土地の調査を開始した頃から、建築家をどうすべきか考えていた。宿のファーストインプレッションを決定づけるのは、間違いなく建築デザインだし、それ以上に自分が描いてきた形のないイメージに、具体的な輪郭を与えてくれるのは、優れた建築家以外にはない。重要なのは、まずセンスであり、人格だった。

だが、ぼくには建築家の知り合いはいなかった。自分で探すほかはない。できれば沖縄の建築家がいい。この風土の気候や特性を知り尽くした人が。


   
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建築家と出会う
 

そんなある日の朝、朝刊を読んでいたぼくは、とある広告に目が止まった。そこにはどこか避暑地に建てられたような、粋なデザインの別荘の写真が掲載されていた。素敵なコテージだ。外国だろうか。どこの国か、と思ってコピーを読むと、なんと、その別荘は沖縄本島の北部にあるらしい。そして、その脇に「建築デザイン展」!それも近日!近くで!

ぼくは首里のイタリアンレストランで開催された、そのエキシビションを見に行った。沖縄のK建設とN設計という事務所による合同展示会だった。

それまでぼくは「沖縄風の建築」というと、なんとなく例の赤瓦を引用したコンクリートハウスを思い描いていた。いうならば、八重山や本島西海岸あたりにあるリゾートホテルの典型的な作風。ところが、そのエキシビションで、ぼくは度肝を抜かれた。モダン、なのだ。それも「超」がつく。

赤瓦をほとんど使うことなく、素晴らしくシンプルな線で構成された作品群。それらは陳腐な「沖縄風」などというカテゴリーではなく、むしろモダンヨーロッパを想起させるような、上品で端正な作品ばかりだった。次々と出てくる魅力的なパネルや模型に、ぼくの目は多分に「泳いでいた」と思う。

このような建物は、東京でだってめったにお目にかかれるものではない。ぼくはそれまで世田谷の等々力から自由が丘の界隈に住んでいたが、都内でも屈指の高額住宅エリアですら、かような美しい建築を見る機会はまずなかった。

ぼくが考えていたよりもエキシビションの展示作品は、はるかに進んでいた。加えて沖縄の自然という、東京では逆立ちしても真似できない「優良環境」のなかに建てられている。背景の多くは珊瑚礁と海であり、亜熱帯の植物だ。惚れ惚れするほどだった。ひょっとしたら、日本一ではないのか、と思った。本気で。

なかでも一軒、特にぼくの目をとめた作品があった。そうだ、こんな感じなんだ。好きなのは。他の作品を見ていても、どうしてもまたその建物のパネルの前に足が戻ってしまう。

それは絶景の傾斜地に立つ、白くシンプルなデザインの住宅だった。オーナーは沖縄では珍しくないが外国人であり、リゾートのような住まい、という依頼テーマがあったとパネルに記されていた。

受付でその建物を設計したN設計事務所の名刺をもらい、ぼくは財布に仕舞った。そこにはその事務所の代表であるOさんの名前が刷り込まれていた。

それが沖縄を代表する若き建築の名手Oさんとの出会いだった。




   
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建築家を探す方法
 

建築家探しには、いくつかの方法があると思う。

▼知り合いのツテ。

自分自身は直接建築家を知らなくても、ツテをたどればということは、ありうる。ぼくも某有名雑誌で編集者をしていた友人から、面白い建築家だから、と紹介を受けた。

また、人づてにぼくの宿計画を聞いた東京の建築家からも積極的なアプローチを受けた。いずれもナントカ賞受賞の期待の若手建築家ということだったが、沖縄というテーマは、東京の建築家にとっても興味をそそるのだろう。

▼新聞、雑誌、インターネットから。

新聞の住宅特集や建築雑誌、インターネットなどメディアからも情報はとれる。ただそれは参考程度にしたほうがいい。重要なのは自分の目で確かめることだと思う。

ぼくも新聞記事からリストアップしたいくつか設計事務所に下調べのつもりで行ってみた。これは大いに役に立った。広告写真や受売りの雑誌記事ではわからない、事務所の「空気」に直接触れられるからだ。

ことに直接接した人物の人間性は、なにものにもかえられない情報だ。誠実か、礼儀正しいか、熱意はあるか。自分との相性はどうか。会えばわかるものだ。

▼気になる建物のオーナーにたずねる。

街中で気になる建物があったら、直接そこに住んでいる人に尋ねるという方法もある。だがこの方法、東京では不審な人物と思われるのがオチで機能しないのではないだろうか。

だからぼくには出来なかったが「沖縄では直接家主に聞いた」という話はよく耳にする。優しい沖縄の人たちだから、それも可能なのかもしれない。

勿論ぼくにも、島をドライブして見つけたいくつかの「気になる建物」があった。何度見ても素晴らしく感じ、非常に気になった。いったい誰が設計したのか? 家主に直接聞きたいのだが、どうにも遠慮してしまい、ついには聞けず仕舞いに終わった。

すると、どうだ。その気になる建物の写真や模型が、前述の若手建築家Oさんの事務所に行くと並んでいるではないか。結局それらは、ぼくがお願いした設計事務所の作品であったというわけだ。




   
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誠実か、情熱はあるか
 

ぼくは最初から若い建築家と組みたかった。東京で自分を「センセイ」と勘違いしている偉そうな設計士に会い辟易していたし、自分の考えを押し付けてくるような連中は願い下げだった。

わざわざ自分から売り込んできた東京の建築家の一人は、まさしくその手合いで、「施主はまず建築家の意見に従うべき」と平然と主張して引かない大バカ者だった。このような設計士も、現実には、うじゃうじゃいるということだ。

ぼくが出会うべきは、施主の考えを洞察し、卓抜したセンスと、思いもかけない細やかな心配りで夢を形にしてくれる建築家でなくてはならなかった。結局、それを見分けるものは、自分の「勘」なのだろうか。

実は前述のOさんの事務所を初めて訪ねた時に、多忙なOさんは打合せにほんの15分ほど遅刻してきた。ぼくは気にもとめなかったのだが、その時彼は、自らの非礼を深く詫びた。その物腰は非常に潔く、いまでも心に残っている。この男は信じられる、と思った。

Oさんの事務所は、それそのものがひとつの作品だった。ミーティングルームには、さきの「建築展」で見た作品が置かれ、窓の向こうの坪庭には沖縄の光が揺れていた。

Oさんは大きなスケッチブックを開くと、話を聞きながら細かな字でメモをとり始めた。気が付くとなんと30分ほども、ぼくは一方的に自分の思いや希望を話し続けていた。その間、彼はほとんど一度も口を挟むことなく話を聞きつづけている。

そして、ふと顔を上げて、彼のスケッチブックに目をやった。するとそこには、ぼくが話した内容が、びっしりと整理され書き込まれているではないか。この物静かで誠実な男と一緒に仕事がしたい。ぼくは、その時、心底思い始めていた。

このOさんと彼の事務所が、実は沖縄でも若手ナンバーワンと評される設計集団であり、大変な売れっ子だと知ったのは、そのずっと後のことだった。