宿の候補地探しを始めて半年後、2003年の一月は運命の月となった。なにしろそれまでどんなに足を棒にして歩いても、目指すような土地はまったく見つからなかった。ぼくは疲れ、自信を失い、腐ってしまいそうだった。なんだかゴールの見えないマラソンを強いられているようで、落ち込んでいた。

そんななか工芸家のAさんが、まぁまぁ気分転換でも、とドライブに誘ってくれた。コースはAさんの工房周辺。彼の知り合いの家を訪ね、よく夕陽を見に来るという近くの島まで出かけた。

ところが、そこでぼくの目は釘付けになった。


   

土地と出会う
 

島一番の高台と思われる丘の一角に光が差し、そこだけ造成が始まっている。おかしい。ついこの間まで、ここは周囲と同じただの森だったはずだ。それが伐採され造成されているということは、ここは「つい最近になって、農振がはずれた」に違いない。

翌日、自分の目を確かめるようにして、独りで再びその土地を見に行った。だが、そこには「土地」やら「売地」の看板は一枚も出てはいなかった。ということは、もう売れてしまったのか。すでに誰かの持ち物なのか。それをつかむきっかけすらそこには無かったのだが、不思議なことに車を降りたぼくの身体は、その土地に見る見る吸い寄せられていった。

丘のような造成地のてっぺんに立つと、とろけるように赤い夕陽が真正面に見えた。おまけに水平線に夢のように美しい小島が浮かんでいた。そのシルエットが夕陽のなかで、刻々と変化を加えながら迫ってくる。

なんということだ。ぼくは放心した。

悪くない。
いや、悪くないどころか、かなり、いい。
いやいやいや、ひょっとしたら、最高じゃないか。ここは。

ぼくの足はその場で固まった。

これが、ぼくと「その土地」との出会いだった。

だが、肝心の土地の持ち主は周囲に尋ねても誰一人として知らなかった。もう他人の手に渡ってしまっているに違いない。だから、晴れて造成できているのだ。そう思えば思うほど、その土地がいきおい惜しく思えてきた。心底悔しく思った。

だが、ほどなくしてぼくはその土地と思いもよらない形で「再会」することになるのだ…。

確かにいえることは、土地との出会いは恋人との出会いに似ている、ということだ。ある日、思いがけない形で、ふいに「一目惚れ」と出くわしてしまう。これを「縁」というのだろうか。




   
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土地が見つかったら
 

当然次は、売主との売買契約を結ぶことになる。

「だが、その前にやるべきことがある」と示唆してくれたのは土地売買に詳しい友人だった。いったいなにをやるのか、といえば、その土地が本当に「家の建てられる土地」なのか、「農振」はかかっていないか、などなどを自分でも確かめておくように、というのだ。

もっともな話だと思う。土地は決して安い買い物ではない。慎重には慎重を重ねてしかるべきだ。友人から手ほどきを受け、ぼくが行った事前確認は以下の通り。

1)地主から土地の「公図」(こうず)をもらう。
2)「公図」に記載された土地の「地番」(所在地)を控えておく。
3)法務局に出向く
4)土地のある市町村の役所に出向く

法務局とは土地登記などを管理する役所のことだ。法務局に出向いて登記簿を閲覧、公図と地番をもとに土地の現所有者、抵当権の有無、分筆されているか否かなどを調べる。登記簿とは土地の戸籍だと思えばいい。この戸籍を洗いざらい知っておくことだ。

土地もまた人と同じように誰かと結婚したり、子供が出来たり別れたり、はたまた借金の保証人にさせられたりしてしまうわけで登記簿にはそのすべてが書いてある。もしも借金のカタになっていたら、さあ大変。負債ごと自分が背負うことになる。手に入れる土地は、もちろん文字通りの「キレイな身体」でなくてはならない。

自分で分からなければ、法務局で登記簿のコピーを取ってもらい、土地に詳しい信頼できる知人または司法書士に必ず確認してもらうこと。また念のため、周辺の土地についても問題がないか調べてみること。

4)土地のある市町村の役所に出向く

ふたつの重要事項を確認しておくこと。

第一は、その土地が公道に接しているかどうか。土地が県道など公道に規定以上接していない場合、建物の建築許可が下りない。そこで公図をもって役所の管轄部所、例えば土木課などを訪ねて直接係員にきくこと。

第二は、その土地が「農振地」かどうかの確認。農振地も同様に建築許可が下りない。役所の受付で「農業委員会」の部屋を聞き直接訪ねていくこと。やはり公図にある地番と、土地の購入を検討している旨を伝え「農振」の有無を問うこと。

以上、すべてに問題がなければ、いよいよ土地の購入へと駒を進めていくわけだ。

ふーっ、案外大変だよね。

日常的な事項ではないから妙に神経を使う作業がまだまだしばらく続いていく。