れ  の若い母親ばかりではなく、高校生も数多い。女の子たちは、化粧道具を膝に  広げて鏡を睨んでいたり、靴下を履き替えていたりする。半端に下げたズボン  の裾が擦り切れているやつらは、大声で、乗り合わせた女性の品定めをしてい  る。   二十分ほど乗った電車は、一言も口をきかずに降りた。バス通りを抜け、人  影のない路地に入る。このまま十分も歩けば、槙野の家が見える。  「津村。なにを、知ってる」   この皮膚の下には、自分も知らない自分がいる。それを、さして親しくもな  い男が知っている。それとも、別の自分が、友人なのか。  「おまえが子犬を飼ってたこと。なあ、そいつの名前は?」   犬を飼った覚えは、ない。やはり知らない自分のしたことかと思いながら、  そう答えた。  それに、できれば犬には近寄りたくない、とつけたしもした。笑顔を絶やした  ことのない津村が、つ、と眉をひそめた。  「覚えてないのか」   つぶやいた声は沈んでいた。教室でみる津村はいつも楽しげで、悩みやスト  レスには縁がないような気がしていた。暗い顔もできるんだな、と思って少し  胸がすっとした。  「思いだしてやれよ、槙野。なあ?」   哀しげに言って津村が足を止めたのは、昨日の公園だった。ふいに、首輪の  感触がよみがえった。  「トーホーカーミーエーミーターメー」   津村の声が低く響く。ながく声をひきながら、聞いたことのない言葉を唄う  ように唱えている。津村が拝み屋だという噂があったのを、思いだした。   唄のような言葉が三度くりかえされると、足もとに、かすかな熱を感じた。  「かの世の境に留まる者よ。古き言葉の力によりて、かりそめの姿を、我らが  前に顕わせ」   足もとの熱は、生き物の温かみに似ていた。  「ひふみよいむなやここのたり、ふるべ、ゆらゆらとふるべ」   また別の言葉が唱えられている。とぎれなく、どこで息を継いでいるのかも  わからない。   犬が、鳴いた気がした。足もとを見ると、子犬がしっぽを振って見あげてい  た。うす茶色のウェルシュコーギーだった。えんじ色の首輪をしている。昨日、  ここで投げ捨てた首輪とよく似た……  「――アッシュ」   力が抜けて崩れるように膝をついた。子犬が、膝にちいさな足を乗せる。重  みが、あった。肉球の弾力のあるあたたかな感触と、かすかにあたる爪の硬さ。  片足をあげて器用にバランスをとり、黒一色の瞳でじっと見つめる。   忘れていた。   ソーセージの好きな犬だった。ドッグフードに飽きると、それは食べずに餌  入れの前で座ったまま、しっぽを振ってソーセージをだしてくるのを待ってい  た。鈴入りのボールが好きで、途中で何度も落としながら、投げてくれと持っ  てきた。夜は、タオル地のぬいぐるみにくっついて寝ていた。   ぱたり、と涙がまるく地面を濡らした。  「……怖くなって、逃げたんだ」   四年生の時だった。そのころは両親がもめていて、離婚か別居かの話し合い  を、寝たふりをしたベッドの中でよく聞いた。近所の子どもたちと遊ぶことも  しなくなって、アッシュだけを遊び相手に、日が暮れるまで外にいた。家には  あまり、いたくなかった。   その日は、かわいいはずの子犬を急にいじめたくなって、公園の植え込みで  いたずらしていた。散歩用の紐を植木に絡ませて、ここまでこいと呼んでみた。  行っちゃうぞ、置いて帰っちゃうぞと脅かした。絡んだ紐で動けなくなって、  それでもしっぽを振って甘えた声で鳴いていた。   三十分もそうしていたあと、植え込みから少し離れたトイレに行った。戻っ  てくると、紐が絡んで、アッシュは首をつっていた。    ほんとうに置いて行かれたと思ったのだろう。追いかけようと暴れるうちに、  紐が、首に絡んでしまったに違いなかった。苦しがった証拠のように、前足が  別の紐にとらわれていた。  「アッシュ……ごめん、アッシュ。アッシュ」   抱きしめようとのばした腕が、膝に乗りだしたアッシュの身体をすりぬけた。  「待ってたんだろう。大好きな飼い主が来てくれるのを、な。恨みとか孤独と  か、そんなものは感じないから」   逃げ出して、ふとんをかぶって震えていた。死なせた事実が、怖かった。   どうしていいかわからなくて、首をつったアッシュをそのまま置き去りにし  た。   ただ、怖かった。   悲しむこともできなかった。自分に怯えて、そのまま、全部まとめて忘れて  しまった。   置き去りにしたアッシュの死体がどうなったのかも、知らずにいた。  「七年くらいたつだろう? いちばん、願いが力をもつ頃なんだ。そいつ、お  まえを待っていたよ。思いだして欲しくて、ここに来て欲しくて、いろんな事  をしてたんだ」  「ぼくは……」   七年も、逃げ出したまま放っておいた。涙ひとつ、アッシュのために流さな  かった。   かわいがっていたのに。   消えるはずのない事実を、思い出ごと捨てようとしていた。いや、捨てたつ  もりになっていた。  「逃げたことのない奴なんかいないだろ。逃げたっていいのさ。でも、逃げた  ことは覚えておくんだ。忘れないで、いつか、力がついたら立ち向かうんだ。  俺にだって、ツケはいっぱいあるんだよ」  「津村……」   自分の中に、別の自分はいなかった。あったのはただ、逃げ出して、忘れて  しまった罪の痕だけ。   アッシュはきっと、さみしかったろう。見捨てられて、ずっと鳴いていたか  もしれない。   夜、家族が寝室へ行くのをいつも、ひきとめていたような子だったから。  「さあ。綺麗なところへ、逝かせてやろう。それで、花とエサとおもちゃをこ  こに置いてやるんだ」   手に残る、なまあたたかな細い首輪の感触を、二度と忘れることはないだろ  う。大好きだったソーセージと、鈴が入った黄色のボール。部屋にある、それ  を持ってきてやろう。  「ひふみよいむなやここともちろらね、しきるゆゐつわぬそをたはくめか、う  おゑにさりへてのます、あせえほれけ」   唄うような津村の声が、また、低く響きはじめた。   膝に乗った小さな身体の輪郭が、ぼぅと薄れる。爪の硬い感触が消える。ア  ッシュの身体の中心部から、やわらかな光がゆっくり広がってゆく。  「アッシュ……」   姿をなくして色のない光の玉になったアッシュは、ふい、と消えてしまった。  「逝ったぜ、槙野。次の世は、きっと長生きするさ。しあわせでな」   おだやかで艶のある声だった。  「……ありがとう、津村。拝み屋だって噂、ほんとうだったんだな」  「まあ、そんなようなもんかな。一応、内緒な。俺まだ修行中だから」   津村の口もとに、困ったような笑みがうかんだ。  「逃げたままになってるものは、俺にもあるんだ。力が足りなくてね。だから、  こういう傷を負う羽目になる。逃げるってのは、時間稼ぎだ。早いとこツケを  払って、きれいな身体になりたいよな」   校医が俺の親戚筋ってのも内緒にしてな、と笑いながら津村は言った。   もう二度と、忘れない。死なせてしまったアッシュのことを。  「なあ、津村」  「あ?」  「幽霊って、いるんだな」  「まあ……そうかな」  「おまえ、いつもこんな事してんの」   津村は、微笑をうかべた。それは澄んだ、都会にはない清流の水面を連想さ  せる微笑みだった。    「それが俺の役目だからな」  「津村」  「なあ、なんか腹へらねえ? マックでも行こうぜ。あ、おまえの驕りな」  「しょうがないな」   並んで歩き始めた津村の足が、まだ少し引きずられているのに気づきながら、  空を仰いだ。日射しがきつい。もうじきお盆が来るんだったな、と呟いた。   津村は、なにも答えなかった。      @どうかな・・・@   長いかなあ、と思いながら掌編一編、載せてみました。さくっと読むのは、  やっぱつらい? 読みづらいかな?    ちょっとね。1年たったところなので、内容の見直しをはかっているのだ。  小話ばっかりじゃあ、つまんないよねって。このくらいの長さでも、平気?  どうかな。この半分くらいの方がいいかな。ちょっと、検討中なんでした。   というわけで。   来年から、内容にちょっぴり変化が見られるはずのハートウェーブ。   今年よりもたくさん頑張る予定ですので、これからも、よろしくね。  ″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″″  ☆今回の桃号、お楽しみいただけましたでしょうか。   ちょっぴりでも、楽しんでいただければ嬉しいのですけれど。   それではまた、7日のつく日にお会いしましょう。  ☆次回は1月7日にハニー号(テーマ『怖い』新年早々、なんてテーマだ)   を発行の予定です。  ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ☆ 発  行  ハートランド  ☆本日の担当者  上代桃世(kaidou@fb3.so-net.ne.jp)  ☆このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を利用して   発行しています。( http://www.mag2.com/ )  ☆バックナンバーはhttp://www.age.ne.jp/x/sf/NOVEL/HW/ でご覧いただけま   す。掲示板もありますので、ふるってご参加ください。よろしくね。   メールでのおとりよせもできますのでお気軽にどうぞ。  ☆みなさまからのご感想、リクエストなどを心から、お待ちしています♪  ☆お願い 掲載された内容は許可なく、転載しないでくださいね。  ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞