―恋と死の神話を命あふれる言葉でおくります―

ロミオとジュリエット

公演場所

ブリティッシュヒルズ(福島県天栄村) '95.8.19(土)
エルパーク仙台スタジオホール(宮城県仙台市) '95.9.9〜10(土〜日)
登米祝祭劇場(宮城県登米郡)  '95.9.24(日)





パンフレットより


「言葉に架ける橋」
奥泉 光 (第百十回芥川賞作家)

 シェークスピア・カンパニーの舞台がいよいよ幕をあけるという。まずは 慶賀にたえない。
 仙台に拠点を置く同劇団が、英国の古典作品をいかに料理してくれるのか、 とりわけ、日本語を母語とする者にとっては異質きわまりないシェークスピア の言葉と、日常の言葉とのあいだに、いかなる橋を渡してくれるのか、大い に興味のあるところである。

 二つの言葉を架橋すること。もちろんこれは、それ自体は眠ったテキスト にすぎぬ作品を、生きた場所へ解放するという、演劇なる行為の根本である。 とはいえ近代日本の演劇においては、『文学』の権威性に眼を眩まされたあ げく、役者の肉体が作品の言葉に拮抗する舞台はきわめて少なかった。むろ んアングラ芝居を経過して、かような権威はおおかた破壊された。ただし シェークスピアとなれば話は違う。少数の優れた例外を除いて、いまだに シェークスピアの美しい死体を舞台上に提示する芝居があまりにも多い。 つまり、シェークスピアは、いわば『文学』の最後に残された権威の牙城な のであり、その作品を広くて見晴らしのよい場所へ連れ出すことは、いまな お日本の近代演劇が果たすべき課題なのである。

 その意味で、シェークスピア・カンパニーが、鉄壁ともいえる作品の砦に 素手で取りつき、真正面から克服せんとする勇気は賞賛に値する。方言で台 詞を喋る。それぐらいの工夫でうまくいくとは彼らは思っていないだろう。 むしろ、シェークスピアの言葉の持つとてつもない強靭さ、容易に歯の立た ぬ力、それを深く理解している点にこそ期待の根拠はある。

 二つの言葉がすれ違うのではなく、一人の役者の肉体のなかで、ぎしぎし と音をたててぶつかりあう、その一瞬が舞台上に現れるなら、この勇敢な 試みは成功だろう。




シェイクスピアの世界は海のように大きく深い。それに較べれば、私たちが上演するシェイクスピアは水道の蛇口からこぼれる水滴にすぎない。

(シェイクスピア・カンパニー)


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