『かわら版』の老朋友から

かわら版との七年

森田 憲司

「中国を集める」を連載中。北京で生活していても見逃してしまう現在と過去を比較する視点で、多くの読者を獲得。編集部には、「毎号ファイルしています」といった声も届いている。

   すこし前にも書いたが、根箭さんから、かわら版への執筆の話があったのは、一九九二年の秋のことだった。場所は、言うまでもなく居酒屋兆治のカウンター。その席には、もちろん櫻井さんもおられたが、日壇飯荘での崔健とのジョイントコンサートのために来燕していた爆風スランプのメンバーも一緒だった。あの九月には、爆風とサザンのコンサートが、日を連ねて北京であった。
   連載をお引きうけしたのは、これは連載第一回に書いたのだが、こちらはなにしろ年に一、二回、それも、せいぜい十日間くらいしか北京にいない身で、中国や北京にまつわる事物にいろいろ興味を持っても、かってな思いこみが少なくないだろうから、北京に限らず中国在住のみなさんに、いろいろお教えいただけるのではないか、と思ったのが、一番の理由だった。それともう一つ、中国に関するあれこれについてあまりに手を広げすぎてきたから、少し交通整理をしてみたいということもあった。
   さて、実際に連載をはじめてみるとどうだったか。まず、話があちこちに飛びすぎる。なるべく新鮮なネタでという気持ちも背景にはあるのだが、「次回にはこんな話」と書いていながら、放りっぱなしとなったり、一年くらい経ってから戻ってくることもあったりする。これは大学での講義でも出てしまう悪い癖だ。それと、本を扱うのは本職だから、本の話はなるべく避けたいと思ったが、苦しい時の本頼みになってしまっていて、とくに最近その傾向が強い。ただし、日本人と北京、中国への関わりの歴史へのこだわり、というのは、根箭さんの、そしてかわら版の一つのテーマだから、その方面の本への言及が多くなるのも一面ではやむをえないのだが。
   この七年間、以前は二ヶ月に一回、最近では月に一回の連載を、苦しまぎれの回はあったとしても、一回も休むことなく続けてこれた。連載を続けなければならないから調べた項目もあったし、新しく興味の対象となった物もある。これは、かわら版に、そして根箭さんに感謝しなければいけないことだと思っている。
   先日父が死んだ。その遺品を整理していると、父もまた多くの物を集めていた人であることがよくわかった。この身に染み付いている蒐集の虫の導きで、これからも連載を続けていけたらと考えている。

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