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吉田美奈子ライブ
なぜ、電気がいるか?
11/10/2000 神戸チキンジョージ
昨夜、取り組んでいる調査の打ち合わせが思いのほか早くに終わったので、JRを乗り継いで三宮に駆けつけ、孤高の歌姫・吉田美奈子のライブを聴いた。
吉田美奈子の名前を始めて知ったのは、坂本龍一のアルバム「未来派野郎」(1986年)に収録されている、「黄土高原」のヴォーカルとしてクレジットされていたこと。地底から突き上がってくるような声の颯爽とした感じに惹かれた。その後に聴いた、オリジナルアルバム「DARK
CRYSTAL」(1989年)が決定的だった。音楽でもなく、詩のリーディングでもないそのアルバムは、他者に伝える術もなく海底に封じ込めた想いを、かろうじて陽光の届く海抜地点まで浮かび上がらせたように、光と闇とで溢れている。
今でこそ「音楽プロデューサー」という名前が定着した感があるけれど、日本のミュージシャンの中で、1枚のアルバムを製作するにあたって、コンセプトワークから選曲から編集までをトータルにマネジメントしたのは、矢野誠による矢野顕子の「ジャパニーズ・ガール」だろう。少し遅れて、吉田美奈子は日本の女性ミュージシャンの中で、初めて自身のアルバムをプロデュースした人であり、作詞・作曲はもちろん、アルバムコンセプトから音楽家の人選まで、すべてを独自の美学に基づいて作り上げていく。ライブの演奏中だって、歌いながら、バックのミュージシャンに指示をする。歌いながらも、演奏をきちんと聴いて、良い演奏には「良かった」と評価する。いつもクールにステージを見渡している感じがカッコいい。
新曲の「ENCOUTER」を歌うにあたって、「音楽がなかったら生きていけなかっただろう」と吉田美奈子は語ったが、いや、音楽でしか生きていけなかっただろう」と私は思った。それほどの才能があり、才能故の不器用さを感じるから。「音楽が嬉しいときにも哀しいときにも傍らにあって、 どれだけ自由になれただろう」と吉田美奈子は語ったが、哀しい、と嘆く代わりに生まれた歌ばかりにちがいない」と私は思った。
「時を越え響く音には哀しみが隠されている
変わりゆく時代の中で語り継ぐ音がある」
かつて、宇宙飛行士が送信した地球の映像をブラウン管越しに見て、「切ない」と語った吉田美奈子はこのようにも歌う。
「希望は哀しみの上に作られている
未来を想うとき何故か切なくて」
腰まで伸びたアフローヘアーでステージの床を覆い、ひざまずいて歌う姿が、祈りの姿でなくして何だろう?そう、寮美千子による数多のVoice作品に出会ったとき、吉田美奈子のアルバム「DARK
CRYSTAL」を想った。都会の光景と宇宙の現象とを重ね合わす視点が重なる。自身のことを「ボク」としか言えない吉田美奈子の中性性や、寮美千子作品の登場人物の中性性も重なる。このあたりは、まだ自身でも上手く言語化できていない。
かつて、吉田美奈子のバックでギターを弾いていた本多信介もライブツアー中。次世紀に歌い継がれるべき音楽が、CMやドラマ主導の市場原理に染められた音楽市場の外で、30年間も真摯に奏で続けられていること自体が奇特にして、この世界を信じることのできる所以のひとつだ。
「なぜ、電気がいるか?みんなに聞いてみましょう。パッサン、どう思う?」
林太郎は英語に切り替えて質問を繰り返した。
「夜、明るくなります。ラジカセの音楽でみんな踊れます。」
『すばらしい新世界』(池澤夏樹,中央公論新社,2000年)
11/11/2000
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