`96/3/4 志賀高原

 今回は3泊4日で学校(豊田高専)時代に所属していたスキー部の合宿にOBとして参加 というかたちで志賀高原へ行った。3日に豊田で友人の結婚式を夜9時くらいに終えて一路志賀高原 へ向かってくるまを走らせた。幸い中央道&長野自動車道は雪もなく快調に志賀高原まで約3時間半で到着した。もちろんそんな時間に着いても宿の玄関は閉まっているので先に到着している後輩に 無線で連絡しカギを開けてもらおうとしたのだが彼は寝ていたらしく返事が無い。このまま今夜は 布団ではなく車の中で寝るのだろうか?そんな思いがふと頭の中を駆け抜けた。 しばらく呼び続けていると無線機が枕元に置いてあったようで起きて返事をしてくれたので 玄関を開けてもらい部屋に入って無事布団で寝ることができた。

 開けて4日、朝から天気は良かった。しかし、向こうに見える妙高山にはすでに雲がかかり スキーの師匠である先生によると午後から崩れるだろうということだった。この日午後からSAJの バッチテストを行うことになっていたので天気はだいぶ心配だった。先生の崩れそうだという予報 に基づきバッチテストは予定を繰り上げて、昼ご飯を後回しにして11時から始めた。

 バッチテストの場所は寺子屋スキー場。パラレルターン大回り、パラレルターン小回り、総合滑降、ステップターン、パラレルターン規制の順で検定は行われた。もちろんこれは1級の種目であってリフトで登っている間に2級、3級の検定も平行して行われた。 滑った感じではどれもバッチリといえる種目はなかった。合格か不合格かは5分5分 いや6・4でどちらかといえばもう一回かなというくらいだった。

 検定が終わり昼食を食べていると先生の予報どうり天気が一変し雪が降り出してきた。そのため午後の講習は無しにして高天原→西館→発哺と移動し宿へ帰った。宿に着いたのは3時半くらい だったため、滑る場所を発哺&ブナ平に限定しフリーとなった。検定を受けた後で検定種目を滑ると うまくできたときにしゃくなので、ほんとうにフリーで勝手気ままに滑っていた。(でもちょっと ステップターンをやった)

 その夜検定の合格発表まではけっこう緊張していたので、夕食もあまり喉を通らなかった。 7時からのミーティングのときに合格発表があった。3級から順に発表されていった。 そしてどきどきの1級の発表。得点順に発表され1位は後輩、そして1050点ぎりぎり2番目の得点で

合格

ついに1級の合格証を受け取ることができた。長い道のりだった。今にして思えば最初のころが 無謀だったと思う。ここ2年くらいの努力がやっと身を結んだ。合格発表の後で検定のときに撮影 したビデオをみたのだがまだまだ下手くそである。自分のイメージとは違う。自分の頭の中の イメージのような滑りができるようにもっと練習しなくてはと思う。

 次の日は前日から降り続いた雪で新雪が50cmくらい積もっていた。奥志賀高原まで全員で行く 予定にしていたのだが天候がよくなかったのでとりあえずタンネの森で少し滑った。天候は 相変わらず雪がしんしんと降ってはいたが時々日が射した。取りあえず行けるとこまで行こうと 一ノ瀬を越えて焼額にはいるところのリフトまで行った。がしかしリフトは運転はしていたが 係員の話によると焼額の下2つしかリフトは運転しておらず奥志賀までは行けないということだった。 しょうがないので引き返し昼食を取ってこの日も宿に戻った。

 最終日、天気予報では回復するといわれていたが起きるとまだ雪が降っていた。しかし昨日よりはいくぶん明るく回復の兆しではあった。朝ご飯を食べるとすぐに支度をしてゲレンデに出た。 降り積もった雪はピステンで圧雪してあったのでフラットなかっとぶには絶好の条件であった。 取りあえずブナ平をおりジャイアントへ行った。まだ朝早いこともあり人も少なかったので 一気に下までパラレルで滑り降りた。気持ちよかったーというのが感想である。9時から 講習があったのでとりあえず発哺線を上がって戻った。

 そして合宿を終えいざ帰ろうと思って車まで行ってみると、思ったとおり今朝までの雪で車は 埋っていた。直接見えたのはジェットバックの側面のみ。先生にスコップを借りて掘り出した。 そしてエンジンをかけようとキーをひねったのだがかからない。ガソリンが残り少なかったので 傾斜しているところに横向きに停めてたかんけいじょうガソリンが片方によってしまったらしい。 後輩に手伝ってもらい車を取りあえず平らな所まで押し出してなんとかエンジンをかけた。 これからは山に登る前にちゃんとガソリンを入れておこうとほんとうに思った。

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