建築の基本プランが固まったら、次には、建てるには幾らかかるか、という具体的な話になっていく。ここからが実は一番厳しい世界なのだ。

沖縄を代表する若手建築家Oさんのチームからプレゼンテーションされた設計プランは、思いもかけぬ見事なものだった。僕自身、建築家にあれこれと好き勝手な希望を出していたものの、所々矛盾したようにも見えなくもない。

そうした素人の要望をすべてかなえる事は土台無理なのではないか、と考えていた。


   
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実施設計と施工見積り
 

彼らは素晴らしかった。プロだった。第一回目のプレゼンテーション。目の前に提出されたプランは、まさしく「ああ、僕はこんな宿に泊りたかったのだ」と心底唸りたくほどの完成度であり、そればかりか併設する自宅のプランがまた惚れ惚れとするものだった。

そして、僕の身勝手な、不可能とも思える.要望の数々は、まるで魔法のようにほとんどが難なく取り入れられているではないか。僕の心は、5秒で決まった。雲に乗るような気持ちだった。ぜひこの案をカタチにしてください。そう伝えようとプレゼンシートから顔を上げると、設計チームは笑みを浮かべながらもきわめて冷静に僕のほうを見ている。

いま思い返すと彼らはこの時点で、早くも総予算とコストのことを見通し、その実現性を考えていたに違いない。僕は思い切ってこのプランを現実のものにするには、いったいどれほどかかるのか、その場で尋ねて見た。

かえってきた答えは、僕の考えていた数字のおよそ2倍、途方もないものだった。僕の心は、天国から一瞬にして、転がり落ちた。

Oさんが示してくれたのは、確かに僕の要望を隅々までかなえた設計プランだった。そのとき、僕の顔がめっきり暗くなったのに気付いたに違いない。彼は穏やかにこう切り出した。

「心配しないでください。建築というものは、最初から小さなプランを立てないほうがいいのです。そうすると、プランはどうしても決まりきったものに落ち着き、つまらなくなります。最初は大きく考えて、それを現実にどう解決していくか、具体的なものに次第に寄せていけばいいのです。大丈夫ですよ。この案をベースに、ご希望の予算規模に近づけていきましょう」

わかりました、と返事をしては見たものの、僕の心は一方で沈みつつあった。だが、もう一方では示されたプランに感銘を受け、躁状態といっても良い並外れた高揚感にはちきれそうにもなっていた。

とにかく基本となる案は出来上がったのだ。それも予想以上の素晴らしいプランだ。あとは形にしていくだけだ、と。

では、ここで建物の「設計と建築」が、現実にはどのようなステップを踏んで進行していくかを検証していこう。




   
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建築設計の
大まかな進行過程
 

建築設計はいくつかのステップを踏んで進行していく。上で示したような設計プランは、そうしたステップの一過程ということになる。

1)基本計画

どんな建物を作るのか。その雛形とも言うべき原案が建築家からプレゼンテーションされる。建物のデザイン、空間の作り方、使い勝手などの基本フォーマットがここで決定する。いわば建築設計のもっとも重要な山場がここだ。

この段階でプランが施主のイメージとそぐわなかった場合には、計画そのものがお流れになることもあるという。僕の場合にはプランを120%気に入っていたため、こうした事態とは無縁だったが。

2)基本設計

基本計画が了承されれば、現実的な予算と照らし合わせながらさらに具体的に詰めていくことになる。宿の場合ならダイニングテーブルに置くテーブルの数まで絞り込んで現実の空間設計が進められていく。

ということは、このあたりから現実にいくらかかるのか、が数字として見え始める。使用するタイル一枚の材質まで設計と打合せを重ね、ディテールの詰めが積み重ねられていく。

3)施工見積り

設計事務所が練り上げたプラン=図面から実際に建物を建てると工事費は幾らになるのか。「施工見積り」が、ここで施工会社から示される。

いったいどうやって計算するのか、当初、僕には見当もつかなかったが、現実には驚くほど地味な作業の積み重ね、ということがわかり仰天した。なんたって、使う建材すべてのコストから人件費を建物の部分ごとに事細かく計算し積み上げていくのだ。

「積算」という言葉が、建築業界にはあるが、文字通りにコツコツと合算していく。その見積書はちょっとした地方都市の電話帳ほどの厚さにすらなるほどだ。かようにして建築とは現実のプロジェクトであり、常に「予算」が付きまとう。

だが、施主は建築や施工に関してはまったくの素人であり、自ら希望したプランがどれほどの予算規模のものなのか、そら恐ろしいほど無関心だったりする。それがここに来ていよいよ「数字」という現実を突きつけられるわけだ。

しかも、このハードルを越えることができなければ、どんなに素晴らしい建築計画も文字通りの「絵にかいた餅」で終わってしまう。建築家の才能もまた無駄に浪費されてしまう。

僕が初めて自分の建築計画に関する「施工見積り」を見せられたときの反応は、次のようなものだった。




   
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見積もりに仰天
 

8月4日、いよいよ第一回目の見積もり打ち合わせ。施工工務店から提出されるのは、恐らくは大変な高額になろうと予想はしていたが、実際に金額を見て目を疑った。予算の1.5倍以上の数字なのだ。「不可能…ではないか」との思いで、胸の中が妙に重苦しくなる。

早速、設計事務所と減額の方策を練るが、いったいどこまで下げられる事やら。これで安くならないか。この手はどうか。だが、抜本的な解決には程遠い。打ち合わせはやはり4時間近くにも及んでしまった。

久々に嫌な気分に支配され、帰りの道で、一人海岸に立ち寄った。

つまらなかった。止めたくなった。こんな計画、徒労に終わるのではないか。資金という現実が、苦い壁のように、自分の前に立ちはだかり、その存在に自身の甘さがあざ笑らわれている。

沖縄の暑さが今日は妙に鬱陶しい。これが過去になる日はくるのか。撤退という事か。弱気になったまましかたなく家に向かう。この大変なタスクも、やはり、1歩1歩進んでいけば出口は見えてくるのだろうか。

…そして、見積り打合せだけで早くも2ヶ月が過ぎていった。

もう10月に入っている。基本的な設計プランがかたまり、見積りに入ってすでに2ヶ月が過ぎた。この間の見積り打合せ回数はすでに7回になろうとしている。そのうち僕が出席したのは前半の3回だけだ。

あとは施工の会社と設計事務所で行われた。プランと予算の間にある開きを詰めなければならない、という命題は、もうかなり無理があるのではないか、と気落ちしていく。

この2ヶ月間といえば、まるでハムレットだ。二つのフレーズが頭を堂々巡りしている。「できる」「できない」そうこうして2ヶ月が過ぎた。

疲れているのは、こちらだけではなく設計事務所、施工会社の担当者、社長、全員だろう。となると、やはり、その張本人たる僕がへこんでいてはいけないな。気張っていかなければ。必ずできる。そう思ってここまで来たのだから。

山登りも辛いのは頂上が近づいてからだという。近すぎて山頂が視界にないからだ。もう一歩。もう一歩、と進むことにしよう。それが最善の道。

…いま思うと、このあたりが一番気分的に辛かったようだ。

だが、諦めなかった。僕も、設計事務所の建築家達も、施工会社の現場監督も、全員。結局、膝を突き合わせての施工見積り打合せは合計9回にも及んだ。そして、ある日、僕らにゴールは見えた。

僕だけの力ではない。この計画にかかわったそれぞれの立場、それぞれの人たちの総力の結果だった。そして、すべてにGOを出す、契約の日はやって来た。




   
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契約の朝
 

今日は、2003年10月17日。いまは、午前8時32分42秒だ。

いよいよ今日。設計、建築、土地。すべての契約を行う。これまで頭の中のイメージでしかなかったココロコス計画はこれから、文字通り、地に足の着いた「現実」として動き始めるのだ。

うわぉ! やったじゃないか、ついに。
…それにしても、長かった。なんという道のりだ。

さっき5年前に自分が記録していた日記を偶然パソコンの中に見つけて、読んだ。東京に居た頃の僕は、どこかの島に行きたいと思いながらも、なにもできず、せず、悩み、可哀想なくらいいろいろ我慢していたのだ、と読みながら思った。

それがいま…、亜熱帯の鳥の声をききながら沖縄で朝を迎えている。あの頃の自分は、まるで別人のようだ。

だが、その時の自分の延長として現在の僕があることを思えば、それはけっして無駄ではなかったということになる。今日のスタートは、そうした自分への感謝からはじめてもいい。よーやった、と。

さぁ、いよいよ、始まるぞ。