いったいどんな宿を自分がイメージし、運営しようとしているのか。それ以前に、なぜ自分は宿を作ろうと思ったのか。信を寄せる建築家には、まずはそこから理解してもらわなければならない。

だが、イメージという雲のようにあやふやなものをどうやったら相手にうまく伝えることができるだろうか。ぼくはふたつの手段がある、と考えた。第一には、文章。第二には、写真。

それらのクロスオーバーする交点が、イメージに「形」を与えてくれるのではないか。


   
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イメージを形に
 

自分がどんな宿をイメージしているのか。文章と写真、それらのクロスオーバーする交点が、イメージに「形」を与えてくれるのではないか。

そこでぼくは、宿に対する自分の思いや考えを時間をかけ文章に整理した。これをまずファイルに綴じて読物の体裁を整えた。

その上で、それまでストックしてきた写真集、インテリアの専門書、旅行雑誌、実際のホテルのパンレット、そのほか出所不明のありとあらゆる切抜き写真を集め目指す外観デザインの方向性、空間構成、そのディテール、インテリアなどの具体例がわかるファイルを制作した。

個々の写真にはなぜ自分がこの例を取り上げたかがわかるように、一枚一枚すべてに解説を付けていった。結果、ファイルは2冊におよびページ数は200ページにもなってしまった。

コンセプトを整理した文章のファイルが一冊。ビジュアルとデザイン、趣味に関するイメージコラージュ・ファイルが二冊。これが建築家に対する、ぼくからのオリエンテーション資料。設計チームとの最初の具体的な打合せに、ぼくはこの資料を持参した。

現実には、それでもまだまだ云い足りなく、意図のどれほどが表現できているのか、と心配になることもしばしばで、後々また何度も希望やなどは設計チームに伝えることになった。

ここでは第一のファイルに綴じこんだ、最初の文章をそのまま転載してみる。いま読むと、なんとも要望が先走り、やや傲慢でもあり、誠に恥ずかしくなるが、それだけ真剣に夢中になって考えていた、ということで大目に見ていただきたい。






 [コンセプトファイル]

 

[cocolocos計画]
設計チームへのオリエンテーション


宿にいたる旅


いままでいくつの島を旅してきたでしょうか。


よくは覚えてはいません。

新潟の豪雪地帯で生れた自分が、いったいなぜ南の島に惹かれるのか。
人に尋ねられれば「ないものねだりですよ」と笑って誤魔化してきたけれど、
実際のところは、「よくはわからないなぁ…」というのが本当です。

そんな訳の分からない思いにそそのかされて東南アジア、南太平洋、カリブ海、
メキシコ湾、インド洋、アフリカ沿岸、日本の南西諸島…と泊まり歩いてきました。
趣味と仕事。半分半分。
行きたくなると、もうたまらない。
好きになると、その対象について人間、詳しくなっていくものです。
島好きが高じて、広告やテレビといった仕事の依頼が来ることも何度もありました。

旅をすれば、宿に泊まります。
南の島の宿は様々。
すぐそこにある浜の潮風が吹き込む、隙間だらけのオンボロ・バンガローもあれば、
夕刻ともなると次々とロールスロイスが到着する上流階級御用達のホテル、
島をまるごと買切った老ヨットマンが経営する、この世の果てに建つような宿…。

いく先々で出会う多様な宿は、それぞれが別世界、小さな宇宙のようでした。
そうこうしているうちに、自分の好みの宿というものがはっきりしてきます。

分不相応に高価なのは嫌だな、とか。
断然景色が良くなきゃ、とか、大きなホテルはどうも…とか、なんだかんだ。
旅慣れるにつれて「天狗」にもなっていったのでしょう。

しかし、一方では、世界のどこにもなさそうな自分勝手な理想の宿というイメージが、
どういうわけか、固まりつつありました。好きな旅先も、同時に、次第に絞られてきました。自然が美しい、ことはもちろんですが、人間の力を感じられる場所がいい、と。
ぼくにとって、それは島特有の文化=生きた「芸能」ということでした。

さらには、やはりアジアの文化圏。
「黒髪の、米を食べる人々」がいる島々は、同じアジア人として心から落ち着きました。
第一に、食事が美味しいですから。

そんなわけで、やはり、というか気に入ってしまったのは、
インドネシアのバリ、そして日本の沖縄でした。
不思議なことに、どちらもマレー語の「チャンプルー」という言葉がある島であり、
強烈な芸能の島々、さらには芸能で使われる音階まで同じでした。
まるでどこかで繋がった兄弟のような島々。
こうしてバリ、沖縄のリピーターとなっていきました。

特に沖縄。
いったい何度、訪れたのか。

行くだけでは飽き足らず、数年前から八重山民謡の師匠について唄を習いはじめました。
すでに五世紀近く昔に、この島々から誕生した唄と
島々の風景を重ね合せて初めて聴いた時、冗談ではなく鳥肌がたった覚えがあります。
人、料理、芸能、自然、風習。
どれをとっても沖縄は、日本の宝物だと思えてきました。

けれど、
なかなか好きな宿には出会えなかった。
リゾートと銘を打ってはいるものの団体客であふれている大ホテル、
泊まること自体が気恥ずかしくなるような悪趣味なペンション、
あからさまな日常の延長でしかない民宿。
これほど素晴らしい環境が整っていながら、大半はがっかりするような宿ばかりです。

セイシェル諸島の離島、椰子の大樹に覆われた「デニス・アイランド・ロッジ」、
カリブ海の小国セントビンセント&グレナディーンの名宿「P.S.V.」、
バリ島の小ホテル「タンジュン・サリ」、屋久島いなか浜にある「送陽邸」のような宿。

沖縄にそれがないのなら、
そんな自分好みの宿を、生意気にもこしらえてみたい、と思いました。
もちろん、「自分ができる範囲で」という条件付きではあるけれど…。


では、どんな宿がつくりたいのか?


旅の印象は、宿で決まると思います。
そして宿の印象というと、ぼくにとっては、宿そのものとそれを作った人でした。

大袈裟に言えば宿をはじめた人間の、人生観だとか、世界観。
そんなものがギュッと凝縮されている宿。
不思議なことに、いま思い出すと、好きな宿というとその主の顔が思い浮かぶのです。
つまりは、「人の顔が見える宿」。

こじんまりとした、趣味の良い、小さな島の宿。
民宿でもペンションでもホテルでもない。
強いて言えば「プライベート・ホテル」とでもいうような、新しいカテゴリーの宿。

泊める側の論理ではなく、
泊まる側の論理でこしらえた、わがままな宿…。

それがはたして受け入れられるかは未知数です。
けれど、ぼくと同じような思いを抱き、新しいスタイルの宿があれば泊まりたい
という人は絶対に大勢いるだろう、という確信に近い気持があります。

似たようなことを考える人はいるもので、ここ数年のうちに、
宮古の池間島、八重山の西表島など、沖縄の離島にはそんな新しいスタイルの宿が次々と
オープンし始め、評判はどれもすこぶるいいようです。

こうした流れは、きっと、これからますます大きく太くなっていく、と強く感じます。


 

宿のコンセプト

 PRIVATE+HOTEL(プライベート・ホテル)
 private:個人の 秘密の in private=こっそり + Hotel:旅篭。

旅篭という響きが好きだ。旅好きな人が荷を解き、しばし日常を忘却する空間。

その条件は…4つのC、そしてフレンドリーということ。

 COZY:
 こじんまりとして、居心地の良いこと。
 素晴らしい風景の独占、小さな旅篭サイズ、手頃な料理、感じのいいインテリア…

 CHEAP&CHIC:
 安くて粋、趣味が良いこと。

 CALM:
 静かなこと。

 CLEAN:
 清潔であること。

 & FRENDLY:
 そして、主の顔が見え、友人の家に居るようにフレンドリーであること。


この宿のテイストは?

宿から見える風景は、船でなら15分で行くことのできる小さな小さな珊瑚の島。水平線。海を隔てた沖縄本島の連なり。それらは水の宇宙に浮かぶ天体のように見えます。

沖縄が、はっきりと亜熱帯アジアの気候風土にある、とわかる立地。その上にアジア好きという自身の趣味が重なっていくわけですから、テーマはおのずから決まってきます…。

亜熱帯アジアの「旅篭」。

西洋よりも東洋が好きです。寒い土地よりも熱帯、亜熱帯。好きな言葉は?と聞かれれば「椰子、島、酒」などと答えます。竹で編んだ床を、素足で歩く感触。大きな葉を広げる植物。木の匂い。南の果実。月明かりと琉球三味線の音色。潮騒。夜風に漂う香。流れ星。

琉球最古の文芸といわれる歌謡集「おもろさうし」には、沖縄はもちろん北は京都、鎌倉、南は遠く東南アジアまで歌の題材が及んでいるといいます。和も、東南アジアも、すべて呑み込んでいた、大交易時代の琉球文化圏。その魅力。懐の深さ。

そういえば、明治時代に赤瓦が普及する以前の沖縄の民家は、竹の芯を組んだ茅葺き屋根。まるでバリ島の民家そっくりです。


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