1996年4月16日(第17日)
テヘラン〜シラーズ


    
高さ2.5mくらいの石の柱頭
ペルセポリスの空想上の動物の柱頭

 朝起きると空はきれいな青空と雨雲にきれいに2分されていました。シラーズは大変美しい町で、日本で言うとさしずめテヘランが東京なら、シラーズは京都奈良に当たるという感じでしょうか。町自体がその歴史と、歴史上の位置づけに誇りを持っているというか、どうも美しくプライドの高い町のようです。というのも、ここにはペルセポリスを始め、ペルシャの起源となった遺跡があり、ペルシャの国はここから始まったと言っても過言ではないのです。
 まず一番最初は、シラーズから58キロほど離れたペルセポリスの遺跡へ。ここは、アケメネス王朝のダリウス大帝が作り始めた、春分の日の祝賀式典用の施設の遺跡です。山を崩して、台地を作りその上に建設されました。ここで今世紀に入って発掘された空想上の動物の柱頭(柱の一番上の飾り)は、イラン航空のシンボルマークにも使われています。大きなくちばしと長い耳か羽根飾りを持ったその頭は、力強さにあふれしかも人の心を引きつけます。遺跡の中を歩いて観光していると、ダリウス大帝の王朝と友好的な関係にあり、朝貢したり祝賀式典に使者を派遣したりした、28の国家、民族のそれぞれに思いが巡らされます。レリーフの中では、それらの国はそれぞれに特徴を持った描かれ方をしています。こうやって何千年も経ってからもどことどこの国が友好関係だったかがわかる、考古学って不思議な学問です。
 続いて、ダリウス大王たちの墓を見学したあと、ペルセポリスの遺跡の前のホテルのテラスで昼食を取りました。サラダのドレッシングがおいしくて、野菜をたくさん食べました。今日は暑かったので、テラスでの昼食は本当に気持ちがよかったです。さて、食事を終わって、テラスの前のプールの様な池のおたまじゃくしや、蛙をみながらバスに戻ると、突然、ぴしっぴしっという音がして雹がふってきました。そういえば食事中から遠雷が聞こえていましたが、その雹の粒の大きさとを量にびっくりさせられました。大きいものはゴルフボールほども大きさがあり、細かいのも併せてたくさんふってきたので、地面はあっと言う間に真っ白になってしまいました。支払いその他をしていて、バスに戻ってくるのが遅れたため、雹が落ち着くまでテラスで待っていた大沢さんを待って、バスは外の気温の高さであっと言う間に解けた雹の流れる川の様になった道をシラーズの町に向かいました。
 シラーズの町では、博物館がお休みだったので、二人の有名な詩人のお墓に行きました。まずは13世紀の詩人サディの墓へ。ここは以前は町の外で、家のすぐ近くに小川が流れそれは美しいところだったそうです。今はその川は暗渠になり、お墓の地下にその流れをみられる地下室があって、そこはティールームのなっています。手すりから、下をのぞくと魚がいます。これらの魚は、川が暗渠になっているため以前は目が見えなくなっていたそうですが、今はこのティールームのところで光にふれられるため、また視力が回復したそうです。私はこのティールームでガイドさんに勧められるまま、アイスクリームを食べました。なんだか水あめのように粘っこいアイスクリームでしたが、元来アイスクリームには目がないし、外も暑かったので本当においしかったです。
続いて14世紀の詩人ハーフィズの墓へ。ここでは、売店があって、ハーフィズの作品の日本語訳も売られていました。私はここで、裏におみくじの様に予言が書いてある、細密画のカードセットを買いました。とってもきれいで、書いてある予言はペルシャ語でわからなくても十分楽しめるものです。
 今日訪れた二つの墓は、それぞれ、パンジー、ペチュニア、ブーゲンビリアなどの美しい花で埋め尽くされています。まるで、天国のようです。このような花一杯の墓を守ってもらい、いい作品を残し、行きていたときはどうだったかわかりませんが、少なくともいい死に方だなと思いました。
 ハーフィズの墓を出たところで、昔懐かしい竹の長方形のかごに鳥を2羽入れた露天商がでていました。よく見ると、お客からお金を受け取っては、鳥に箱の中に折って立ててあるカードを引かせています。ガイドさんが私のためにこれをやってくれました。金額は500リアル。カードの裏にペルシャ語で書かれてあるのはおみくじみたいなもののようです。内容を訳してもらいました。曰く「たくさんのお金を失っただろうが、アナーキーになってはいけない。待っていればもうじきいい知らせがある。」というものでした。ほんとかな。うれしいな。
 続いてバザールへ。小さな町のバザールはにぎわいもちょっとだけ控えめです。ここで、ペルシャ更紗のテーブルセンターをおみやげに買いました。おみやげは後は、らくだの骨と真鍮で作った飾りのついた、小箱とキーホルダーを買いました。
 帰りの飛行機は、行きの47分の遅れよりはましでしたが、35分遅れでテヘランにつきました。ホテルに帰ると、テヘランに残った人の一人が私の格好をみて大笑い。トルコのエフェソスの遺跡で買った、真っ白に金の刺繍のある長袖のロングのワンピースの下に、同じデザインのもんぺをはいた姿の上に、ウエストポーチをしてリュックを背負っていたのです。笑われて当たり前ですが実に涼しくて、太り気味の私にはとても快適だったのです。格好より実質が肝心です。50日って半端じゃないですから、まずは体力の温存が一番大切です。昨日今日と強行軍だったので本当に疲れました。荷物を作って、この原稿を書き上げたら休みます。

ミニコラム 考古学について
ライオンがユニコーンに組み付いているレリーフ
囓られているユニコーンが
痛そうなくらい
見事だった
 今日は、イラン南部のシラーズに飛行機で飛んで、一泊のオプショナルツアーに参加した。ここの目玉は、ペルセポリスの遺跡だ。元々ファルスというのがこのあたりの地名で、一説にはファルスがギリシャ語になったとき、ペルスになってペルスの町で、ペルセポリス。ペルシャの語源かともいわれているらしい。
 このペルセポリスは、アケメネス王朝のダリウス大王が紀元前500年頃に建設を開始したとされ、目的は春分の日の祝いをするための儀式の場所として建てられた。写真のレリーフはライオンが一角獣=ユニコーンに襲いかかっている図柄だ。このユニコーンが冬を表し、ライオンが春を表すらしい。つまり春が冬を駆逐しているのだ。これが、この宮殿が春分の祝いをするために建てられたことを示している。その式典には28の国の人々が招かれ、それぞれに貢ぎ物を持参して参列する様子がレリーフに残っている。
 今回のツアーにはたくさん遺跡を訪れる割に、考古学フリークの様な人はいないようだ。しかし、今日はおもしろい冗談を聞いたので、それを書こう。「考古学者は、新しい学説を立てるとき、明白な反対根拠がない限り、反対する人がみんな死んでしまってるから楽だ」というものだ。真剣に過去の謎と取り組んでいる人には失礼極まりないジョークだが、でも、気持ちは何となくわかる。考古学は過去への扉だ。私たちはその成果を黙って傾聴するしかないが、その歴史の謎は素人にもたくさんの夢を提供する。人も歴史も、少しは謎があった方が魅力的なのかも知れない。

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